元禄忠臣蔵 大石内蔵助

漫画:神江里見 原作:五島慎太郎

第1章 早駕籠 第2章 雌伏 第3章 時節到来 第4章 討ち入り
001 N 1701(元禄14)年。3月14日午後5時、早駕籠が江戸を出発した。2台の駕籠に乗っているのは速水藤左衛門(はやみとうざえもん)ともう一方は萱野三平(かやのさんぺい)であった。

翌、3月15日。箱根の関所。早駕籠は、関所でとまる事無く走り抜けていく。門番が慌てて制止する。

002 N(速水藤左衛門) 【せりふ】
「駕籠の中から失礼つかまつる。我ら、播州赤穂、浅野家の家臣!速水藤左衛門、萱野三平と申す者。家中の一大事にて早駕籠を仕立てて参る!」
003 N 通行手形を関所役人に示し、早駕籠は関所をかけ抜けていく。

赤穂までは江戸より150里。日数では14、5日の行程である。早くても12日。しかし、速水たちの乗った12枚肩の駕籠であれば10日を要すればつくだろう・・御家(おいえ)の一大事とは。赤穂家に一体何が起きたのか・・関所役人は早駕籠のその慌てぶりを見送りながら思った。

元禄14年3月14日、四つ半刻(よつはんどき)今で言う午前11時。

播州赤穂5万3千石の藩主。浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の刃傷事件が発生した。

江戸城、松の廊下で高家(こうけ)4300石、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)に突然斬りつけたのである。浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)はすぐに取り押さえられ即日切腹を申しつけられた。

赤穂藩の早駕籠は事件発生の6時間後、午後5時に築地鉄砲州(つきじてっぽうず)江戸藩邸より出発し、15日には箱根を越え、三島まで走らせた。

3月19日午前6時頃、赤穂城。早駕籠が赤穂に着いたのは6日目の3月19日の午前6時だった。箱根の関所役人が予想したより5日も早かったことになる。凶報である為、早駕籠は大手門を避け、搦め手(からめて)塩屋門より入城した。

早駕籠で到着した速水藤左衛門(はやみとうざえもん)と、もう一方の萱野三平(かやのさんぺい)は筆頭家老、大石内蔵助に事の全てを報告した。

1701年(元禄14年)3月14日午前11時頃、江戸城、松の大廊下。

上野介はそばを通る内匠頭を揶揄するような口ぶりで皮肉った。

004 吉良上野介(61歳) 「いやいや、お気になされるな。浅野殿ごとき人に何が分かろう。ご相談あるならすべて拙者に仰せつけられよ」

「ど田舎の大名がよくしくじることじゃ。今日もまたお役目を辱(はずかし)めることがあるじゃろうよ」

005 浅野内匠頭(35歳) 「・・・ぬう・・!言わせておけばじくじくと!」

「この間からの遺恨!覚えたるかっ!」

006 N 内匠頭は脇差を引き抜くなり、後ろから上野介へ斬りつけた。驚く上野介が振り向いた刹那、内匠頭の第2刃が上野介の額を斬りつけ、飛び散った血潮が真新しい青い畳の上にボトボトと赤い染みを作った。

側にいた侍、梶川が内匠頭を後ろから羽交い絞めにして押しとどめる。

007 N(梶川) 【せりふ】
「何をなされる浅野殿!殿中でござるぞ。殿中で!」
008 浅野内匠頭(35歳) 「お離し下され、梶川殿!武士の情け、お離し下され!」
009 吉良上野介(61歳) 「お・・恐ろしや・・恐ろしや・・・」
010 N 上野介は茶坊主に両脇を支えられ、松の廊下を去った。
011 浅野内匠頭(35歳) 「うう・・・・無念!」
012 大石内蔵助 「・・・・・ということで我が殿がやむにやまれぬ事情により吉良上野介に刃傷に及んだ。詳細についてはまだ分からぬが、お殿様には、いかなるお咎めをこうむるやもしれぬ。一同、心を乱すことなく万が一の時の覚悟をしておくようにな・・・・」
013 N  城内へ集まった家臣たちにどよめきが走った。
014 大野  「大石殿、そ、それは・・・・・おとり潰しもあり得るとのことでござるか?」
015 大石内蔵助  「分かりませぬ。第2陣、第3陣の早駕籠が参りましょう。そこで明らかにされるはずです」
016 大野  「こ・・こ・・これは大変なことだ。我が藩の借財は2度の勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)に任ぜられたのでふくれあがっておる。お取り潰しなどにあっては、借財の返済どころか藩士への分配金も涙金(なみだきん)程度にしかならぬぞ」
017 大石内蔵助  「大野殿。滅多なことを申されるな。城代家老がうろたえてどうなされる」
018 大野  「しかし、赤穂藩がなくなるかもしれんのですぞ」
019 大石内蔵助  「なるようにしか・・なりますまい」
020 大野  『ちっ!・・・まだ目覚めていないのか昼行灯は、この大事に・・・・』
021 N  内蔵助は早速、金奉行、勘定方、札座奉行を揃えて藩札の発行高と現在藩庫にある金高を調べるよう命じ、当分の間、金子の受渡しを凍結することに決めた。

同日、午後9時。

2番手の使者は午後9時に着き、浅野内匠頭の切腹を伝え、21日には3番手が内匠頭の弟、浅野大学長広(あさのだいがくながひろ)の閉門を、25日には江戸屋敷の接収(せっしゅう)を伝えた。

江戸城、3月14日。午前11時半頃

022 N(役人)  【せりふ】
「恐れながら、上様に言上
(ごんじょう)申し上げたき事態が起こりました」
023 柳沢吉保(44歳)  「上様はただ今、勅諚(ちょくじょう)に奉答(ほうとう)のため、斎戒沐浴(さいかいもくよく)なされておるところだ。邪魔することはならぬ」
024 N(役人)  【せりふ】
「じ・・実は、接待饗応役
(せったいきょうおうやく)の浅野内匠頭様(あさのたくみのかみさま)が高家吉良上野介様(こうけきらこうずけのすけさま)に刃傷に及びまして・・・」
025 柳沢吉保(44歳)  「な・・何だと?」
026 N  将軍、徳川綱吉の前に控える柳沢吉保。
027 柳沢吉保(44歳) 「よからぬことが発生いたしました」
028 徳川綱吉  「何じゃ。また老中の誰かが仮病で出仕できぬとでも言うのか。申してみよ」
029 柳沢吉保(44歳)  「はっ、刃傷事件が発生いたしまして吉良上野介殿が斬られたとのことで、松の大廊下が血で汚されましてございまする」
030 徳川綱吉  「な・・何〜〜っ!」

「誰じゃ、この天皇の勅使、院使(いんし)への奉答(ほうとう)の大事な儀式の日を血で汚したのはっ!」

031 柳沢吉保(44歳) 「播州赤穂の浅野内匠頭殿でございまする」
032 徳川綱吉  「浅野〜〜っ?勅使柳原前大納言資廉(ちょくしやなぎはらさきのだいなごんすけかど)様らの御馳走役ではないか〜っ!」
033 柳沢吉保(44歳)  「いかにも、仰せのとおりで・・・・・・」
034 徳川綱吉  「おのれ・・・おのれ〜〜〜っ!余の顔に泥を塗りおって〜っ!」

「許さ〜ん!切腹じゃ〜っ!即刻、切腹にいたせ〜っ!」

035 N  3月14日、事件当日の午後6時、浅野内匠頭は、田村右京大夫(たむらうきょうのだいぶ)の庭先にて切腹する。

「風させふ花よりもなほ我はまた、春の名残を如何にとやせん」という辞世の歌を残して・・・。浅野内匠頭は35年のその短い生涯に幕を閉じたのである。

3月26日午後。江戸、柳沢吉保の下屋敷。綺麗に手入れされた庭に2人の人影があった。屋敷の主、柳沢吉保と米沢藩家老、色部又四郎(いろべまたしろう)であった。

036 柳沢吉保(44歳)  「聞いておろう。吉良殿の役儀辞退(やくぎじたい)を上様がお取り上げになられた」
037 色部又四郎(37歳) 「ははっ、意外なことに驚きました」
038 柳沢吉保(44歳)  「ふ・・『その儀に及ばず』とでも言われると思ったか?」
039 色部又四郎(37歳) 「いえ・・・ただ不祥事の責任を取るということだけで肝煎(きもいり)の任を解かれるとは意外でした」
040 柳沢吉保(44歳) 「解いたのではないぞ。吉良が自ら望んで辞めたのだ。そこを、はき違えるなよ」
041 色部又四郎(37歳) 「はっ!しかし後(あと)は我が米沢藩15万石にお任せというわけですか?」
042 柳沢吉保(44歳)  「当然であろう。米沢藩の藩主は吉良上野介殿のお子である。2人は血に繋がった親子の仲であろうが。親の難儀を見たら子がそれを助ける、しごく当然のことであろう。何か不満があるのか?」
043 色部又四郎(37歳) 「いえ別に・・・・松の大廊下事件から12日、幕府としては早く事を忘れたいとのお考えではと思いまして」
044 柳沢吉保(44歳)  「ふ・・言いにくいことをずけずけと言うやつだな。米沢藩家老、色部又四郎というやつは」
045 色部又四郎(37歳) 「赤穂藩の動きが気になるものですから・・」
046 柳沢吉保(44歳)  「潰れるときには誰しも悪あがきもしよう」
047 色部又四郎(37歳) 「大石なる筆頭家老が藩札を六分替(ろくぶが)えで引き替え始めたとの報告でして」
048 柳沢吉保(44歳) 「六分・・・普通は四分(よんぶ)であろう・・赤穂藩はよほどの余裕と見ゆるな・・・」
049 色部又四郎(37歳) 「大規模な塩田を有しております。入り浜塩田法とか申す新型製法で、塩の質、生産量ともに高い水準を上げております。全国の5割は、赤穂をはじめとする瀬戸内海一帯の製塩だそうです」
050 柳沢吉保(44歳)  「よう調べてあるの・・・ん、そうか・・吉良殿の三河でも製塩をしていたな・・・」
051 色部又四郎(37歳) 「はっ、仰せのとおりで」
052 柳沢吉保(44歳)  「こたびの事件の原因はその辺にあり・・・・か?」
053 色部又四郎(37歳) 「それは・・・・本人たちが口を閉ざしていますゆえ・・何とも・・・・」
054 柳沢吉保(44歳)  「高率で藩札を替えるとあるのは何か意図があるのか?」
055 色部又四郎(37歳) 「大石らが煽動して城門の前で藩士全員を集めて切腹との噂も・・・・」
056 柳沢吉保(44歳)  「ふ・・忠義の士を気取ろうということか・・・愚かな。読めたぞ。六分替えで町民や民の人気を取り、歴史に名を残そうというつもりか・・」
057 色部又四郎(37歳) 「そのようで・・」
058 柳沢吉保(44歳)  「よかろう、未だかつて徳川幕府にたてついた者はおらぬ。身のほど知らずめ・・・やってみるがよい。一族郎党全て根だやしにしてくれん!」
059 N 4月11日午前 赤穂城、赤穂藩士たちが大広間に集まり、喧喧諤諤(けんけんがくがく)と口角に泡を飛ばしながら、議論を戦わせていた。
060 N(藩士たち) 【せりふ】
A:「すべては吉良が原因だ。あやつを仕留めるのが最初だっ」

【せりふ】
B:「そうだっ!噂では吉良上野介はぴんぴんしているそうではないかっ」

【せりふ】
C:「吉良を討たなくては亡き殿の魂も浮かばれまい」

【せりふ】
D:「いや、公儀の御裁断がおかしい!喧嘩両成敗のはずなのに。吉良に何のお咎めもないとは・・・・・公儀にその間違いを糾すべきだっ」

【せりふ】
E:「そうだっ、城に立て籠(こも)って一戦を交えるべきだっ!」

061 大野 「いや、待て待て。ここで公儀にたてつけば、浅野の本家、それに分家筋の大名、一族郎党みな取り潰しになるのじゃぞ」

「御公儀に怨恨を抱くものとして末代まで祟るかもしれんぞ。ここは素直に城を引き渡し、御公儀に恨みの無いところを見せることだ。そして御舎弟、浅野大学長広様の復帰に期待したほうがよい」

062 N(藩士) 【せりふ】
「生ぬるいっ!公儀が大学様を立てて御家の再興などしてくれるものかっ。我が殿を即刻切腹させた奴らじゃぞ!すぐに江戸藩邸を没収させた奴らじゃ。しかも大学様を領地没収、閉門蟄居(へいもんちっきょ)をさせた奴らじゃ。御家再興など期待する方がおかしいわっ」

「そんなことは腰抜け侍の考えることよ!」

063 大野 「な・・なにっ!」
064 N いままで藩士たちの論議をじっと聞いていた大石が静かに口を開いた。藩士たちの眼が一斉に大石に注がれた。
065 大石内蔵助  「あ・・いや。・・ま、大野殿の意見にも一理あるぞ。徳川の将軍も5代となった。世は安定期に入り戦国の頃の武士の風潮も見られなくなっておる。世は元禄じゃ」

「町人は浮かれ、武士は意地も義もなくなっておる。御家大事と公儀に逆らわぬ方が皆の幸せかもしれぬ」

066 大野 「そう・・そうじゃよ。仕官せずばどうにもなるまい。分配金を皆に渡し次の仕官先を探す方が賢明じゃ」
067 大石内蔵助  「しかし、わしは武士じゃ。武士の意地も貫きたい」
068 大野 「え?」
069 大石内蔵助  「祖父が苦労して築城したこの城をむざむざ渡すのは武士として面目が立たぬ。それゆえ公儀に一矢(いっし)報いるために大手門で腹をかき切る所存!」
070 N 大石の言葉に藩士たちからも意地を鼓舞するように賛成の声が広がった。
071 大野 「な・・何を言われる」
072 大石内蔵助  「それがしに賛同する者はこの場に残られよ。いやな者は分配金を手に去るがよかろう」
073 N(藩士たち) 【せりふ】
A:「よしっ!俺は残るぞ!」

【せりふ】
B:「皆でうち揃って切腹するのじゃ〜っ!」

074 大石内蔵助  「いや、ありがとう。わしは嬉しく思うぞ」
075 N(藩士) 【せりふ】
「暫時休憩に入る。その間に御家老に賛同せぬ者は去れ」
076 N 藩士たちがぞろぞろと、大広間から出てゆく。その中に、城代家老、大野の姿もあった。
077 大野 「しばらくしばらく。大石殿、申し訳ないが私は城を去らせてもらうぞ」
078 大石内蔵助  「残念じゃが、いたしかたありませぬな」
079 大野 「いたずらに死ぬばかりが武士の生き方でもないと思いますのでな。生きて忠義を貫くことも大事と考えますので」
080 大石内蔵助  「人それぞれ、お考えがありますからな」
081 N 4月11日午後 赤穂城、残った赤穂藩士たちを前にして、大石が話しはじめる。
082 大石内蔵助 「さて、皆の前に半紙を用意してござる。こちらに神文誓紙(しんもんせいし)をお書きいただきたい」

「ただし・・・・・殿の後を追って追い腹(ばら)を切るのは一周忌と考えておる」

「まずは殿が恨んだ吉良上野介を殺さねば追い腹を切っても殿にあの世で合わす顔がない。なんとしても殿のご無念を晴らさずば、武士として死にきれまい」

「・・・ゆえに、まず吉良を討つ!」

「しかして、その後(のち)、殿の墓前に吉良の首を供え追い腹をつかまつる所存じゃ!」

「これに異議のない者だけ、血判神文誓紙を出していただきたい!」

083 N 大石の気迫のこもった、心情の吐露を聞き、藩士一同の発した大きなどよめきは、城の大広間を揺るがせた。

残った者から一人の脱落者もなく、74名の血判が内蔵助の前に集められた。

劇 終

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