高橋留美子 人魚シリーズ

人魚は笑わない

001 真夏の熱い太陽がに照りつける砂浜を、汚れた身なりの青年が地図を片手に歩いている。夏のビーチには似つかわしくない格好である。

青年は野摺崎(のすりざき)を目指していた。青年は探し物をしているらしい・・。山に囲まれ、海っぷちは岩だらけで船も近づけない陸の孤島のような場所にいったい何があるというのだうか。

野摺崎に夕日が沈む。真っ赤な血の色をした夕日である。

  ばば 「真魚(まな)さま、ほんに美しゅう育たれた。ばばは嬉しゅうございますぞ。今までお守りしてきた甲斐がありましたわい。」

「今が一番美しい時じゃ・・・」

  真魚 「やかましいっ!毎日毎日同じ事を!!」
  真魚と呼ばれた少女は、激しく感情を昂ぶらせ、食べていた椀を投げつけた。

一人床に入り想いに浸る真魚、昔のことを思い出していた。

  真魚 《子供の頃はそれでも、ばばに抱かれて屋敷の外に出られた・・・》
  ばば 《この里は周りが山で囲まれておりますほどに・・わしらは一歩もここから出ることがありませんのじゃ》

《真魚さまがすっかり大きゅうなられたので・・もはやばばの力では抱き上げて差し上げれませぬ》

  真魚 「歩きたい・・・・」
  夜、里の一軒家に女たちが集まっている。ばばを中心に囲むように座っている。電灯は無く、蜀台の灯が紅く揺れていた。
  ばば 「真魚さまも15になられたゆえ、この中の一人に逝んでもらわねばならぬ。」

「鮎。ぬしの番じゃ・・そなたがこの中で一番長く生きた・・・よいな、今宵・・」

010 鮎と呼ばれた娘が返事をする。どうみても20歳くらいの若い娘である。周りをとり囲む年寄りたちに比べたらその若さは歴然である。

海のほこらの洞窟の中、鮎が着物を脱ぎ、水の中へ入っていく。老婆たちは銛(もり)で鮎の体をめった刺しにした。鮎の絶叫が夜空にこだました。

鮎の死体には足がなかった。かわりに腰から下には魚のようなひれがあった。老婆は鋭い包丁で、その肉を殺ぎ落としていく。

  真魚 「何の肉じゃ・・」
  ばば 「珍しい魚が獲れましたほどに・・」
  真魚 「美味い・・・こんな美味い魚は初めてじゃ・・」
  真魚が一口、口へ頬張る。ばばがじっと口元を見つめている。
  真魚 「人が飯食っとるのがそんなにめずらしいか!!」
  あの男が山に入ってきていた。老婆たちが慌しくなる。
  湧太 「なんだこりゃ・・・刃物の跡じゃねえか。人がいるんだ。」
  ばば 「何しに来た・・」
  湧太 「別に怪しいもんじゃねえよ」
020 ばば 「迷い人か?」

「仲間はおるか?ぬしが居なくなって探す奴はおるか?」

  湧太 「?・・いねえよそんなの。俺は一人っきり・・」
  言い終わらないうちに、老婆の持つ銛(もり)が男の腹に突き刺さる。他の老婆たちも続けて男の全身を刺し貫いた。男は全身血だるまになって、地面に転がっている。
  ばば 「死んだな。”なりそこない”の穴に放り込んでしまえ。骨も残らず食われてしまうじゃろう。」
  ほこらの穴へ放り込まれる。落ちた男の側に、昨日殺された鮎の死体が転がっていた。

陽が沈み、里に夜がやってきた。男の死体は、放り込まれたときと同じ格好で転がっている。その時、ぴくっと指先が揺れた。男が眼をあけた。

  湧太 「う・・・くそっ、あの婆あども・・俺の一張羅、穴だらけにしやがって・・・ここは一体・・」
  男の眼に死んだ鮎の姿が映った。あわてて走り寄る。
  真魚 「外に・・・出られるのか?」
  ばば 「はい。この輿にお乗せして・・・」
  老婆たちは真魚の両腕を取り、輿に乗せようとしている。そこへ死んだはずの男が鮎の死体を肩に乗せて屋敷に乗り込んできた。
030 ばば 「おっ・・おぬしは・・死んだはず・・」
  湧太 「よお!さっきは世話んなったなあ。・・いろいろ文句も言いてえが・・聞かせてもらいてえ事があってな」

「人魚のことをよ!」

  男は鮎の死体を老婆に向かって投げつける。死体は真魚の目の前でバウンドし布団に沈んだ。
  真魚 「無礼者!何をするか!」
  その時、背後から銛が突き出される。老婆たちが手にてに銛を持ち襲ってきたのだ。
  ばば 「こっ殺せっ、早く!!」
  湧太 「ったく・・・何考えてるんだよお前ら!」

「殺人罪で警察にしょっ引かれっぞ!」

  ばば 「くっ・・来るな!」
  湧太 「どけよ、くそババ!」
  男はばばを蹴り倒し、真魚の首を締め上げる。
040 湧太 「おとなしくしな!」

「どうやら、茶を飲んで話し合うっていう雰囲気じゃねえなあ。」

  ばば 「は、放せっ!!真魚さまに触れてはならん!」
  湧太 「そうはいかねえ。この嬢ちゃんは人質にいただいていくぜ」
  男は布団をめくり上げた。そこには足かせをはめられた真魚の脚があった。
  ばば 「なっ・・なにをするっ!」
  湧太 「こうするんだよっ!」
  男は真魚を背負うと、着物の帯でしっかりと落ちないように縛り付けた。
  湧太 「あばよっ!」
  ばば 「真魚さま!」
  真魚 「おろせっ!きさま!」
050 湧太 「よさねえかっ!死んだらどうすんだ!」
  男は真魚を背負って逃げる。老婆たちは銛を片手に追いかけてくる。老婆の投げた銛が真魚の頬を掠めた。頬がざっくりと裂け、血が流れ出す。
  湧太 「なんだあ、あいつら!おめえも一緒に殺すつもりじゃねんのか!?」
  ばば 「返せーーーっ!!真魚さまを返せーーーっ!!」
  男と真魚は、ほこらの洞窟の中に居た。男が真魚の足かせをはずしている。
  湧太 「ものごころついた頃から足かせはめられっ放しだって・・・?まったくどうなってんだよ・・・」
  真魚 「う・・」
  湧太 「痛えか。もうちょっとの辛抱だ」
  足かせが外れた。真魚の着物のすそを破り血のにじんだ脚に巻いてやる。
  湧太 「顔もなんとかしなくちゃな・・。潮水だからちょっとしみるぜ」

「ひでえな・・・血だらけじゃねえか。」

「なんだ・・・血の割にゃたいした傷じゃねえや。すぐ治るぜ」

060 真魚 「・・・これからどこに行くのだ・・」
  湧太 「どこにも行かねえよ」

「やっと人魚を見つけたんだからな・・」

  真魚 「人魚・・?」
  湧太 「死んでたけどな」
  真魚 「ああ、あの首の無いやつか・・」
  湧太 《おっかねえ女・・・》
  真魚 「人魚・・を見つけてどうするのだ」
  湧太 「俺は人魚の肉を・・・食ったんだ・・・何百年も前の話さ・・」

「俺は漁師だった・・・ある日仲間が・・・奇妙な肉を拾ってきてな・・・人魚の肉は不老長寿の妙薬だってんで、おもしろ半分に食っちまった・・・ところがだ・・一人死に・・・二人目も翌日血を吐いて死んだ・・・」

「肉を食った仲間が次々死んでいった・・・俺は恐かった・・・」

「でも・・・俺は死ななかった・・・女房もらって人魚の肉の事なんか忘れて暮らしてた・・・二十年すぎて女房が言った・・・俺が怖いって。女房はどんどん年老いていくのに俺だけ若いまんまだった・・・」

「俺は村を去り・・・人魚を求めて何百年もほっつき歩いてたってわけさ」

「信じてもらえねえかも・・・何だ・・寝ちまったのか・・・人が真面目に身の上話してるってのによ・・・」

  真魚は眼を閉じ考え事をしている。
  真魚 《何故だ・・・何故、わたしに銛を打ち込んだ・・・・》
070 ばば 《真魚さまはわしらの宝じゃ。命に代えてもお守りもうしあげますぞ》
  真魚 《わからない・・・わたしが死んでも構わないというのか・・・》
  洞窟の奥から唸り声のような泣き声のような、なんとも切ない声が響いてきた。洞窟の奥に現れた影は両眼から涙を滴らせていた。飛び出してきた異形の化け物に男は銛を打ちつける。しかし、その化け物は一向にひるむ様子もなく二人に迫ってくる。
  湧太 「だっ・・駄目だ、こいつ・・・・ぜんぜん答えてねえっ!」
  真魚 「無駄だ。こいつを殺すには毒を使う他ない」
  湧太 「毒!?そんなもん・・・」
  その時、里の女が洞窟の穴から滑り降りてくると、毒のついた銛を化け物に打ち込んだ。女は化け物の反撃にあい胸元をざっくりと裂かれてしまった。化け物は銛を体に刺したまま、洞窟の奥へと消えていった。
  湧太 「同じだった・・・」
  真魚 「同じ・・・?」
  湧太 「人魚の肉を食って化け物になっちまった仲間と・・さっきのあれは、同じだ・・」

「・・・とにかくここは出たほうがよさそうだ・・・この姉ちゃんも、手当てが早けりゃ助かるだろうし・・」

「ちょっと待ってな。運び出したらすぐ来るから・・・」

080 真魚 「一人で歩く・・・」
  真魚は両脚に力をこめてよろよろと立ち上がろうとしている。
  湧太 「無理だ。お前、十何年も足かせかまされてたんだろ。歩くどころか立つことだって・・」
  真魚が一瞬、よろけながら自分の脚で立ち上がった。・・が、すぐに尻をついてしまった。
  湧太 「いいか、俺はこの女を村に運ぶ。ここでじっとしてんだぞ。・・・といっても動けねえだろうけどな」
  ばば 「真魚さまはどうした・・」
  湧太 「銛を引っ込めな。俺を殺したら、真魚さまの居場所がわかんなくなっちまうぜ」
  ばば 「誰か、鰍(かじか)の手当てを」
  女たちが寄ってきて、傷ついた娘を連れて行く。
  湧太 「奇妙な村だぜ実際・・・女ばっかり・・しかも、よく見ると・・似たような顔のばあさんがごろごろ・・・気持ち悪い・・」
090 ばば 「ぬしは何者じゃ。人魚を捜してどうしようというのだ」
  湧太 「悪いなあ、茶まで出してもらっちまって」
  男は床に湯呑を叩き付けて割った。
  ばば 「・・・毒なぞ入っておらんぞ」
  湧太 「ああ。入れたって無駄だ」
  男は湯呑のかけらを取り、それを腕に押し当て引いた。腕に赤い線が走る。そこから血が流れ出すが、その傷は見る間に薄くなり消えてしまった。
  ばば 「おぬし・・・人魚の肉を食ったのか・・・」
  湧太 「普通の人間に戻りてえんだ」
  ばば 「人魚に会えばなんとかなると・・・?」
  湧太 「そう聞いた」
100 ばば 「不老長寿がそんなに辛いか。死にたければ首を落とせばよい。人魚になぞ会う必要はないわ」
  湧太 「冗談じゃねえや。俺は普通に年取って老衰で死にたいと言ってるんだ」
  ばば 「真魚さまはどこにいる」
  湧太 「・・知ってるんだろ、人魚の居場所を・・」
  その頃、真魚は歩けぬ足で必死に立って歩こうとしていた。
  真魚 《歩けるはずだ・・立てたんだから・・・》

「うっ・・・」

  真魚はよろよろと木の幹に寄りかかりながら立ち上がった。まだ足に力が入らないが、ふらつきながらも自分の足で歩くことができた。
  真魚 「歩ける・・・歩ける!」
  湧太 「真魚さまってのはおめえらの何なんだ?足かせなんかかましやがって」

「ほら穴ん中の”なりそこない”・・・あれは人魚の肉を食った人間のなれの果てだろ。違うか?」

  ばば 「ほお。色々としってるようじゃな、小僧」
110 湧太 「なめんなよ、おらあ今年で五百歳だ!」
  ばば 「真魚さまは・・”若さ”じゃ・・この村の女の”若さ”なんじゃよ・・・」

「人間が人魚の肉を食ろうて不老長寿になるように、人魚は人間の肉を食って、若く生まれ変わる」

  湧太 「なんだと・・?・・この村のばばあどもが、人魚・・?悪い冗談だぜ」
  ばば 「食らうのはただの人間ではない・・人魚の肉を食って不老長寿となった娘・・」

「我らはそのために数十年に一度、人里に降り、女の赤ん坊を手に入れてくるのじゃ」

「しかし、人魚の肉は恐ろしい毒でもある。たいがいの娘は激しい”変化”に耐え切れず、あるいは死に・・・例え死を免れても”なりそこない”となって・・あさましい姿で、永遠に生きることとなる・・・」

  湧太 「何てことを・・それじゃあの穴の中の化け物は・・」
  ばば 「真魚さまは完璧じゃ・・・」
  湧太 「つまり・・・真魚さまは、てめえらの食用に飼育されてたってわけかい・・・?」

「胸くそ悪い!」

「・・・となれば真魚を、てめえらに返すわけにゃいかねえな!」

  真魚 「はっ放せっ、何をする!」
  その時、真魚の声が響いた。家の外に里の女たちに縄で縛られた真魚の姿があった。
  湧太 「真魚!どうして・・・」
120 男は驚いた。真魚に気を取られ、背中を無防備にばばの方へ向けてしまった。太い銛が男の背中から腹へと貫通した。
  湧太 「ぐっ・・!」
  ばば 「気の毒じゃがな・・・普通の人間に戻る方法なぞ有りはしない」
  湧太 「な・・・」
  ばば 「人魚に会えば何とかなる・・それは・・人魚の毒を用いれば死ねると言うことじゃ。人魚の屍を毒草の中で腐らせて作った毒・・・それ、その銛にたっぷりと塗りこんである」
  真魚 「放せっ!!放せーっ!!」
  湧太 「くっ・・・こんな所で・・死ねるかーっ!!」
  男は戸板で女たちを殴りつけ、真魚を抱きかかえると、そのまま家に火を放って逃げ出した。身体にはまだ銛が打ち込まれたままである。
  ばば 「慌てずともよい。ゆっくり血の跡を辿ればよい。あの男、そう長くはもつまい」

「真魚さまは一人になれば赤ん坊同然。この村から抜け出すことはできぬわ」

  真魚 「私の肉を食う・・?信じられない・・・」
130 湧太 「俺だって・・・信じたくねえよ・・・あの小汚いばあさんたちが人魚だってことは・・・もっと信じたくねえや」

「夢も希望もねえ・・」

  男ががっくりと膝をついた・・息が上がり肩で息をしている。とても辛そうである。
  湧太 「ハアー・・ハアー・・どこか・・・・隠れるところを・・・」
  ほら穴へ降りて行く二人。奥から潮の香りがする。
  湧太 「また・・・なりそこないとご対面なんてことにならねえだろうな・・」
  真魚 「別の穴だろう・・」
  湧太 「このあたりの・・・穴は・・みんな海に繋がってるんだなあ・・」
  真魚 「ああ・・・だから・・・満月と新月の夜には穴の中に潮が満ちて・・なりそこないたちが追い上げられて哭くのだと・・ばばが言っておった」
  湧太 「・・・押してくれ・・・銛を抜く・・」
  男は銛の柄の先を岩肌に当てると真魚に身体を押させた。ズブズブと銛の柄が男の身体を滑っていく。やがて男の身体が岩肌に突き当たり、銛はごとんと抜け落ちた。
140 湧太 「よ・・・よ〜〜し・・次は・・毒を吸い出してくれ・・・」
  真魚 「死んだのか・・?」
  男が静かな寝息を立てている。真魚は安心した。時間が流れる。洞窟の奥でなりそこないの哭き声が小さく響く。
  真魚 「なりそこない!?・・・穴が・・・通じている・・」
  里の女たちは、真魚を捕まえるため、山腹の湖の水門を開けることに決めた。その水を穴に流し、海への出口で待ち構えることに決めたのである。

山腹の水門が開かれ、山を伝って大量の水が流れてくる。それは家を飲み込み、木を押し倒し、村を押し流していく。

二人の居る穴の中に水が流れ込んでくる。水に飲み見込まれた二人は流れに押し流されていく。穴の出口では、里の女たちが人魚に姿を変え、待ち構えていた。女たちは真魚へかぶりついていく。男は持っていた銛で、次々と人魚を突き殺していく。

岩場にうちあげられて気を失っている真魚に銛を持ったばばが迫る。銛を真魚の首筋に当てる。真魚の意識が戻り、ばばの首をねじ上げる。

  ばば 「食われてしまいなされ・・・」
  湧太 「ばばあ、てめえ!」
  ばば 「生き延びて・・そして、どうなります・・・」
  真魚 「食われて・・たまるかーっ!」
  ばば 「永遠に生き、人と交わる事もなく、さ迷う苦痛に比べたら、今ここで死んだほうがどれだけ楽か・・・」
150 真魚 「私は生きる!殺されてたまるか!」
  ばば 「もう手遅れか・・・」
  波打ち際でバシャバシャと苦しそうにもがく沢山の人魚の姿があった。
  ばば 「人魚の本性に戻り、真魚さまを食えなんだこいつらは・・・もう人の姿には戻れぬ・・・」
  湧太 「・・・ばあさんは何で食いに来なかったんだよ」
  ばば 「それは・・・わしがおぬしらと同じ・・・人魚の肉を食らった人間だからじゃ・・・」

「この老いぼれが生きる場所は・・ここしかなかった・・人魚とともに・・何の楽しみも・・笑うことも悲しむこともなく・・ただ生きるしか・・・」

  湧太 「真魚は・・・連れてくぜ・・・」
  ばば 「わしはこいつらとここにいる・・朽ち果てるまで・・・」
  高台の上、男と真魚が街を見下ろしている。
  湧太 「人生たまにゃ楽しいこともあるもんだぜ。長すぎて人生なんて呼べる代物じゃねえけどな」
160 真魚 「つらいこともあるか・・・」
  湧太 「たまにな・・なんにしたって・・飽きるまで生きて見るってのも、悪くはねえよなあ」

劇 終

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