ガラスの仮面
コミック 第13章 ふたりの阿古夜 46巻より

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001 ナレーション 演劇史上不朽の名作と謳われる「紅天女」
上演権を持つ月影千草が事故で引退した後は幻の名作となっていたが、千草は北島マヤと姫川亜弓のどちらかを後継者にすると決めた。
後継者を決める最終審査は2つのグループでの「紅天女」試演。マヤと亜弓は紅天女の里で千草から特訓を受け、紅天女の心を知るための課題「風(ふう)」・「火(か)」・「水(すい)」・「土(ど)」の演技に取り組み、その成果を梅の谷での発表会で披露した。
二人の演技の後、最後の「紅天女」を演じた千草は、マヤと亜弓それぞれが自分自身の思う新しい紅天女を造り出すように告げる。
紅天女の視点を掴もうと懸命の北島マヤは、速水真澄の婚約者・鷹宮柴織に罠を仕掛けられ、真澄との間に深刻な亀裂が生じてしまった。

マヤの練習所、キッドスタジオ。そこに届けらた紫のバラの人からの手紙。それと一緒に送られたダンボール一杯の荷物の中に入っていた物はびりびりに引きちぎられたマヤの写真だった。
  北島マヤ 『前にプレゼントしたあたしの舞台写真のアルバム・・・!なぜ・・・!?紫のバラの人・・・!!』

『女優としてのあたしに失望・・・!?・・・どうして今になって・・・!?』
『見限られたんだ、あたし・・・!紫のバラの人に・・・!!』
『初めて舞台に立ったときからあたしのファンだったこの人から・・・!今までどんなことがあっても変わらずっと見守り続けてくれていたのに・・・!!』
  ナレーション マヤは悲しみのあまり練習所を飛び出していく。後を追おうとする桜小路を黒沼が止めた。
  黒沼先生 「やめろ!桜小路!追うな!」
「今は放っておけ!下手に同情などするな!余計傷つくぞ!」
「役者にとってどんな経験も無駄はない。いつか自分の中で発酵して忘れた頃、演技に生きてくることもある。今はそっとしておくことだ」

「ふうむ・・・それにしても妙だな・・・解せん・・・」
  ナレーション 黒沼は床に散らばったびりびりに破られたマヤの写真を拾い上げ首をかしげた。

大都芸能 本社ビル。社長室。
  速水真澄 「脅迫電話?」
  水城 「ええ、今日だけで12本・・・。コンサート会場に爆弾を仕掛けてやるとか、グループのメンバーを事故にあわせてやるとか・・・。前にお話した北斗プロの嫌がらせかと・・・」
「速水社長もお気をつけください。ロックグループを引き抜いたのも、あなたのご命令なので」
  速水真澄 「わかった。気をつけよう」
  水城 「あら!もうこんな時間・・・!社長はどうか会議室へ。重役たちが待っていますわ」
010 速水真澄 「うむ、君はすまないが・・・」
  水城 「柴織さまですわね。代りに行ってまいりますわ」
  ナレーション 小長内(おさない)美術館。展覧会会場
  鷹宮柴織 「えっ?真澄さまが急な会議でいらっしゃれない?」
「まあ・・・!ご一緒にこの展覧会を見たかったのに・・・」
  水城 「申し訳ございません。今日はわたくしが代わりに」
  鷹宮柴織 「お仕事では仕方ありませんわね・・・」
  ナレーション 柴織は急なめまいを覚えた。よろよろとふらつく柴織を水城が支える。
  水城 「柴織さま・・・!お加減がよくないのでは・・・?医務室へ」
  鷹宮柴織 「いいえ、薬を飲めば直ぐに良くなるわ。車の中に薬の入ったポーチがあるの。取って来てくださる?」
  水城 「かしこまりました」
020 ナレーション 車の側にで待つ運転手に要件を告げる。
  水城 「速水の秘書の水城です。柴織さまの薬を取りに来ました」

「あった!これね・・・え・・・!?」
  ナレーション 水城は後部座席の足元に散らばる写真を見つけ驚いた。
  水城 『これは・・・?マヤの舞台写真の切れ端・・・なぜこんなところに・・・?』
『柴織さま・・・?』
  ナレーション 大都芸能本社ビルの正面玄関でマヤは社長室を見上げて佇んでいた。
  北島マヤ 『最後のバラ・・・なぜ今になってこんな・・・あたしが持っていた指輪のせいですか・・・?・・・汚してしまったウェディングドレスのせい・・・?』
『あたしに失望して、嫌いになって・・・だから・・・?』
『速水さん・・・!紫のバラの人・・・!見捨てられたんだ。あたし・・・!女優としても、あの人からも・・・!もうあの人とあたしを繋ぐものは何も無いわ。もう何も・・・!紫のバラがある限り、あなたと繋がっていられると思ったのに・・・』
『それだけが支えだったのに。あなたに見放されるなんて・・・!速水さん、どうして・・・!?』
『これから何を支えにお芝居をやってけばいいんだろ・・・?あの人に『紅天女』観てもらうことだけが楽しみだったのに・・』

『速水さん、あなたが好きです・・・!こんなに好きだったなんて・・・!今頃になって気付くなんて・・・・・!』

『でも、もう諦めなきゃいけないんだ。今度こそ本当に・・・速水さんにとってはあたしの気持ちなんて迷惑なだけなんだから・・・』
『迷惑なだけ何だから・・・!あたしなんて・・・!・・・でも・・・!あなたが好きです・・・!速水さん・・・!』
  ナレーション 大都芸能本社ビル、社長室。時間は午後11時を回っていっる。真澄は社長室で書類に目を通している。扉をノックする音がした。
  速水真澄 「誰だ?」

「・・・柴織さん・・・!」
「どうしたんですか?こんなに遅く・・・!」
  鷹宮柴織 「やっぱりまだお仕事でしたのね」
「今日の展覧会、真澄さまとご一緒するのを楽しみにしていましたのよ」
  速水真澄 「あ・・・!」
030 鷹宮柴織 「お忘れになったの?」
  速水真澄 「あ・・・!いえ。ちょっと仕事に気をとられていました」
「急な会議があって行けなくてすみませんでした。水城くんがあなたのお相手をしてくれたと思いますが・・・」
  鷹宮柴織 「ええ、いい方ね。ずっとわたしの相手をしてくださったわ」
「でも・・・柴織は真澄さまからの電話を待っていましたのよ。会議のあとにはきっとくださると・・・。でも、こんな時間になっても何の連絡も無く・・・」
  速水真澄 「柴織さん」
  鷹宮柴織 「真澄さまは・・・柴織のことをお仕事以上には思ってくださらないかしら?」
  速水真澄 「柴織さん・・・」
「すまなかった。あなたをそんな気持ちにさせるなんて・・・会議のあと、あなたにお詫びの電話をすればよかった」
  鷹宮柴織 『お詫び・・・?真澄さま・・・?』

「わたくしお詫びなんか・・・」
  速水真澄 「ぼくの仕事が忙しいばかりに、あなたに寂しい思いをさせてしまいましたね。申し訳ありません」
  鷹宮柴織 「真澄さま・・・!」
  速水真澄 「ですが今日はもう遅い。お祖父(じい)さまやお父さまが心配なさいます」
「今日はぼくももう帰ります。家までお送りしましょう。柴織さん」
040 鷹宮柴織 「真澄さま」
  速水真澄 「ぼくもお会いするのならゆっくりとしたい。今度の日曜は必ずあなたのために時間をとりましょう」
  鷹宮柴織 「えっ!・・・それまでお会いできませんの?ほんの少しでも・・・」
  速水真澄 「柴織さん・・・。ぼくの仕事が終わるのを待っていると深夜になってしまいますよ。どうかききわけてください」
  鷹宮柴織 『真澄さま・・・』

「ごめんなさい。すっかり困らせてしまいましたわ。わがままを言ってごめんなさい」
  速水真澄 「いいえ、ぼくの方こそ・・・あなたには本当にすまないと思っています」
「日曜日にはドライブでも観劇でも、あなたのお好きなところへ」
「週末までにしたいことを考えていてください」
  鷹宮柴織 『真澄さま・・・あなたはいつも自分の事はおっしゃらない。いつでもわたしの気に入るように合わせてばかり・・・』
『いいえ、いいえ真澄さま・・・。柴織の望みは真澄さまの行きたいところへ・・・真澄さまのお好きのことをご一緒に・・・』
  ナレーション エレベーターを降り、出口へ向かって通路を歩くふたり。
  速水真澄 「秘書の水城くんにも言われましたよ。こんなに忙しくしていたんじゃ今に柴織さまにも愛想をつかされますよ・・・って」
鷹宮柴織 「まあ、そんなことを・・・!」

「あっ・・・!口紅を・・・いけない・・・さっき化粧室へ行った時に置き忘れて来たわ」
050 速水真澄 「口紅を?・・・取ってきましょうか?」
  鷹宮柴織 「いいえ、きっと12階の化粧室だわ。今取ってきますわ。駐車場で待っててくださる?」
  速水真澄 「ええ。では・・・」
  ナレーション 空はすっかり暗くなり、天空には星が瞬いている。
出口から出てきた真澄を妖しい影が伺っている。
真澄は出口付近の木陰にじっと佇むマヤの姿を見つけて驚いた。
  速水真澄 『マヤ・・・!』

「なんだ?こんな所で何をしている?もしかしておれを待っていたのか?」
  北島マヤ 「はい・・・!」
  速水真澄 「いつからだ?」
  北島マヤ 「わかりません。だいぶ前から、あなたが出てくるのをここで・・・」
  速水真澄 「ばかな・・・!もう深夜だぞ!」
「では言って見ろ。何の用だ?」
「この前のいいわけか?」
北島マヤ 『速水さん・・・!』

「いいわけじゃありません。この前は本当のことがうまく伝えられなかっただけです・・・」
「あたし・・・速水さんの大事な人に何もしてません。何であんな事になったのかわたしにもわからない」
060 速水真澄 『マヤ・・・?』
  北島マヤ 「でも・・・!信じてください。速水さん、あたしの事・・・!今まであなたに悪態ばかりついてきたから信じられないでしょうけど・・・」
「でも、信じてください・・・!あたし、あなたの大事な人やあなたに何も悪いことなんかしません!」
「だって、あなたはあたしの大切な・・・!」
  速水真澄 『えっ・・・?』
  北島マヤ 「あたしの大切な・・・」
  速水真澄 「大切な・・・?」
  ナレーション マヤの両目から涙が溢れてくる。マヤははっとなり慌てて真澄の前から逃げ出そうとした。真澄がマヤの左腕を捕まえてマヤの顔をじっと見詰めた。
  速水真澄 「どういう意味だ!?ちゃんと言ってみろ・・・!なぜ逃げる・・・?なぜ泣くんだ・・・?」
  北島マヤ 『速水さん・・・!』
  速水真澄 「おれに会いに来たんだろ!?言ってみろ!」
北島マヤ 「あ・・・!」
070 ナレーション マヤは真澄の真剣な顔を見て、その気迫に気圧されて口ごもってしまった。その時、木陰から粗野な男の声が響いた。
  暴漢A 「おっと、そこまで・・・!」
「今、仕事のお帰りですかい。速水の若旦那。遅くまでご苦労なこって」
「ちょいとあんたに用があって待ってたんだ」
  鷹宮柴織 「口紅を探すのにすっかり手間取ってしまったわ。ずいぶん真澄さまをお待たせしてしまって・・・」
「えっ?」
  ナレーション 「柴織は扉のガラス越しに、暴漢に取り巻かれる真澄とマヤの姿を見止めた。
  速水真澄 「何だ君たちは」
  暴漢B 「あんたの強引なやり口にゃみんな泣かされてるって話、聞いてよ」
  暴漢A 「俺達ゃ正義の味方でね」
  暴漢B 「弱い者いじめは許さねぇってやってきたわけさ」
  速水真澄 「北斗プロに頼まれたってわけか」」
北島マヤ 「速水さん・・・」
080 速水真澄 「キミは早く行きなさい」
  暴漢B 「おっと、お嬢ちゃんにもいてもらおう・・・!
  北島マヤ 「きゃっ!」
  暴漢B 「人を呼ばれちゃかなわないからな。・・・おっと見た顔だ。なるほどこの子も大都芸能の商品ってわけか」
  速水真澄 「よせ!その子に何をする!その子は関係ない!」
  暴漢B 「そうはいかねえ。あんたもよその事務所から商品を引き抜いてるんだ。自分の商品が使いもンにならなくなる気分ってのを味あわせてやろうか」
  ナレーション 男たちが真澄に殴りかかる。真澄はヒラリと身をかわし男たちをたたきのめしていく。
真澄が男の手からマヤを奪い去ると両腕でしっかりとマヤを抱きしめた。
  速水真澄 「この子に指一本触れるな・・・!この子は大都芸能と何の関わりも無いんだ。大事な舞台を前にしてるんだ。カスリ傷でもつけたらただじゃおかんぞ!!」
  北島マヤ 『速水さん・・・!!』
鷹宮柴織 『真澄さま・・・!』
090 暴漢A 「ほう、立派な社長さんだぜ。よほど大事な商品らしい」
  暴漢B 「じゃあ、カスリ傷つかないよう気をつけてな」
  暴漢A 「構わんやってしまえ!」
  北島マヤ 「速水さん」
  速水真澄 「大丈夫だ。心配するな」
  ナレーション 男たちがじりじりと迫ってくる。真澄はマヤの体を自分の胸の中にくるむようにぎゅっと抱きしめた。
  北島マヤ 『速水さん・・・!』
  ナレーション マヤを抱きすくめ身動き取れない真澄の肩を背中を腕を脚を、男たちは情け容赦なく殴りつける。真澄の頭から血が流れる。
  北島マヤ 「速水さん!」
  速水真澄 「動くな!怪我をしたらどうする!?」
「『紅天女』の舞台が間近なのを忘れるな・・・!」
100 暴漢A 「見上げた根性だ!さすが一流プロの社長だぜ!」
  暴漢B 「へっ!こりゃおもしれエや。サンドバッグ相手するより手ごたえあるぜ!」
  ナレーション 真澄はマヤを抱き、ただひたすら男たちの暴行に耐え続けた。
  北島マヤ 『速水さん・・・速水さん・・・どうしてそこまで・・・あたしのために・・・速水さん・・・!』
『紫のバラの人・・・!』
『違う・・・!速水さんじゃない・・・!速水さんはあたしの舞台写真を破いたりなんてしない・・・!』
『いったい誰が、あんぜあんなものを送ってきたのかわからないけど、速水さんじゃない・・・!速水さんじゃない・・・!』
  鷹宮柴織 『真澄さま・・・!どうしてそこまで・・・あの子のために・・・!?』
『あの子のために・・・!』
  北島マヤ 「やめて・・・!もうやめて・・・!」
  鷹宮柴織 「誰か・・・!誰かきてー!、誰かーー!」
  北島マヤ 「やめてーーー!!」
  ナレーション 《守衛》
「なんだ!!お前達は・・・!」
  暴漢A 「ヤバイぜ、ガードマンだ!」
110 ナレーション 男たちはあわてて走り去って行った。
必死でマヤをかばい護った真澄の顔に安堵の色が浮かんだ。
  速水真澄 「大丈夫・・・だったか?マヤ」
  北島マヤ 「ええ・・・」
  速水真澄 「怪我は・・・ないか」
  北島マヤ 「はい」
  速水真澄 「よかった・・・」
  ナレーション 《守衛》
「速水社長・・・!」
  速水真澄 「警察は呼ぶな。騒ぎが大きくなる。この子を巻き込みたくない・・・」
  ナレーション 真澄は力なく呟くと、ずるずると地面に倒れ、気を失ってしまった。
  北島マヤ 「速水さん・・・!」
120 ナレーション 真澄は社長室のソファに寝かされている。傍らにマヤが心配そうに寄り添っている。
  北島マヤ 『速水さん・・・!紫のバラの人・・・!』
  ナレーション 《守衛》
「社長はまだ気を失ったままなのですね。これを・・・。今、医者を呼びました」
「柴織さまはショックで貧血を起こされて1階の医務室でお休みです。主治医の先生がいらっしゃるまでわたしが柴織さまのおそばに・・・。何かありましたら電話で及びください」
  北島マヤ 『速水さん・・・ひどい傷・・・あたしのためにこんなにあって・・・あたしのために・・・!』
  速水真澄(回想) 『大事な舞台を前にしてるんだ。カスリ傷でもつけたらただじゃおかんぞ!!』
『動くな!怪我をしたらどうする!?『紅天女』の舞台が間近なのを忘れるな』
  北島マヤ 『あれがあなたの真心・・・!仮面の下のあなたの素顔・・・!』

「なのにあたしいままで何も気付かなくて・・・ごめんなさい速水さん。本当にごめんなさい・・・」
  ナレーション マヤの流した涙が真澄の頬をぬらした。
マヤの口から愛しい人を思う紅天女の台詞がつむぎ出た。
  北島マヤ 『速水さん・・・!あたしの一真(いっしん)!・・・魂のかたわれ・・・!』

「捨ててくだされ名前も過去も・・・めぐり合い生きてここにいる。それだけでよいではありませぬか。阿古夜だけのものになってくだされ・・・。お前さまはもう一人のわたし。わたしはもう一人のお前さま・・・愛しいお前さま、もう離れませぬ・・・!」

『速水さん・・・!』
  ナレーション 真澄は夢のうつつの中に居た。マヤの言葉が真澄の脳裏に届いてくる。
  北島マヤ 『お前さま・・・わたしの愛しいお前さま。今、初めて気付いたのじゃ』
130 速水真澄 『この声は・・・?』
  北島マヤ 『お前さまがわたしのもう一人の魂のかたわれじゃと・・・』
  速水真澄 『マヤ・・・?』

『これは・・・梅の谷・・・?』
  北島マヤ 『あの日、初めて谷でお前を見たとき、阿古夜にはすぐわかったのじゃ・・・』
  速水真澄 『阿古夜・・・?』
  北島マヤ 『お前がおばばの言う魂のかたわれじゃと・・・。愛しいお前さま・・・年も姿も身分も無く出会えば互いに惹かれあいもう一人の自分を求めてやまぬという・・・阿古夜だけのものになってくだされ・・・名前も・・・過去も・・・捨ててくだされ・・・ほんに自分でも信じられぬ・・・不思議なこんな思いは初めてじゃ。お前様のことを思うだけで胸が弾む。声を聞くだけで心が浮き立つ・・・そして・・・お前さまに触れているときはどんなにか幸せ・・・お前さまはもう一人のわたし。わたしはもう一人のお前さま・・・』

『・・・速水さん・・・!』

『誰よりもお前さまが愛しい・・・』
  速水真澄 『う・・・ん・・・・マヤ・・・?』
  北島マヤ 『こうやって巡り会えたからには、どうしてふたつに離れられよう。元はひとつの魂。ひとつの命。お前さまは阿古夜の生命(いのち)そのもの。離れることなど出来ませぬ。永遠(とわ)の生命(いのち)ある限り・・・』
  速水真澄 『阿古夜・・・!』
  北島マヤ 「何もかも忘れて、ゆっくりお眠りなされませ。お前さま。阿古夜がついておりまする・・・』
140 ナレーション 阿古夜の唇が真澄の唇にそっと優しく触れ合う。柔らかく暖かい感触が真澄の脳裏を駆け巡った。
  北島マヤ 『阿古夜がついておりまする・・・忘れないで・・・お前さま・・・』
  速水真澄 『阿古夜・・・どこへ行く・・・?おれをおいてどこへ行く・・・?行かないでくれ!阿古夜・・・!』

「阿古夜・・・!・・うっ・・・!」
  ナレーション 傷の痛みが真澄を現実へと連れ戻した。窓から朝の日差しが柔らかに射し込んでいる。
  速水真澄 「あっ・・・!柴織さん・・・!」
  鷹宮柴織 「やっとお気がつかれましたのね。真澄さま。何か悪い夢でも・・・?ずいぶんうなされてらっしゃいましたわ」
「随分心配しましたのよ。真澄さま」
  速水真澄 「柴織さん・・・!」
「ここは・・・?おれはなぜここに・・・?」
  鷹宮柴織 「何も覚えてらっしゃいませんのね。あなたが暴漢に襲われたあと、警備員がここへ・・・」
  速水真澄 『・・・っは・・マヤ・・・』
「あの子は・・・!?あの子に怪我は?」
  鷹宮柴織 「大丈夫ですわ。真澄さまが命がけで守られたので、かすり傷ひとつありませんわ」
「あなたが倒れたあと、怖くなってさっさと逃げてしまいましたけれど・・・」
150 速水真澄 「そうですか・・・とりあえず無事だったか・・よかった・・・!」
  鷹宮柴織 『真澄さま・・・』
  速水真澄 「では、あなたが一晩中ぼくを看ていてくれたのですね。ありがとう柴織さん」
  鷹宮柴織 「いいえ、真澄さま」
  速水真澄 『それにしても妙に生々しい夢だった・・・。あの子が側にいておれの額の血を拭ってくれて・・・おれの頬に落ちたあの子の涙の感触まで覚えている・・・。そして梅の谷で阿古夜に会った・・・。あれはマヤなのか阿古夜なのか・・・?愛の台詞を何度も聞いた・・・・』

『今までどんな舞台でもきいた事のない愛がにじみ出るような心のこもった台詞・・・!今も愛しさがこみ上げてくる・・・!そして、あの子の唇がふれて・・・』

『よそう・・・!そんな事あるわけがない・・・!すべて夢だ・・・!』
  鷹宮柴織 『真澄さま・・・!あなたがうわ言で呼んでいたのはあの子の名前・・・!でもきっと忘れさせて見せますわ。わたくしが・・・!真澄さま・・・!」
  ナレーション 柴織はこの時、部屋の片隅に落ちていた血のついたハンカチに気がつかなかった。
  北島マヤ 『速水さん・・・紫のバラの人・・・きっともう大丈夫ですよね。婚約者の柴織さんもついているし・・・』
  ナレーション 《桜小路》
「マヤちゃん」
  北島マヤ 「桜小路くん」
160 ナレーション 《桜小路》
「よかった。今日は元気そうだ」
  北島マヤ 「えっ?」
  ナレーション 《桜小路》
「きみの写真アルバム・・・紫のバラの人が送り返してきて死にそうな顔してたろ」
  北島マヤ 「うん。心配かけちゃってごめん。でも、あたしわかったの。紫のバラの人は、あんなことしない・・・って!」
「いったい誰があんなことをしたのか知らないけど、やったのは紫のバラの人じゃない・・・って!」
  黒沼先生 「そうだな、おれもそう思うぞ」
  北島マヤ 「黒沼先生・・・!」
  黒沼先生 「今まで姿も見せず名も明かさないで一人の役者のために陰で支えてきた人物だ。何があったかは知らんがこんなことをするとは思えん。全く別人のような印象を受ける」
「気にしないで時を待て!そのうち何か動きがあるだろう。いずれ本当のことがわかる。いいな、北島」
  北島マヤ 「はい!黒沼先生・・・!」
  黒沼先生 「どんな嫌なことも、辛いことも、悲しいことも、役者にとっては宝物のような経験だ。大事に自分の心の引き出しに入れておけ!いつかきっと役に立つときがくる」
  北島マヤ 「はい・・・!」

『どんな経験も宝物・・・そう、あの時のあの気持ち・・・阿古夜の台詞だったけどあたしの気持ちだった・・・。心の奥底から湧き上がってくる熱い思い・・・。あたしの中に阿古夜がいる・・・!阿古夜の気持ちはあたしの気持ち・・・!大切にしよう。この気持ち・・・!』
170 黒沼先生 『演れ!北島。経験はいつかお前の役に立つ・・・!想像力だけでは表現しきれないリアリティをお前の演技に与えてくれるだろう。全ての経験がお前の紅天女に繋がってくる・・・!』
  北島マヤ 『愛しいお前さま・・・元はひとつの魂・・・ひとつの生命(いのち)・・・離れることなど出来ませぬ・・・』
  速水真澄 『マヤ・・・』
  ナレーション あの日以来、真澄はいつも同じ夢を見るようになった。
  速水真澄 『夢か・・・なんだこれはいったい・・・あの時の夢が心を離れないせいか・・・?妙な夢だ・・・変にリアリティがあって・・・額にかかったあの子の涙の温かさまで覚えている・・・。それからあの子の唇の温かさまで・・・』

『そう、駐車場で暴漢に襲われ気を失ったあの時・・・あのあと何があったのか記憶が無い・・・。柴織さんはあの子は逃げるようにしてその場を去ったと言っていたが・・・本当に大丈夫だったのだろうか・・・?怪我でもしてなきゃいいが・・・』

『おれはどうかしてる・・・。こんな夢を見るなんて・・・柴織さんという申し分ない婚約者がいる身で。現実にはありえないことだあの子がおれを愛するなど・・・」

「心のどこかでいつか大人になるのを待っていた。蕾がゆっくりと花開いていくのを見守っているのは楽しかった。だが・・・一生その思いにふたをしようと誓ったのに・・・夢の中ではそのふたが開くかもしれん・・・忘れていたい。自分の心を気付かされる・・・』
  北島マヤ(回想) 『あなたはわたしの大切な・・・』
  速水真澄 『あの時、何を言おうとしたんだろう。あの子は・・・』
  ナレーション マヤの練習所キッドスタジオへ聖が取材という触れ込みで会いにやってきた。
  「『週刊イレブン』です。ぼくの取材を受けてくれますか?北島マヤさん」
  北島マヤ 「はい!!よろこんで」
180 「稽古は順調ですか?」
  北島マヤ 「でもないけど・・・阿古夜や紅天女の心がすこーし掴めて来た・・・って、いま・・・」
  『明るい・・・!何も悲しんでいる様子はみられないが・・・』

「最近変わったことは?」
  北島マヤ 「変わったこと・・・?」

「無いです何も・・・!あたし元気です!『紅天女』に向かって頑張ってますって・・・あたしの大切なファンに伝えてください!」
  『マヤさん・・・!』
  ナレーション 劇団員が黒沼先生が呼んでいるとマヤを呼びに来た。
  北島マヤ 「あ・・・!今行きます」
  「あ・・・!では、わたしもこれで」
  北島マヤ 「まって・・・!」
  「えっ?」
190 ナレーション マヤは聖の上着の袖を力強く掴み、真っ直ぐな瞳で聖の目を見詰めた。
  北島マヤ 「伝えてください。ファンの方に一言!!どんなことがあってもあたし、あなたのこと信じてますから・・・って!!」
「信じてますから・・・って!」
『マヤさん・・・!』
  北島マヤ 「きゃっ!ごめんなさい」
ナレーション マヤは慌てて聖の上着の袖から手を外し、いそいそと練習所中へ入っていった。
195 『信じています・・・か。あんな目にあっておきながら・・・なんて一途でひたむきな目なんだろう。あんな目で真っ直ぐに向かってこられたら・・・きっと誰も勝てない・・・心を奪われる・・・』
『真澄さま・・・あなたの気持ちがわかるような気がします・・・』

ガラスの仮面 第46巻 第13章 ふたりの阿古夜より【後編】

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