小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第6章 血闘――ひとり十五秒(W最終)

D 17、8歳  ダン 8歳
麗銀星 20歳前後 

001 三たび横なぐりに襲う蛮刀の一撃を避けて、Dはもう一度跳び下がった。誰の眼にも、なす術もない敗者の行為と見えた。反撃を加えようにも、青銅の巨人は、唯一の弱点である両眼を棍棒のごとき腕で巧みにカバーしている。
  ダン 「D兄ちゃん、負けないで!」
  ダンの必死の応援に笑い返したのは拷零無(ゴーレム)の方であった。

二名の決闘者を除く八つの瞳が、かっとむき出された。彼らにも何が何やらわからなかったのである。Dは後ろにひいた右足に沿って、刀身を地面に向けて構えていた。その刃の位置が、まるでフィルムのコマ落しのように移動したのである。空を切るカットはとばして、直接、哄笑する拷零無(ゴーレム)の口の中へ。Dの剣は、眼以外にその唯一の突破口たる口・・・すなわち口蓋から、奥の喉頭部(こうとうぶ)、ぼんのくぼの下までを一気に刺し貫いていたのである。

みるみる固さを失ってのけぞる巨体に接近し、一気に脳天を斬り下げたDの非情の刃。声ひとつあげず、夕陽よりひときわ紅い血煙を巻き上げつつ倒れ伏した盟友の姿に、唖然としていた仲間たちも我に返った。

「あのスピード・・・若造、貴様の剣とおれの足、どちらが早いか生命を賭けて見極めてみようぞ」ふーっと風に乗るみたいにDの前へ出たギムレットのその口元に、不敵な笑いが浮いているのは、自信のせいか、それとも、かつてない好敵手と巡り合えたという、夜盗戦士の血の歓びか。Dは剣を胸前一直線、ギムレットの乳の間へ向けて構えた。

瞬間、敵の姿は消えた。見よ、Dの左手の草むら、斜め後方に倒れた石像の足元、その背後・・・五メートルほど離れて彼を取り巻く円周線上に、無数のギムレットが出現したではないか。

  ダン 『・・・・Dの兄ちゃんがやられちゃう!』
  ダンの眼に涙が光った。恐怖より別離の涙か。しかし、とっておきの秘術を駆使しながら、戦慄しているのは実にギムレットの方であった。

『こ、こやつ、動けんのではない、動かぬのだ!』

彼の技は、無数の分身によって敵の構えを崩し、強制的に生まれた隙をつくことで最大の効果をあげる。しかるに、眼前の美青年は、彼の方を見もせず構えを崩しもしないのであった。彼は、ただ円を描いてまわるだけの道化役者にすぎなかった。

  吸血鬼ハンターD 「どうした、来ぬか、あと三秒」
  冷え冷えとしたその声に、我を忘れてDの背後から跳躍したのは、絶望か、焦慮の故か。時速500キロの殺人旋風を待ちうけていたのは、0.5マッハ・・・時速600キロの人狼さえ補足したバンパイアハンターDの一刀であった。

空中に真紅の華を咲かせつつ、はね上がった剣光に左頸(ひだりくび)すじから左胸椎(ひだりきょうつい)までを斬りおとされて、加速人間の流線型のボディは、凄まじい勢いで地上へ激突していった。

次の戦闘はまさに一刹那に決した。

  ダン 「危ない、後ろ!」
  ダンの叫びより早く、Dはふりむき、眼前を覆わんとする暗い雲を認めた。チューラの背中からとび出し、風に乗って襲いくる微細な毒蜘蛛の大群。いかなる神業をもってしても、剣一本で防ぎ得るわけがない。

Dの左手がすっと頭上高くにあげられるや、窪地の半分を塗りこめんとしていた黒い雲が、一線となってその掌に吸いこまれていく様を。どよめきは、吹くのではなく吸いこまれていく風の音であった。

Dは疾風のごとく走った。銀光に頭を割られてのけぞったチュ−ラは、愛する蜘蛛を失ったとき、すでに人間の形をした抜け殻にすぎなかった。

  麗銀星 「しめて四十三秒・・・お見事だ」
010 血刀をひっさげたまま、息ひとつ乱さず自分の方へ歩き出したDを、麗銀星は惚れ惚れした眼差しでみつめ、腰の飛鳥剣を一枚はずすと、何のつもりか、ダンのいましめをすべて切断してのけた。
  ダン 「お兄ちゃん!」
  青痣になった手足をさすりもせずに駆け寄ってきたダンをやさしく石像の陰へ隠し、Dは最後の敵と相対した。
  吸血鬼ハンターD 「おれは急ぐ。いくぞ!」
  声より早く、長剣が赤光をはね返して真横に流れた。間一髪で麗銀星は跳びのき、さっきまで闘技場の役を果たしていた窪地の底に立った。
  麗銀星 「お待ちなさい・・・・・」
  麗銀星は震えを隠さぬ声でいう。彼のシャツは、左脇の下から右脇まで一文字に切り裂かれていた。Dが跳躍しようとした。
  麗銀星 「待って・・・ドリスさんの生命にかかわることですよ!」
  ひと言で、Dよりダンが蒼白になった。Dの眼にもわずかに流れた動揺に満足し、麗銀星はようやく、もち前の天使の微笑が頬に浮かぶのを感じた。
  吸血鬼ハンターD 「どういうことだ?」
020 麗銀星 「ドリスさんはフェリンゴ医師とご一緒なのではありませんか」
  吸血鬼ハンターD 「それがどうした」
麗銀星 「あの女(ひと)は今ごろ伯爵のもとへ誘い出されているはずです。可哀相に、まさか最も信頼しているお医者さまが、昨夜から伯爵の下僕に職業変えしたなんてわかりっこありませんからね」
  吸血鬼ハンターD 「なに!」
  Dがはじめて浮かべた生々しい驚愕と後悔の色に、かえって麗銀星の方が驚いた。彼は、Dが自らドリスをその医師の家へ預けてきたことを知らなかった。
  麗銀星 「おっと、そう、あわてない、あわてない。伯爵との連絡場所もちゃーんと教えてさしあげます。ただ、あなたが私の話に乗って下されば」
  吸血鬼ハンターD 「どんな話だ?」
  麗銀星 「ふたりして、貴族におさまるのです」

「私はリイ伯爵と約束しました。あなたを倒し、その結果、彼が娘を手に入れることができれば、貴族の一員に加えてもらうことを。・・・・正直いって、今でもあなたを倒す気になれば、できないことはないのです。ですが、あなたの実力を眼のあたりにして気が変わりました。あのお医者さまのように、貴族になっても、所詮もと人間は下僕として扱われるだけでしょう。それよりは、伯爵そのものになった方がいい」

  ひと息にまくしたて、麗銀星は息をついた。

やや蒼みがかってきた夕映えが、美しい横顔に微妙なシルエットをつけ、それがなんともいえぬ異形の貌(かお)に映って、ダンは石像の陰で身震いした。

  麗銀星 「今の世で、伯爵を伯爵たらしめているものは、バンパイアの不死性を別にすれば、彼の居城と太古からの培われてきた民衆の畏怖心にすぎません。かつて彼らの時代があった。しかしいま、それは滅びの残光に覆われ、伝説の彼方に消えなんとしています。私とあなたが組めばできる・・・・・伯爵一派を皆殺しにし、彼らの遺産を受け継いで、新たな”貴族”・・・・滅びを知らぬ真の貴族の栄華をこの世にうちたてることが」
030 Dは麗銀星の顔をみていた。麗銀星はDの顔をみていた。
  麗銀星 「あなたはすでにダンピール・・・半分は貴族です。私はあなたを殺したと偽り、伯爵に血を吸ってもらいましょう。その上で・・・・ふふふ、これほど美しいカップルは、”貴族”の全歴史を通じても皆無なのではありませんか?」
  吸血鬼ハンターD 「殺し(キル)が好きな男だな」
  麗銀星 「え?」
  吸血鬼ハンターD 「貴族には滅びる(デストロイ)とあてる」
  ぱっともう一度麗銀星はとびすさり、空中でわめいた。
  麗銀星 「愚かもの!」
  それはかつて、リイ伯爵の城で、父と娘がDに浴びせた言葉だった。右腰から閃く三本の黒い旋光。一本はDの頭上を越え弧を描いて背後から、一本は地面すれすれ、草の葉すべてを断ち切りながら足元で浮き上がって脇の下から、また一本は目くらましの意味で真正面から、それぞれ角度をずらしつつ、凄絶のスピードで放たれた飛鳥剣であった。

しかし・・・・美しい響きをあげて、必殺の武器はすべて打ちおとされた。

草むらで「あっ」という悲鳴がきこえ、蝋燭を持った左拳が肘から絶たれて宙にとんだ。攻撃をかわした瞬間、麗銀星の落下地点へ殺到したDが一撃のもとに切りおとしたのである。

三人の仲間同様鮮血をふりまきながら、麗銀星の顔は、苦痛よりも、信じられないと言っていた。飛鳥剣をとばすと同時に、まちがいなく「時だましの香」をふったのに、時空間をまどわす香りは発せられなかった。いや蝋燭に火さえつかなかった。

  麗銀星 『・・・・にせものだ!しかしいつ、誰がすりかえた!?』
  激痛と疑惑に混迷する美しい顔の前に、ぐいと白刃が突きつけられた。
040 吸血鬼ハンターD 「ドリスさんは、どこにいる?」
  麗銀星 「愚かな・・・・・」

「たかが人間の娘への義理だてのため、貴族の生命を狙い、貴族を侮辱されたといって人間の私を斬る・・・呪われしもの、汝の名はダンピール・・・・貴族の夜と人間の昼の世界を共有しながら、どちらからも受け入れられぬもの・・・あなたは一生、たそがれの国の住人だ」

  吸血鬼ハンターD 「おれはバンパイアハンターだ」

「ドリスさんはどこだ?次は自慢の顔を斬る」

  言葉の中に、脅しとは受けとらせぬものが含まれていた。いちど麗銀星を霧の中で立ちすくませたあの鬼気が、数層倍の迫力を伴って吹きつけてくる。麗銀星は自分の口がひとりでにしゃべるのをきいた。人知を超える恐怖のためであった。
  麗銀星 「・・・・森の・・・・北の森の入り口を真っすぐ入ったところ・・・・」
  吸血鬼ハンターD 「よかろう」
Dの鬼気が一瞬和らいだ。麗銀星の身体がバネのようにはね、銀光がその身体を貫いた。

それなのに・・・低くうめいて膝をついたのはDの方であった。

  ダン 「ああーっ、こんな・・・・」
  麗銀星がとびかかった途端、Dの剣は間髪いれずその腹部を縫った。刀身の半ばから先は確かに敵の体内に消えている。なのに、その剣先はDの腹から突き出ていた!
  麗銀星 「しまった!」
050 吐き捨てて麗銀星は跳びずさった。

すると、ますます怪奇・・・・Dの手ににぎられた剣は当然彼の腹から抜けたが、それと同じ速度でDの鳩尾(みぞおち)から突き出た刀身も彼の体内に引っ込んだではないか!

  吸血鬼ハンターD 「なるほどな。そういう変異人(ミュータント)がいるとはきいていたが・・・」
さすがに膝をついたまま、片頬をわずかにひきつらせてDはつぶやいた。シャツの腹には赤黒いしみが広がっていく。
  吸血鬼ハンターD 「貴様、空間歪曲人間だな・・・・惜しかった」
  麗銀星 「あの瞬間に、よく狙いを変えましたね・・・・」
  「惜しかった」と「狙いを変えた」の意味する所はこうだ。

左肘を切り落とされた激痛をこらえて麗銀星がとびかかったのは、自ら反撃を試みたわけではない。彼はDの剣が自分の心臓を貫くことを期待していたのである。あの一瞬、剣は確かに彼の胸めがけて走り、寸前に引き戻されて腹を突いた。

「しまった」の叫びはそのためであり、わざとDが突きやすい位置に胸部がくるよう、とびかかる速度を調整したことに気づかれたと悟ったためであった。ダンピールを一撃の下に倒す急所もまた、バンパイアと同じ部分なのである。

だが、麗銀星は身をひるがえした。ダンピールにとって腹部の傷は致命傷となり得ず、彼自身も重傷を負っていたからである。

  麗銀星 「左手の礼は、いつかしますよ!」
  N 闇のおちかかった草むらのどこかで声がし、気配が途絶えた。
  ダン 「兄ちゃん、大丈夫・・・・あっ、血だ!」
  吸血鬼ハンターD 「奴を追っている暇はない。ダン、北の森とはどこだ?」
060 ダン 「おいらが案内する。だけど、ここからだと、馬をとばして三時間もかかるよ」
  N 限りない尊敬と不安にみちた少年の声であった。陽はすでに草原の端に沈みかかっている。世界が闇の腕(かいな)に包まれるまで三十分とかかるまい。
  吸血鬼ハンターD 「近道は?」
  ダン 「ああ、あるけど、すごい岩場を突っ切ってかなきゃならない。地割れだの、大沼だの」
  N Dはじっと少年の顔をんみつめた。
  吸血鬼ハンターD 「いってみるか、おれと一緒に?」
066 ダン 「うん!」

吸血鬼ハンター”D”第6章 血闘――ひとり十五秒(W最終) 劇終

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