小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第7章 吸血鬼ハンター死す(Y最終)

ドリス・ラン 17歳  グレコ 24、5歳
麗銀星 20歳前後

001 グレコ 「やったぜ!」
  歓喜の声は、村人でも麗銀星のものでもない口から発した。人々は凄絶な死闘の結末より、夜が昼に変じたような異和感にとまどっていたのである。
  ドリス・ラン 「グレコ!・・・そうか、おまえ、こいつとグルだったんだね!」
  柵の前で蝋燭片手にとびはねる人影に、憤怒の声をあげて狙いをつけたドリスのライフルは、だしぬけに凄まじい衝撃を銃身に受けてはね上がり、あまつさえ、持ち主の額に激突した。

昏倒したドリスとすがりつくダンのところへ駆け寄る村人たちを薄笑いで見送りながら、麗銀星は、手もとへはね返ってきた最後の飛鳥剣を腰に戻し、戦闘服を脱ぎ捨てた。やがて、ぐったりした姉とわめき散らす弟を無理矢理馬に乗せて、村人たちは門を出て行った。

  グレコ 「何をしてるんだい?」
  農園の裏に隠してある馬のところへいきかけてグレコは顔をしかめた。すでに息絶えたDの身体の上に麗銀星がかがみこんでいる。

左手を持ちあげ、手の甲や掌(たなごころ)へ執拗な視線を送っている。

  麗銀星 「わかりません・・・・」

「チューラの蜘蛛を吸いこみ、村長の腹の中を暴いたこの左手・・・・必ず何か秘密が隠されているはずです」

  言うなり、腰の飛鳥剣を取り、左手を一気に肘から寸断してのけたのには、グレコも目を剥いた。彼はそれをかたわらの植え込みへ投げ捨てた。
  麗銀星 「こうでもしなければ安心できません。それに、これでおあいこですからね」
  冷ややかに言い放ち、自分には目もくれず門の方へ歩み去る麗銀星へ、グレコがなれなれしく呼びかけた。
010 グレコ 「おい、待ちなよ。村で一杯やろうじゃねえか。おめえと組みゃでかい仕事ができそうだぜ」
  麗銀星は立ちどまり、ふり向いた。その眼つきがグレコを釘づけにした。
  麗銀星 「今度会ったら生命はないものと思いなさい」
  グレコ 「けっ、なんでえ、気取りやがって」
  麗銀星は歩み去った。精一杯毒づいてグレコも入り口の方へ行きかけた。足がぴたりととまった。総毛だった顔つきでふりむく。
  グレコ 「・・・・気のせいか・・・・」
  つぶやき、彼は足早に門の外へ出た。ふくみ笑いをきいたような気がしたのである。それも、Dの死体からではなく、切断された手首が投げ捨てられた暗い植え込みのあたりから・・・。
  マグナス・リイ伯爵 「ふふふ・・・すべて予定通り事が運んだわ。一日遅れは残念じゃったが、愛おしさもそれだけふえるというもの」
  昼間グレコと麗銀星が邂逅(かいこう)した丘の上に立ち、電子双眼鏡を眼から放して、低く笑った声がある。夜目にも赤い唇から突き出した白い乱杭歯・・・マグナス・リイ伯爵であった。

背後の木陰に馬車が停まり、月光がそのかたわらに立つ人狼(ワーウルフ)ガルーのインバネス姿を浮かび上らせている。もちろん、今は顔も形も人間だ。

  ガルー 「で、いかがなさいます?」
  マグナス・リイ伯爵 「言うまでもない。あのちっぽけな村へ押しかけ、娘をこの手にさらうのじゃ。村長め、娘を収容所とやらへ閉じこめて、その間にわしと交渉する腹だろうが、そうはいかぬ。これまで手を焼かせた腹いせに、明日の晩も明後日(あさって)の晩も、生ける死者をあの村にふやし、貴族の恐ろしさを子々孫々まで語り継がせてくれる。わしらの華燭(かしょく)の典の引き出ものじゃ。・・・帰ったら、ロボットどもに命じ、すぐに式典の用意を整えるのだぞ」
    ※語意 【華燭の典】 結婚式を祝していう語。
020 ガルー 「ははっ」
  深く頭を下げる召使いに鷹揚にうなずき、馬車に乗り込もうとして伯爵はふとたずねた。
マグナス・リイ伯爵 「・・・・ラミーカはいかがいたしておる?」
  ガルー 「はっ。仰せの通り、時だましの香による罰をお与え申し上げたところ、大層なお苦しみようで、私めが退出するときも部屋の床にふせっておられましたが」
  マグナス・リイ伯爵 「そうか、ならばよい。これに懲りて、もはや父たるわしに逆らう気などおこさねば、万事丸く収まるのだが。わしはただ、あの娘を妻にしたいだけなのじゃ。毎夜、毎夜、蝋のごとき白い喉からほとばしる血潮を吸って生を永らえる。かりそめの客?・・・御神祖の言葉もわしにだけは当てはまらん。他の連中は滅びようとも、わしとあの娘だけは、この土地で人間どもを恐怖と力で縛りつけ、永劫に栄えてみせようぞ!」

「ゆけ!夜明けは近いぞ。もっともさほど焦らずとも、”時だましの香”は用意してあるがの」

  このとき、伯爵もガルーも気づかず終まいだったが、麗銀星の白木の杭がDを倒したすぐあとで、農園をはさんでかれらと反対側の林の中から、一台の馬車がランシルバの村の方角へと走り去ったのである。

グレコが立ち去ってからしばらくの間、農園を支配するものは涼やかな風と月のひかりのみであった。牛たちも寝静まったか、一片の物音もしない静寂の闇に、ふと不気味なふくみ笑いが湧いた。

  Dの左手 「けけけ・・・久方ぶりに大きな出番がきたか。蜘蛛を食ったり、禿ちゃびんの腹の中を告白させたりでは、わしともあろうものが、いくらなんでも役不足・・・・もっとも、こやつもわしも、このまま放っておかれた方がことによったら幸福(しあわせ)かも知れんが、まだこの世に未練はあるでな、それに、あのけなげな娘と坊主に、ちいっと情が移りよった。業腹(ごうはら)じゃが、もういっぺん力を貸してやろうかい」
    ※語意 【業腹】 非常に腹が立つこと。しゃくにさわること。また、そのさま。
  こやつとはDのことだろうか。声は植え込みの内側(なか)でした。同時に、何やら動く気配が。

ああ、手だ。手の指だ。麗銀星に切りとられ、投げ捨てられたDの左手首が、それ自身意思をもつかのごとく、五本の指を動かしている。

手は甲を下に、掌を宙に向けていた。と、その掌の表面がざわざわと波立ち、内側から一個の肉腫状のものが、ぐーっと盛り上がった。いや、戦慄の時は、次の瞬間であった。みるみるうちに、その表面に数条のくびれが走り、肉がくぼみ、あるいは膨れ・・・描き出したのだ、一個の人間の顔を!

ややひん曲がった鷲鼻にはちゃんと小さな鼻孔がふたつあき、皮肉っぽい唇が歪むと、米粒みたいな歯がみえた。そして、この不気味な人面のできものは、ひとつ息を吸うや、閉じられた瞼をぱっちりと開いたのである。

  Dの左手 「さて、はじめるか」
  声を合図に腕が動きはじめた。神経も腱も切断されているというのに、奇怪な人面疽(じんめんそ)は、それらを腕の中でのみ再生し、自在に操る能力を有しているらしかった。あお向けの指が空を泳ぎ、ちょうど真上に垂れていた植え込みの枝の一本をつかんだ。手はそれにすがって自らをもち上げ、パタリと手の甲を上に地に落ちた。
030 Dの左手 「では、小旅行じゃ」
  五本の指は蜘蛛の足みたいに曲がり、手首を宙で支えた。重い上腕を引きずりながら、器用に植え込みをかき分け、Dの方へ這いずっていく。左肘の切断面までくると、指はまた細かく動いてまわれ右をし、ふたつの切断部分をぴたりと結合させた。

Dがあお向けに倒れているので、自然に手の甲は下になり、人面疽(じんめんそ)は異形の顔を公然と月光にさらすことになった。ここで、「彼」は、実に奇怪な行動をとりはじめた。深呼吸でもするように大きく息を吸い込んだのである。しかし、掌のそのまたひとまわり小さな寸法しかないのに、これはまたなんと凄まじい「肺活量」であることか。空気はごおごおと音をたてて、小さな口に流れこんだ。

たっぷり十数秒も驚くべき吸引力を示してから、ひと呼吸おいて同じ行為を三度繰り返し、人面疽(じんめんそ)は次の、もっと驚嘆すべき行動に移った。器用に肘から先を反転させ、掌を下向きにするや、指を地面に食いこませて土を掘り出しはじめたのである。鍛え抜かれたDの指のせいもあろうか。固い土も泥みたいに易々と掘りかえされ、やがてこんもりと土塊(つちくれ)の山が盛り上がると、掌の顔はぐいとそれに自ら押しつけた。静寂のさなかに、異様な咀嚼音(そしゃくおん)がきこえた。

できものが土を食っている!

月光の下で奇怪な食事がつづき、数分後、土の山は完全に消滅した。どこへ?人面疽(じんめんそ)の口へ。だが、一体どこに貯蔵されるのか?腕自体の体積に変化は生じていない。それなのに、空気も土も、すべて本体から切り離された腕の中に吸収されたのだ。何のために?

下を向いた掌が、小さくげっぷの音を立てた。

  Dの左手 「水と火がないので少々時間がかかりそうだがやむを得まい」
  ひとり言みたいに言うと、腕全体がぬーっとDの胸元へ持ち上がった。そんなはずはない!切断面と切断面を結合させたものの、すべての血液が流れ出した今となっては接合は不可能だ!しかし、腕は上がった。

そして、人面疽(じんめんそ)はひと言、

  Dの左手 「指よりこっちの方が早いでな」
  と言うなり、カッと口をあけ、Dの胸から突き出た杭の端に噛みついたのである。
  Dの左手 「くお―――っ!」
037 異様なかけ声とともに、杭は一気に引き抜かれていた。

手首のひとふりで杭を投げ捨て、「彼」はまたも宙をあおいだ。ごおっと空気が鳴った。猛烈な吸引ふたたび、いや、これは明らかに土塊(つちくれ)と同じ食事の一環であった。

みよ、吸いこむたびに人面疽(じんめんそ)の喉の奥に青白い火影(ほかげ)がゆらぎ、三呼吸めには、ついに口と鼻から炎が噴きもれたではないか。俗に地水火風を万物の四大元素と呼ぶ。この人面疽(じんめんそ)は、うちふたつ・・・地と風のみ吸い込み、手首の内側で熱エネルギーへ変じ、さらには生命エネルギー、いや生命そのものと変えてDの体内へ送り込んでいるのであった。

吸血鬼ハンターD・・・この美しい若者は、その左掌(ひだりてのひら)に生きた生命エネルギー製造工場を持っていたのである!

いつしか風は途絶え、月のみいよいよ冴える閑寂(かんじゃく)な農園の一角で、不気味な奇跡が実現しつつあった。ああ、吸血鬼の血を引くものにとって絶対の致命傷といわれる白木の杭の残した傷痕が、徐々に癒着しふさがっていく。

吸血鬼ハンター”D”第7章 吸血鬼ハンター死す(Y最終) 劇終

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