小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第7章 吸血鬼ハンター死す(W)

D 17、8歳  ドリス・ラン 17歳
麗銀星 20歳前後  グレコ 24、5歳

001 グレコ 「うわっ、やべえ!」
  レンズ一杯に広がったDの視線に、三百メートルは優に離れた丘の上、木立の陰に伏せていることも忘れ、大あわてで頭を下げた影がある。とっくの昔に村を逃げ出したはずの村長のドラ息子、グレコであった。戦闘服姿だ。
  グレコ 「あん畜生、ひとりでいい思いしやがって」
  グレコは電子双眼鏡を地面に叩きつける。彼は昨夜、三十六計を決めこむとまっすぐこの丘へやってきて、終日農園を監視していたのである。腹這いのまま右手をのばし、かたわらのサドル・バッグから、乾燥肉や固形飲料水の包みと一緒に「時だましの香」をひっぱり出す。
  グレコ 「へっ、陽が落ちたらみてやがれ。こいつで地べたに這いつくばったところをひと刺しだ。おれさまはドリスと手に手をとって、このいまいましい土地からおさらばよ」
  麗銀星 「そううまくいきますかね?」
  頭上から涼しい声がふってきた。頭上まではり出した大木の枝に、ひとりの美青年が腰をかけていた。無邪気な笑みを浮かべてはいるが、左手は肘の先から消失し、かわりに血の滲んだ白布が巻いてある。正体は言うまでもなかろう。麗銀星は音もなく地上に降り立った。
  グレコ 「な、なんだ、おまえは?」
  麗銀星 「おとぼけを。その蝋燭の持ち主です。おかげで片腕をなくした。伯爵の首尾はどうかと農園を探りにきてみたら、いい方に巡り合えました。どうです、あの三人は健在ですか?」
  言葉は丁寧だが、圧倒的な威圧感に、グレコはおずおずとうなずいた。
010 麗銀星 「やはり、ね。となると、どうしてもここで点数を稼がなくちゃ、仲間には入れてもらえないでしょうな」

「どうです、私と組みませんか?」

  グレコ 「組む?」
  麗銀星 「木の上で拝見していたところ、あなたは農園の娘にご執心のようだ。それには、あの用心棒が邪魔です。私も別の事情で奴を片づけたい。・・・いかがです?」

「その蝋燭と戦闘服があれば、確実に奴を仕止められますか?あなたの腕で?」

  グレコ 「・・・・おめえと組みゃ、なんとかなるってのか?」
  麗銀星 「ええ。陽が暮れたら私が彼と戦いますから、あなたは頃合いを見て、その蝋燭をつけて下さい。一瞬でも隙をみせれば、ほら、この剣で」
  麗銀星は腰の飛鳥剣を指さす。グレコは覚悟を決めた。
  グレコ 「いいだろう・・・だがよ、その後は?」
  麗銀星 「その後とは?」
  グレコ 「おめえは伯爵にあの娘(こ)をさし出すつもりだろうが、おれはそうはさせねえためにこんな苦労をしてるんだ」
  麗銀星 「なら、連れてお逃げなさい」

「わたしは、あのダンピールを倒すと約束しただけです。娘が誰のものになろうと知ったことじゃない。その件はあなたと伯爵の問題でしょうね。・・・・なんなら、同じ人間同士、あなたたちが伯爵の手から逃げおおせるよう、辺境にちらばった私の仲間に口をきいてあげてもいいですよ」

  グレコ 「ほ、本当かい」
020 グレコはすがる口調になった。ドリスをうまく連れ出したとして、貴族の追撃をどうやってふり切ったものか、それも焦慮の的だったからだ。

麗銀星もまた、「時だましの香」を手に入れたとしても、それだけでDを倒す自信がなかったのである。確実の上にも確実を期すために、彼は眼前の愚かな小悪党を利用することに決めた。Dさえ倒せばあとは無用の長物。蟻のごとくひねりつぶせばよい。

  麗銀星 「では、交渉成立ですね」
花も恥らうような美しい笑顔をみせて、麗銀星は片手をさし出した。
  グレコ 「う・・・・・よし」

「・・だがよ、おめえはまだ信用できねえ。断わっとくが、おかしな真似したら、蝋燭はその場で始末するぜ」

  麗銀星 「結構ですとも」
  グレコ 「なら、よかろう」
  ふたりは固く握手した。

丸い月が出た。異様に大きく白々として、見上げるものすべての胸に不安の波風をたてずにはおかぬ不気味な月であった。

夕食からDにまとわりついて離れなかったダンも、睡魔には勝てず部屋へ引きこもり、ドリスも寝室へ消えて、白い月光のみなぎる居間にDのみが残った。長椅子に横たわったその両眼は冷え冷えと冴えていた。時刻は1100N(ナイト)に近い。

白い光がゆれた。寝室のドアが開き、ドリスが姿をみせた。薄手のバスタオルで胸から太腿までを覆っている。音もなく居間を横切り、長椅子の前に立った。豊かな胸が起伏している。ふたつほど大きく息を吸い込んで、ドリスはバスタオルをおとした。Dは動かず、まばたきもせず、少女の裸身を凝視していた。ほどよいくびれと肉づきの身体は、女のなまなましさをまだ備えていないが、男に息をのまさずにはおかぬ処女特有の青い妖艶さに満ちていた。

  ドリス・ラン 「D・・・・・」
  吸血鬼ハンターD 「仕事はまだ済んでいない」
  ドリス・ラン 「先払いするわ。受け取って・・・・」
030 何か言おうとするより早く熱い肉がどっとのしかかり、かぐわしい息がDの鼻孔をくすぐった。
  吸血鬼ハンターD 「おい、おれは・・・・」
  ドリス・ラン 「伯爵はまたくるわ」

「今度こそ決着がつく・・・そんな気がするの。あなたへの報酬、払うことも受けることもできなくなるかもしれない・・・・抱いてもいい、血を吸ってもいい・・・・好きにして」

  Dの手が少女の長い髪をなであげ、隠れていた顔を夜気にさらした。

唇が重なった。そのまま数秒・・・・・。ふとDが身を起こした。窓の方に眼を走らす。門の方向であった。

  ドリス・ラン 「どうしたの?伯爵?」
  吸血鬼ハンターD 「いや・・・気配はふたつだ。ひとつはふたり組、もうひとつは・・・・これは多いな、五十人、いや、百人近い」
  ドリス・ラン 「百人!?」
  吸血鬼ハンターD 「ダンを起こせ」
  ドリスは寝室へ消えた。

農園の門近くで、ふたつの人影が不意に馬を停め、草原の奥をふり返った。村の方角から無数の光点がゆらめきつつ近づいてくる。耳を澄ますうちに、おびただしい馬蹄の響きにまじって怒号に近いざわめきがきこえた。

  麗銀星 「なんでしょう?」
  グレコ 「村の連中だな。なんかあったんだ」
040 グレコがおどおどした眼つきで光点を眺めながら言った。松明(たいまつ)の炎である。
  麗銀星 「とにかく、隠れて様子をみる手ですね」
042 ふたりは素早く、農園の柵の陰に溶け込んだ。

待つまでもなく、闇をついて、村人の行列が農園の入り口に集結した。グレコが眉をひそめた。先頭に立つのは父親のローマン村長であった。禿頭から湯気をたてている。列の周囲は、石弓やレーザー・ライフルで完全武装した村長家の使用人が囲み、村人たちの手にも、槍やライフルが握られていた。暴徒であった。治安官の姿はない。

吸血鬼ハンター”D”第7章 吸血鬼ハンター死す(W) 劇終

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