PLANETES
MORNING KC VOLUME 1
原作 幸村 誠

PHASE 1 屑星の空

001 2068年7月13日、タイ発イギリス行きオーベルト・エアロスペース社のアルナイル8型 高々度旅客機 が高度150kmの大気圏外を順調に飛行を続けていた。

漆黒の宇宙空間に浮かぶプラネットブルーの地球の姿は、見る者の心を圧倒した。

旅客機の船内、乗客は思い思いの格好で、高々度旅客機の飛行を満喫していた。

今、小さな恐怖が大きな悲しみを引き連れてこの旅客機に迫っている事を誰も知る由は無かった。

  ユーリ 「コンパス?何だってまたそんなものを・・・」
  ユーリの妻 「ほっといてよ、お守りだもん」
  ユーリ 「別に悪か無いけどさ」
  ユーリの妻 「宇宙船員(ふなのり)がさ、上も下もない宇宙空間で一番知りたいのは方角なんだって。だからこういうのお守りにするそうよ」
  ユーリの妻がコンパスを大事そうに手に持ってユーリに見せる。
  ユーリ 「何か書いてるな・・フタの内側」
  ユーリの妻 「あーっ、見ちゃだめ」
  ユーリ 「?・・何で?」
010 ユーリの妻 「ふ・・夫婦の間にも秘密って必要だと思うのよね・・」
  ユーリ 「でも今時、宇宙機(スペースプレーン)がこわいのもめずらしいな」
  ユーリの妻 「フンだ」
  ユーリが席を立った。ユーリの妻は不安そうに話し掛ける。
  ユーリの妻 「どこへ行くの・・・ユーリ?」
  ユーリ 「ハハ、一人じゃ不安か?コーヒーもらってくるだけだよ」
  ユーリの妻はなおも不安そうにユーリを見つめる。これから起こる不吉な胸騒ぎを感じているようだった。
  ユーリ 「そんな顔すんなって、どこにも行きゃしないさ」
  N ユーリは妻を座席に残し、後部ドアを開いて後の客室へと入っていった。ユーリの妻は不安な気持ちを抑えようと窓外の宇宙空間に眼をやった。

突然、旅客機の窓に亀裂が走った。硬化ガラスが砕け散り、機内の空気が宇宙空間へ高圧の渦を巻いて吸い出されていった。

それから6年後・・・。西暦2075年。人類は宇宙開発を推し進め、巨大な宇宙ステーションや月面都市を建設するまでになっていた。地球、ステーション、月面の間には旅客機や貨物機が行き交うようになり、人々にとって宇宙は、遠い世界ではなく日常の世界になりつつあった。

この時代、大きな問題となっているのは、宇宙開発にともなって発生するゴミ(デブリ)。使われなくなった人工衛星、ステーション建造時に出た廃棄物などのデブリは、地球周回軌道上を高速でまわっている。2068年に起きた高々度旅客機アルナイル8型とデブリの衝突事故は、多くの死傷者を出す惨事となり、デブリ問題が注目されるきっかけとなった。

  ハチマキ 「エ・・どっち?」
020 フィー 「軌道進行方向に・・・60度・・」
  ハチマキ 「あーあれか」
  フィー 「回収できそう?ハチマキ」
  ハチマキ 「やー無理だな・・でかいかも。俺もユーリもマシンの積載限界とっくに超えてるし」

「落として燃やしちまおうフィー、その方が早い」

  フィー 「そうね、みすみす逃すのもなんだし・・」

「じゃ、まかせるから」

  ハチマキ 「はいよ」
  ハチマキM 『高度210km・・ここはもう立派に宇宙空間だ』

『で、俺の仕事場でもある。「そんな何もない所で・・・」なんて思っているアンタ、間違ってるよ』

『近頃はこんな低軌道にも危険なくらいに粗大ゴミがゴロゴロしてるんだ。使用済み衛星なんか拾っても拾っても、新しいのが直ぐにあがってくる』

  青く輝く地球をじっと見つめるユーリ。その耳にハチマキの声が届く。しばらく呆然としていたが、ユーリは、ふと我に返った。
  ハチマキ 「ユーリ、お〜〜い、聞えるか〜〜〜?おいってば!!ユーリ」

「またか、聞いてたか今の?」

  ユーリ 「ああ、聞いてたよすまん・・今行く・・」
030 ハチマキ 「次から次へと・・・ミョーなもん拾ってきやがって。片づける方の身にもなってみろってんだよ。なあ」

「とりゃっ!とと・・」

  ハチマキM 『俺たちも、このデブリも秒速8km近い速度で地球周回軌道上を飛翔している。そんなスピードで船とデブリがぶつかってみろ、ただの衝突じゃすまない。だから俺たちデブリ回収業者が宇宙を掃除してまわってるわけだ』
  ハチマキは大気圏外から地球の大気圏の中へデブリを蹴落としていく。次々と大気との摩擦の高温の炎に焼かれて消失していった。
  フィー 「対象の大気圏への落下確認」

「すっかり燃えたね。ただのタンクだったし」

  ハチマキ 「やれやれ、じゃ、帰投する」
  フィー 「了解」
  継ぎはぎだらけの船体に大きくTOYBOXと描かれている。ハチマキはその船を眺めて大きくため息を吐いた。
  ハチマキ 『我らが母船DS−12号・・船齢たしか30年・・・オンボロ?わかってるよ。デブリ回収船なんてこんなもんだ』
  船外ハッチから入ってきたハチマキとユーリをフィーの声が迎えた。
  フィー 「はい、お帰り」

「あっためといたから」

040 ハチマキにフィーから投げてよこさされたもの・・それは、バーベキューフレーバーと書かれた宇宙食だった。銀色の包みを破って、固くシート状にかためられたバーベキューらしい味のする物体を口にする。
  ハチマキ 「トンカツ食べたいなーー」
  フィー 「何?」
  ハチマキ 「俺の国の豚料理。きつね色に揚げてさ、ソースたっぷりかけて千切りキャベツ添えて・・」

「断然ロースだね。ヒレは邪道だ」

  フィー 「あるんじゃないのそういう携帯食糧(レーション)
  フィーの言葉はそっけない。
  ハチマキ 「わかってないな、俺は皿に盛って食いたいの!」
  フィー 「船乗りがワガママ言ってんじゃないの。あたしだって3週間もタバコ吸ってないし、ユーリなんて2ヶ月も地球に降りてないんだぜ・・ねえ、ユーリ」
  ユーリ 「ん・・・うん、うまいよバーベキュー味・・・」
  ハチマキM 『このユーリとは2年の付き合いになるけど・・ヘンな奴なんだ。無口だし、ヒマさえありゃボーッと暗黒空間見てるし、有給だってちっとも取ろうとしない。ほっときゃ死ぬまでこの仕事をやってそうな・・・』
050 その時、大きな音とともに、船体がズズーンと重く揺れた。フィーの口がへの字に曲がる。
  フィー 「あーあ、与圧区第5室だ」

「ホレ!行った行った」

  フィーがハチマキとユーリを片手であしらうように追い出した。

与圧区第5室・・その装甲外板に直径1mほどの穴がぽっかり開いて宇宙空間に瞬く星の群れが見えていた。

  ハチマキ 「こいつはハデにやったな・・・」

「どうする?応急処理キットじゃきかないぞ・・・」

  ユーリ 「オレたちの修理じゃどうせエア漏れは防げないな」

「とりあえず業者(おやっさん)がくるまで、板あててパテで固めとくか」

  ハチマキM 『たぶん卵くらいの大きさしかないヤツだろうが』

『あたり方が悪かった、オレたちだってデブリなら何でも拾えるってわけじゃない。あんまり小さいものはセンサで観測できないし、第一効率が悪い』

『たま〜〜にだがそういうのが装甲外板をつらぬいて船体はだんだんボロになる。無力感すら感じるよこう言う時は』

  ハチマキ 「俺さー、船ほしいんだよね。もちろん遠心重力装置付いてるやつ・・・この仕事、金だけはいいからさ」

「頭金までもう少しなんだ・・・言ったっけ?コレ」

  ユーリ 「ああ、何度もな」
  ハチマキ 「ユーリは何でここにいるんだ?」
  ユーリ 「何でって・・・別に・・・・」
060 言葉を濁し、言いよどむユーリの脳裡には高々度旅客機アルナイル8型とデブリの衝突事故で死亡した妻の事が渦巻いていた。
  N(係官) 「現在見つかった遺留品はこれで全部です・・ここにないのなら残念ながら奥様のものは・・・」
  ユーリ 「コンパス・・・なかったですか・・・」
  N(係官) 「は?」
  ユーリ 「いや・・・別に・・・・・」
  操縦席に腰をおろしユーリが写真を眺めている。じっと見入るその目は深い悲しみが込められている。そこへハチマキが入ってくる。ユーリはハチマキに声をかけられ慌てて写真を胸ポケットへしまった。
  ハチマキ 「ユーリ、当直交代だ」
  ユーリ 「お、待ってたよ」
  ユーリと交代しハチマキが操縦席に座る。出て行くユーリにハチマキの軽口が追いかける。
  ハチマキ 「女の写真かー?うらやましーのー」
070 ハチマキM 『なんか知らんけど・・・自分から言わないのは話したくないからなんだろうな・・・』

『お・・・さっそく来た』

  通信機のモニタには、はげ頭の男の顔が大写しになった。
  おやっさん 「相変わらずエエ加減な修理じゃのー・・・船が泣いとるわい」
  ハチマキが船外服に着替え、外に出る準備を始めた。
  おやっさん 「あーー、いらんいらん。当直じゃろ。座わっとれ」
  ハチマキ 「いいんだよ、どうせヒマだし。修理手伝う」
  ハチマキM 『ユーリは仲間だしやっぱ気になるよなあ・・』
  船外でおやっさんとハチマキ。おやっさんがユーリの過去を話し始める。
  おやっさん 「そりゃ、奥さんじゃの」
  ハチマキ 「へえ・・・結婚してんのか・・・ユーリ」
080 おやっさん 「してたじゃ知らんのか」

「・・・そっち持て」

  ハチマキ 「・・た?」
  おやっさん 「6年ほど前かの・・オマエさんがまだ船乗りになっとらんかった頃じゃ」

「ほれ、高々度旅客機がこのチョイ下あたりで事故ったじゃろ。さんざ新聞やらで・・・」

  ハチマキ 「ああ。『アルナイル8型事故』」
  おやっさん 「デブリの衝突が原因らしいのォ・・ユーリは奥さんとあれに乗っとったそうじゃ・・・」

「キャビンは大破、ヤツは船尾にいて助かった・・・奥さんは行方不明じゃ。案外まだ、この宙域のどこかに・・・ん?」

  ハチマキが作業の手を止めじっとしている。
  おやっさん 「ちっ・・・しゃべりすぎたわい・・・」
  ハチマキM 『かくすことないのに・・・』
  数時間後・・ユーリとハチマキが宇宙空間で古ぼけた人工衛星を曳航しようとしている。
  ユーリ 「だめか・・・・ウィンチじゃ固定できないな・・このままじゃ推進軸もとれないし」

「2基で引っ張ってもいいんだがな・・母船がもう少し近づいてくれないと・・・」

090 フィー 「何にしても一度帰投した方がよっそうよ。交差軌道上に小デブリ群あり。接近中」

「傾斜角71・・・72度・・このままだと10分後に接触するかも・・・・聞いてる?」

  ハチマキ 「え!?ああ、了解、帰投する」
  ユーリ 「仕方ない・・出直すか」
  ハチマキがユーリの後ろ姿を追いながらおやっさんから聞いたユーリの妻のことを考えていた。
  ハチマキM 『今もまだ・・・・・この宙域のどこかに・・・』
  ユーリ 「まいったな、推進剤が無駄に・・・」
  ユーリの言葉が途切れるた。青い地球の周回軌道上を回る小さなデブリ。その光る小さなゴミにユーリの目は釘づけになり、まるで吸い寄せられるように機体を進めた。

そのユーリの行動にハチマキは気づかない。

  ハチマキ 「・・・・ユーリ俺さ・・オヤッさんにあんたの奥さんのこと聞いてさ・・・」

「あーー、違うんだ。話の流れでね・・・・探ったとかそんなんじゃ・・・でもさ思ったんだけど・・あんたがこの仕事続けてんのは・・・」

  フィーがユーリの異常行動に気がついた。
  フィー 「エ・・ちょっと・・ユーリ!?」

「ハチマキ!!ユーリが・・・」

100 ハチマキ 「え?」

「!?アレ!?」

  フィー 「デブリが来るわ、そこを離れなさいユーリ!」

「どうしたのわかってるでしょ!?」

  ユーリは暗黒の宇宙空間の中を一直線に向かってくる小さな光るデブリに見入っている。その顔は、切なさではちきれそうだった。
  フィー 「まずい、もう時間が・・・デブリ群の密度はうすいけど・・・」
  ユーリが体を思いっきり伸ばし、手を一杯に差し伸べて掴もうとしているもの・・それは一個のコンパスだった。ユーリめがけて小デブリ群が猛スピードで衝突する。

ハチマキは離れた場所から激突の時の光の明滅によってユーリの衝撃を感じた。

  ハチマキ 「ユーリがやられた!救助する!情報を送れ!」
  フィー 「りょ・・了解!」

「モジュール大破!!スーツ内気圧正常。ライフパック及びバッテリ作動正常無線作動正常」

「心拍異常、呼吸異常、意識不明、コールに応答なし」

「衝突の影響でベクトルに変化軌道を離れます・・・・・大気圏に・・・・!」

「・・・落ちる」

  ユーリの体が重力に引っ張られ、ぐんぐんスピードを上げ大気圏に接近していく。
  フィー 「高度130km、125・・120・・・・スーツ内温度上昇!はやく!」
  ハチマキ 「起きろ!ユーリー!」
110 ハチマキが叫ぶ。その声は音として宇宙空間に広がる事はない、しかし、ユーリの胸に熱いハチマキの声が響いた。
  ユーリM 『・・・・誰かが呼んでいる・・・あたたかい・・・どこだっけ、ここは・・・エー・・・と・・・何をして・・・・』
  ユーリの脳裡に不安そうに見つめる妻の顔が浮かんだ。
  ユーリM 『ソンナ顔スルナヨ・・・』

「どこにも行きゃしないさ・・・・今度こそ・・・」

  堕ちて行くユーリの手を暖かい妻の手が捕らえた。はっと気づくユーリ。

宙空で、呆然とその手を掴んだものの感触を実感していた。

側で、必死の形相で手を差し伸べて叫ぶハチマキの姿がある。

  ハチマキ 「ユーリ!左手を出せ・・ひだり!遊んでる場合か!」
  ユーリはハチマキの声に誘導されるように機体の取っ手を掴んだ。
  ハチマキ 「収容したァ!離脱誘導たのむ!熱でジャイロがいかれちまった!」
  フィー 「摩擦で機速が落ちてる!対地角度5.5!出力最大、現在質量は・・・・・」
  突然、地磁気の影響を受け、フィーからの誘導通信が乱れ、通信機から激しいノイズが流れる。
120 ハチマキ 「くっ!上等だこのォ!!自力で上がってみせらあ!!」
  機体につかまったユーリの手には妻のコンパスが握られていた。妻が恥ずかしがってユーリに見せなかったコンパスの裏の文字・・。妻のたった一つの大きな願いのこもった文字がしっかりと刻印されている。
  ユーリの妻の声 『ユーリを守って・・』
  ハチマキ 「くそったれエ・・!!」
  ユーリの妻の、魂の叫びに応えるかのようにハチマキが機体を引力圏から引き剥がしていく。

母船DS−12号、通称TOY BOX。フィーが窓の外を眺めている。どこかしら沈んでいる。そこへハチマキもやってきた。はっとしたように我に返る。

  ハチマキ 「ああ、見るのか、そこから」

「さすがにさっきは冷や汗かいたよ」

「けど、ちょっと寂しいね・・奥さんの弔いにたった一輪なんて・・・・」

  フィー 「私だって花束あげたいわよ。でも、ま、商売上ね・・・・」
  ハチマキM 『いままでさんざんデブリを拾ってきたんだ。造花の一本くらい大目に見てやってもいいだろう』
  フィーとハチマキの視線の先、漆黒の宇宙空間にユーリはいた。宇宙服に身を包み、左手に白いユリの造花を一輪持っている。

ユーリは左腕のノズルから炭酸ガスを噴出し、制動をかけて浮遊すると、手に持ったユリの花を静かにそっと宇宙空間に流した。じっと見送るユーリ。

やがて意を決したように、くるりと背を向ける。

  ユーリ 「終った、帰投する」
130 ユーリの手を離れたユリの花は静かに緩やかに漂いながら、だんだん小さくなって、宇宙の闇の中へ溶け込んでいった。

劇 終

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