星野之宣

自薦短編集 宇宙編より

【残像】

日下(40過ぎ)回想日下(20代)
回想鏡子(20代)
女(40代)

001 日下(モノローグ) 『地球から月への旅は21世紀の現在でもけっして短いものではない。わたしが、むりやり時間を割いて月へおもむく気になったのは、ある事件のためだった』

『一週間前にひとりの女が月で死んだ・・・・。月面で作業中に至近距離に小型の隕石が落ちたのだという』

『彼女の名は、日下鏡子(くさかきょうこ)41歳・・・・。月の地質調査のために月面基地(ムーンベース)に20年近く駐在していた』

『そして彼女は・・・地球にいた頃はわたしの妻だった女だ・・・・』

『・・・・もっとも。妻とはいっても契約結婚で3年間だけのことだった。それ以来、わたしはいろいろな女たちと10回も結婚したし、今では鏡子の顔さえ思い出すことが出来ない始末だ』

『なにしろ20年が過ぎ去ったのだ・・・・』

『わたしが月へやって来たのは少なくとも彼女の死を悲しむためではなかった・・・・』

『鏡子の遺品の中から発見された一枚の写真・・・・』

002 日下 「推定2億年前の地球・・・」
003 司令 「2億年前の地球の写真なんだよ。大陸が分裂移動する前の古代超大陸バンゲアがはっきり写っている。しかも、どう分析しても合成写真じゃない本物なんだ」

「いったいどう考えれば良いんだ?恐竜どもがカメラを持っていたというのか・・・?」

004 日下 「明治時代に月の裏側を念写した人間がいたようですよ、司令・・・。超能力かタイムマシンでも使わなければこんな写真は撮りようがないはずだ」
005 司令 「とにかく、日下くん。きみは宇宙写真専門の高名なカメラマンだ。ぜひ調べてほしい。いったい誰がどんな方法でその写真を撮ったのか・・・」
006 日下(モノローグ) 『そして・・・このありえないはずの写真を、なぜ鏡子が持っていたのか・・・・』
 
007 「あなた、鏡子の20年前のハズだった人でしょ?話を聞いたことがあるわ」

「あたしは鏡子と同じ地質研究をやっていたの。最近は彼女、何か別のことに熱中してるようだったけど」

008 日下 「別のこと?」
009 「よく知らないわ・・・隕石孔のガラス生成物か何かよ」

「見て・・・・あれが鏡子の希望・・・・死んだら月に埋葬してほしいって・・・・変わってたのね・・・」

「月に来てから20年間、一度も結婚してないのよ」

010 日下 「・・・・・え?」
011 「彼女はずっと、日下鏡子だったってこと。ふふ・・・ひょっとすると、あなたのことが忘れられなかったのかもね・・・」
012 日下 「まさか・・・」
 
013 鏡子(回想) 『月になってしまいたい!』
014 日下(回想) 『おいおい鏡子!』
015 鏡子(回想) 『あなたの月になって、いつまでもそばをぐるぐるまわっていたい!』

『金星で、いい写真撮れた?』

『3ヶ月もかかるなんて思わなかったわ・・・』

『おかえりなさい。あなた、おかえりなさい』

016 日下(回想) 『ははは・・まるで子供だな』
017 鏡子(回想) 『今度はゆっくりしていられるんでしょ?ね!?』

『カーテンかえたのわかった?』

『そうそう来週はね・・・・』

018 日下(回想) 『来週からは、木星へ行く準備を始めなきゃならないんだよ。鏡子・・・・』

『ごめんよ・・・・今度は半年くらいかかるかもしれない』

 
019 日下(モノローグ) 『あの頃、わたしは駆け出しの宇宙カメラマンとして太陽系を飛びまわっていた・・・鏡子との3年間の生活は、実質その半分ほどだったかもしれない。わずか1年半の生活を20年も忘れずにいられるはずがないではないか・・・・』
020 「鏡子はここで死んだのよ。この小型のクレーターがそのときの・・・・」
021 日下 「月面で隕石に遭遇するのは宝クジ並みの確率だった・・・・ついてなかったな鏡子・・・」

「おそらくあの写真は月面から撮影されたものだ。鏡子が仕事をしていた場所に何か手がかりがあるかもしれん・・・・」

022 「そこだわ」
023 日下 「これは・・・・まるで古代の遺跡を慎重に調査していたみたいだな・・・そうか、ここも古いクレーターの中なんだ」

「・・・・なるほど、これがガラス生成物か・・・・さっきのクレーターにも無数にころがっていた」

024 「隕石が落ちた時の摩擦熱で隕石成分が溶け合ってできるガラス状の物質よ」

「今と同じように月面が夜の場合、溶解物質が急速に冷やされるからそういうものができるの」

025 日下 「夜にしてはずいぶん明るいんだな」
026 「地球光のせいだわ」

「太陽の光が地球全体に反射して、いわば『満地球』ね。地球で見る満月の70倍以上の明るさだそうよ」

「鏡子の使っていた作業船よ・・・・内部は無事だったわ」

027 日下 「例の写真はここで見つかったのか?」
028 「私物入れの中からね・・・」

「あらあら、文学書ばっかり・・・・彼女は地質学なんてガラじゃなかったのね。捜せば『マーガレット』でも出てくるんじゃないかしら』

029 日下 「あの船内コンピュータはまだ生きてるのかね?」
030 「トゥシューズ・・・?小さな・・・・・」
 
031 日下(回想) 『ひいおばあちゃんが・・・・?』
032 鏡子(回想) 『そう昭和生まれの、わたしのひいおばあちゃんがねえ・・・わたしが生まれた時、この子はバレエをしたらいいって・・・そう言ったんだって』

『おかしいわよねえ、生まれたばかりの赤ン坊にひいおばあちゃんがそんなこと・・・・』

『すこし大きくなって、その話を母から聞いたとき、このトゥシューズをねだって買ってもらったの』

『もしかして、ひいおばあちゃんは何か霊感のようなもので予言してくれたんじゃないかしらって・・・・』

『もしかして、ほんとのわたしはバレエの天才児だったんじゃないかしらって・・・・・ふふふ、そんなことを空想してたのね』

『そのくせ一度もバレエなんかしなかったのよ。あきらめてしまうのね、わたし。夢は夢のままで・・・・。なんだか何もかも手遅れのような気がして』

『人間って必ずどこかに運命の別れ道があるんじゃないかしらね・・・・それを踏み違えてしまうとどんどん別なほうへ行ってしまう・・・もう二度と、とり返しがつかないほうへ・・・・』

『悔いや未練や名残のようなものだけがいつまでも残されて・・・・』

『だからね、もしもわたしたちに子供が生まれたら・・・・これを見せてあげるの。自分の道は悔いのないように見つけなさいって・・・』

033 日下(回想) 『ははは、冗談じゃないよ。鏡子、子供なんて契約違反だ!たったひとりの相手と一生の家庭をもつなんて時代じゃないんだ』

『お互いのいやなところが見えてくる前に、さっさと別れて、別の相手を見つける・・・それが最初の約束だっただろ?』

 
034 日下 「はっ!・・・ぼんやり押していた。ボタンがコンピュータを作動させたらしい・・・・これは・・・?」

「二酸化ケイ素、酸化リチウム、酸化カリウム、酸化アルミニウム・・・・?」

035 「たぶん例のガラス物質の組成表だと思うわ。シャーゴッタイト系の隕石成分と月面岩石の成分が混じり合ってる」
036 日下 「まてよ・・・・・こ・・・・この組成は・・・・!?」
 
037 「どういうことなの?鏡子と同じようなロープをはりめぐらして・・・」
038 日下 「できるだけ正確な区画をつくるんだ。ガラス物質の位置を動かしてはいかんぞ」

「鏡子もあの組成を調べて気づいたに違いない。これはまさしく大発見だ」

「よし、あとは区画に沿ってガラス物質をこのビデオカメラで撮ってゆくんだ。一区画、一コマずつ・・・・」

039 「教えてくれてもいいでしょ?そのガラス物質が何だというの」
040 日下 「感光性ガラスだ!」

「これでもわたしはカメラマンだからな。感光性ガラスの成分くらいは知ってる。このガラス物質の組成は感光性ガラスのそれと酷似してたんだ」

041 「感光性・・・・そ・・・それじゃあ・・・!?」
042 日下 「・・・それは3つの条件が重ならなければならなかったはずだ。第1は地球が太陽光をうけて最も明るく輝いていること。第2、月は逆に夜の状態で表面が冷えきっていること。そして、第3は二酸化ケイ素や酸化カリウム等を含むシャーゴッタイト系の特殊な隕石!」

「隕石直撃のエネルギーは隕石の成分と岩石成分を溶かし吹き飛ばす!散乱した熱い破片は急速に冷やされ・・・球状のガラス物質に固まるその一瞬・・・その一瞬だけ、無数に散りばめられたそれらは感光性ガラスとして一種のフィルムと化す!」

「そしてしっかりと焼きつけるのだ。満天の星座を圧して、煌々と輝く地球光を・・・・数十億年にわたってそれはひそかにくり返されてきた天然の写真メカニズムだったに違いない」

「もちろんガラス物質に写っている映像は断片的でひとつひとつには意味がない。だが、このビデオテープをあのコンピュータにかければ・・・おそらく手順はすでに鏡子がプログラムしているはずだ。ばらばらの映像をひとつにまとめ補完。再処理して一枚の写真ができあがる・・・」

043 「月が写真を撮っていたなんて・・・何十億年も前からただ地球の姿だけを・・・」
044 日下 「大気のない月世界だからこそ映像は風化されることなく保存されていたんだ。捜せばまだまだ太古の地球の写真が見つかるだろう」
045 「鏡子ならば考えたかもしれない・・・・このことは誰にも言わずにそっとしておいてあげないと・・・・」

「月がひっそりと刻みつけてきた地球の面影・・・・それは月だけのものだから・・・と」

046 日下 「よし、このビデオテープをコンピュータにかければ一週間前の地球が再現されるはずだ」
047 「日下さん・・・・月から見る地球は美しいと思わない?」
048 日下 「え?」
049 「この不毛な月に比べてあんなに青く明るく生命に満ちて・・・・私たち月面基地の人間は、一日に何度も地球を眺めるのよ。そうしないではいられないの」

「人が月へ来るのは地球を忘れたいためじゃない・・・忘れたくないから来るものなのよ」

「鏡子はあなたのことを愛していたと思うわ。20年間ずっと・・・・」

050 日下(モノローグ) 『3年間の生活が終ったあと、鏡子は月面基地の駐在員を志願して月へ旅立った・・・そうだ、あの別れのとき・・・・・わたしに向かって何か叫んでいた・・・何だろう・・・?轟音にかき消されて届かなかった叫び・・・・何だったのだ・・・何をわたしにうったえていたのだ?鏡子!』
051 鏡子(回想) 『人間って必ず運命の別れ道があって・・・それを踏み違えてしまうとどんどん別のほうへ・・・・』

『悔いや未練や名残のようなものだけがいつまでも残されて・・・・』

052 日下(モノローグ) 『鏡子!!』

『それはまるで地球光の中で踊っているように見えた・・・』

053 「き・・・・鏡子だわ!隕石爆発で吹きとばされた鏡子の姿が・・・・・」
054 日下(モノローグ) 『仮説は正しかった。ガラス物質は隕石落下直後の光景を写していたのだ』

『・・・・月はしだいしだいに地球から離れているのだという・・・やがてはるか未来には二度と手の届かぬ宇宙の彼方へ去っていくのだろうか』

『いくつかの地球の面影を胸に秘めたまま・・・・鏡子はそれを望んだのか』

 
055 「言わないでおこうと思ってたんだけど・・・」
056 日下 「え?」
057 「ここは育児室・・・子供の世話をしてる女性が見えるでしょ?」

「あの人もここで生まれ、育ったのよ」

「名前は日下瑠奈(くさかるな)・・・鏡子が月へ来てすぐに生んだ娘・・・・つまり、あなたの・・・・」

058 日下(モノローグ) 『そこに鏡子がいた・・・・かつてわたしが愛した女・・・・鏡子がそこにいた・・・・』

劇 終

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