小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第7章 吸血鬼ハンター死す(V)

D 17、8歳  ドリス・ラン 17歳
ダン 8歳  ダルトン治安官 30歳前

001 翌日、ドリスはダンとDを伴ってフェリンゴ医師の遺体を収容した。それから治安官のもとを訪れ、遺体の世話を依頼した上で麗銀星とグレコの所業を洗いざらいぶちまけた。

ちょうど、ペドロスの村から辺境警備隊についての連絡が届いていたところで、治安官は自ら「遺跡」地帯へで掛け、三つの凄まじい死体を発見するや、ドリスの証言から、麗銀星一派が警備隊の失踪と関係ありと断じた。

農場へ戻る途中、ひとつ難題を片づけてドリスの表情は明るかった。

  ドリス・ラン 「これで、あいつも長くないわね。もっとも、夕べあんたに手首をおとされた時点で、雲を霞と逃げちまっただろうけど」
  吸血鬼ハンターD 「貴族になれば、手足をみな失くしてもお釣りがくる」
  ダン 「それにしても、グレコの野郎をとっちめられなかったのは残念だね」
  麗銀星の件には燃えた治安官も、グレコの行為を摘発することはできなかったのである。三人を伴い、村長の家へ尋問にいってみると、苦り切った村長が現れ、グレコは昨晩大あわてで戻ってきてから、家中の金と修理屋から届いたばかりの戦闘服をひっさらい、馬に乗って走り去ったと告げた。ドリスたちをオフィスに待たせ、治安官はグレコの不良仲間にもあたってみたが、誰も行き先は知らないという。

麗銀星とグレコ・・・このふたりの行く先が不明では治安官も手の打ちようがなく、内々で他の村へグレコの人相書きを送り、見つけ次第、フェリンゴ医師殺害事件の重要参考人として拘禁するよう要請することに決まった。

  ダルトン治安官 「でも、今度の件で告訴はできんよ」

「君たちの話だと、先生を殺したのは貴族の娘らしいし、バンパイアにされたこと自体・・・何らかの被害を受けたことになるのかどうか、いまだにはっきりせん。『都』で統一見解を発表してくれるといいのだが・・・・」

「むしろ、法的に、グレコは君を助けた功労者となりかねん」

「・・・・私的な争いに口をはさむ権限はないが」

  見つけ次第、一発ぶちかましてやれという意味である。ドリスとダンは顔を見合わせてにんまりした。

伯爵に襲われて以来、久々に平穏なときがドリスに訪れた。仕事は山ほどある。ロボットが採取した合成蛋白をパッケージに詰め、庭の隅に重ねて耐水ビニール・テントで覆い、月に一度やってくる巡回交易人を待つ。

牛たちの世話と乳しぼりもご無沙汰しっぱなしである。もっとも、こっちの方はランシルバの村が主な取引相手だから、目下開店休業の状態だが、放っておくわけにもいかない。伯爵との戦いがドリスの生活ではないのだ。

黙々と片手を動かし、アルミ箱の缶に白い液体を貯めていくDの横顔を、ドリスは遠い目つきで眺めた。

ふと、その光景が前からなじみのもので、これからもずっとつづいていくような気がしたのは、少女の熱い胸のなせる技であったろうか。父を失った天涯孤独の少女が、弟と農園を守るために汗した奮戦の日々は決して長くはなかったが、ドリスは不意に、自分がひどく疲れていることを知った。

  吸血鬼ハンターD 「澄んだ。そっちはまだか?」
  ドリス・ラン 「い、いえ、もう終ったわ」
  裸でもみられたような気分で立ちあがり、缶を牛の下からはずした。
010 吸血鬼ハンターD 「顔が赤いぞ。風邪でもひいたのか?」
  ドリス・ラン 「ち、ちがうわ。夕陽のせいよ」
  吸血鬼ハンターD 「そうか。また伯爵がくるかもしれん。早く食事を摂ってダンを寝かせたまえ」
  ドリス・ラン 「そうね」
  ドリスは缶の取っ手を両手でつかみ、小屋の隅へ運んだ。なぜか力が入らなかった。
  吸血鬼ハンターD 「置いておけ。おれが運ぶ」
  ドリス・ラン 「いいんだってば!」
  自分でも驚くほど荒い声と・・・涙が一緒に出た。缶を地面におとし、ドリスはしゃくりあげながら表へ走り出た。

後を追った・・・とも思えぬ飄然(ひょうぜん)たる足取りで小屋から出てきたDを、ダンの不安げな瞳がポーチから迎えた。

    ※語注:飄然たる【ふらりとやって来たり去ったりするさま】
  ダン 「姉ちゃん、泣きながら裏へ走ってったぜ。喧嘩したのかい?」
  吸血鬼ハンターD 「いや。姉さんは君が心配なんだ」
020 ダン 「誰かが言ってたよ・・・男は女泣かしちゃいけないって」
  吸血鬼ハンターD 【苦笑】「そうだな。謝っておこう」
数歩行きかけ、Dはふとダンの方を向いた。
  吸血鬼ハンターD 「おれとの約束・・・覚えているな」
  ダン 「うん」
  吸血鬼ハンターD 「君は八つだ。あと五年もすれば姉さんより強くなる。・・・・忘れるなよ」
  ダンはうなずいた。あげた顔に涙が光っていた。
  ダン 「お兄ちゃん・・・行っちゃうのかい?伯爵をやっつけたらよ?」
  Dは答えず裏手へ消えた。ドリスは柵にもたれていた。肩がふるえている。Dは足音もたてず彼女の後ろに立った。

涼風が柵の彼方の草の海と、ドリスの黒髪を光らせていた。

  吸血鬼ハンターD 「家へ戻った方がいい」
030 ドリス・ラン 「・・・・・・・別の人を捜した方がよかった。あなたがいなくなったら、あたし、もう前みたいに生きてゆけない。さっきの缶だって、これまでは一度にふたつ持てたのよ。ダンを強く叱りつけることもできなくなるし、言い寄ってくる男たちを殴る手にも力を込められないわ。・・・でも、あなたは行ってしまう」
  吸血鬼ハンターD 「そういう契約だ。それに君の憂いは断つ。おれが死んでもな」
  ドリス・ラン 「いやよ!」
  いきなりドリスはぶつかるようにたくましい胸に顔を埋めた。
  ドリス・ラン 「いやだ、いやだ」
  なにがいやなのかわからない。なんで泣くのかもわからない。光と風のあわいに消えてゆく幻を放すまいとするかのように泣きつづける少女と、それを支える憂愁にみちた美青年は、その姿勢のままいつまでも動かなかった。

少しして・・・・ドリスははっと顔を上げた。頭上のDが低いうなり声を洩らしたからである。「どうしたの?」と言おうとして、その頭は凄い力で胸に押しつけられた。そのまま数秒・・・・。赤く溶け合ったふたつの影のあいだから、ドリスの熱い声がきこえた。

  ドリス・ラン 「いいのよ」
  だが、それ以上何事もなく、やがてそっとドリスを押し放すと、Dは足早に母屋の方へ歩み去った。家畜小屋の角を曲がると、彼の腰のあたりから揶揄(やゆ)するような声が言った。
    ※語意:揶揄【からかうこと。なぶること。】
  Dの左手 「なぜ吸わん?」
  吸血鬼ハンターD 「黙れ」【感情が露わに出る】
040 Dの左手 「あの娘、知っておったぞ。おまえが欲情したのをな。おお、おお、そんな顔をしてもはじまらん。どうあがいたとて、貴族の血はおまえの骨の髄にまで流れておる。女に欲情を感じれば、抱くよりも白い喉にかぶりつきたくなるのがその証拠」
  そうなのだ。ドリスの告白をきき、胸の上ですすり泣く熱い肢体を感じたとたん、Dの形相はあの暗黒の地下水道で蛇娘たちの血を吸った凄絶無比な吸血鬼のそれと化したのである。
  Dの左手 「あの娘は、お前のもうひとつの顔をみた。いや、少なくとも喉にかかる息の匂いはかいだ。吸われた血の匂いをな。それなのに、吸われても構わんと言っておる。ええかっこしも大概にせい。自分の欲望をおさえ、女の願いも叶えてやれんで、なにが一人前のダンピールだ。おまえはいつも逃げておる・・・・自分の血からも、おまえを求める人間からも。いずれ別れる運命などとは、きれい事の言い訳にすぎん。きけ、おまえの親父は・・・・」
  吸血鬼ハンターD 「黙れ」
  言葉づらはさっきの反復にすぎないが、その中に単なる恫喝を越えた鬼気を感じ、声は沈黙した。

ポーチの階段をあがると、Dは草原の彼方に遠い眼を向けてつぶやいた。

045 吸血鬼ハンターD 「それでも、おれは行かねばならん・・・・奴を探しに」

吸血鬼ハンター”D”第7章 吸血鬼ハンター死す(V) 劇終

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