小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第6章 血闘――ひとり十五秒(T)

D 17、8歳  ドリス・ラン 17歳
麗銀星 20歳前後 

001 ダンの失踪が知れたのは、翌日の早朝の事である。一昨日からの死闘の疲れと、伯爵の襲撃に備えてほぼ徹夜したせいとで、ドリスは、弟が夜明けとともに草原へとびだしたのに気がつかなかった。

門のすぐ下の地面に、一枚の紙片の重しとなってレーザー・ライフルが打ち捨てられていたのである。紙片には優雅な筆跡で次のようにしたためられていた。

『弟を同行す。ハンターDひとりのみ、夕刻180、先日お会いした『遺跡』地帯へ来られたし。なお、これは・・・』

  麗銀星 『なお、これは、ハンター同士の技の優劣を確かめんが目的にて、他意はあらず。また、立会人は姉上といえども無用のこと。技の決着がつくまで、我らのこと一切他言無用のこと。以上に反すれば、いたいけなる八歳児は地獄の業火に灼かれぬ。麗銀星』
  ドリスは全身の力がすうと抜けていくのを感じた。家に戻り、Dに見せたものかどうか迷っているうち、Dの方が彼女の異常さに気づいた。底光りする瞳で凝視され、ドリスはついに手紙を見せた。
  吸血鬼ハンターD 「半分は本当だな」
  どうみても明らかな決闘状を突きつけられたのに、他人事みたいな口調でDは言った。
  ドリス・ラン 「半分?」
  吸血鬼ハンターD 「おれと勝負したいだけなら、ここへきてそう言えば済む。ダンをさらった以上、目的はもうひとつ。おれと君とを引き離すためだ。裏には伯爵がいる」
  ドリス・ラン 「どうして、そんな手間を?あたしひとりに来いと言った方がずっと手っ取り早いのに・・・」
  吸血鬼ハンターD 「この手紙の主が、おれと決着をつけたがっていることがひとつ。もうひとつは・・・・」
  ドリス・ラン 「それは?」
010 吸血鬼ハンターD 「子供を盾に君を要求することは、貴族の名誉にかかわる」
  ドリス・ラン 「だって、現にダンを・・・」
  吸血鬼ハンターD 「恐らく、誘拐だけは麗銀星とやらが仕組んだことだ」
  ドリス・ラン 「ふん、なにが貴族の名誉よ。たとえあいつのアイディアじゃなくたって、黙認すれば同じことだわ。貴族がなによ・・・人の生き血をすする化物のくせに!」
  火のような口調で吐き捨ててから、ドリスは愕然となった。
  ドリス・ラン 「・・・・ごめん、あなたは別よ。あたし、とんでもないことを」
  みるみる両眼に涙が盛り上がり、ドリスはその場に泣き伏した。激情を言葉に変えた反動がきたのである。

嗚咽に震える白い肩に、ひんやりとする手が置かれた。

  吸血鬼ハンターD 「用心棒を忘れては困るな」
  この事態に、なおもの静かなDの声であった。しかし、ドリスの心の耳は、その端然たる響きの奥に、断固としてゆるがぬ自信に支えられたもうひとつの声を確かに聞きとったのである。それはこう言っていた。
  吸血鬼ハンターD 『約束した以上、ダンも君も必ず守り通してみせる』
020 彼女は顔を上げた。ひっそりと自分を見つめる、りりしくも美しい青年の顔が眼の前にあった。熱いものが豊かな胸に満ちた。
  ドリス・ラン 「抱いて!」
叫びざま、Dの胸に身を投げる。
  ドリス・ラン 「どうなってもいい、思い切り抱いて、放さないでいて!」
  しゃくりあげる十七歳の娘の肩に両手を添えて、Dは窓の向こうに広がる蒼い空と、声なき生命の歓乎(かんこ)に湧く朝の草原を見つめていた。

思うは何か。少年の安否か、四人の敵か、伯爵か、それとも・・・・ふたつの瞳に浮かぶ感情の色は、やはり、あくまでも冷たく澄んだ黒一色であった。

やがて、ドリスが身を離した。どこかふっ切れたような、神々しい表情で言った。

  ドリス・ラン 「ごめんね。柄でもないところをみせちゃった。急に、あんたがいつまでもいてくれるような気になったのよ。・・・・そうじゃない。この仕事が終ったら、あんたは行ってしまうのよね」

「なんとなくわかるわ。終わりも近いって。・・・・で、どうしよう、ダンのことだけど」

  吸血鬼ハンターD 「行くしかあるまい」
  ドリス・ラン 「勝てる?」
  吸血鬼ハンターD 「ダンは無事に連れ戻す」
  ドリス・ラン 「まかせたわ。弟の面倒までみてもらって悪いけど、あたしは村へでも隠れる。フェリンゴ先生んところへ転がりこませてもらうわ。おとついはあの人のおかげで助かったの。今度もきっとうまくいくわ」
030 実は、伯爵が逃亡したのはDの施した魔除けのせいであることを、ドリスはまだ知らない。そして、彼女が医師のもとへ行くといったとき、Dが黙したままであったのは、伯爵の力をもってすれば、その魔力の護符も決して万能とは言い難いのを知っていたからだろう。

窓からさしこむ光の傾斜が鋭くなる頃、ふたりは馬に跨って農園を出た。村へ入り、大通りを抜けるあいだ、おびただしい視線がふたりに集中した。憎しみより恐怖の色が濃い。暗い森と妖怪たちに囲まれて暮らしている「辺境」の人々にとって、バンパイアに噛まれた少女と吸血鬼の血を引く青年は、憎悪の段階も超越した恐怖の対象なのであった。みな、グレコの言いふらしたことだ。

それでも、進んで突っかかってくる気の短い連中に出喰わさず、ふたりは「医師フェリンゴ」の看板が軒下に下がる家の前についた。ドリスが馬を降りてベルを押すと少し間をおいて、看護婦兼留守番役の近所の婦人が顔を出した。ドリスの事を知らないらしく、笑顔で「先生、今朝から留守よ」と告げた。

フェリンゴ医師はここから馬を飛ばして片道二時間かかる森の中で猟師を営んでいるハーカー・レーンの家で急患が出たらしく往診中であった。もうすぐ帰るだろうから、中で待ってればいいと婦人はいった。

  ドリス・ラン 「先生が戻ってくるまでお世話になります」
  Dも一緒にと思ったのに、彼女が心を決めたと知るや、馬はゆっくり歩きはじめた。
  ドリス・ラン 「待ってよ、何処いくの?」
  吸血鬼ハンターD 「家のまわりを見てくる」
  ドリス・ラン 「まだ、昼間よ。何も出やしないわ。一緒にいて」
  吸血鬼ハンターD 「すぐ戻る」
  Dはふり返りもせず馬をすすめた。少し行って角を左へ折れる。その時、嘲るような声がした。
  Dの左手 「どうしてついててやらん?あの男の子が心配でいても立ってもおられんのか?それとも、姉の苦悩する顔を見るのに忍びんか?いくらダンピールといってもまだ餓鬼じゃな、ケケケ・・・それとも、あの娘に惚れたか?」
  吸血鬼ハンターD 「そう思うか?」
040 Dの左手 「いや。おまえはそれほどやわな神経の持ち主ではない。あやつの血が流れている男だ。・・・・Dとはよく言ったものよ」
  吸血鬼ハンターD 「黙れ!」
  名を呼ばれた本人が一喝したのはよほど痛いところをつかれたとみえる。次の瞬間には、またもの静かな口調にかえっていた。
  吸血鬼ハンターD 「近ごろ文句が多いな。おれから離れるか?」
  Dの左手 「おお・・・・!」
  声に脅えの色がこもった。それでもなんとか弱みを見せまいとするかのように声は言った。
Dの左手 「わしも好きで一緒にいるわけではないが、・・・・まあ、世の中、もちつもたれつでな。それより、なぜ喉のマークのこと、あの娘に教えてやらん?親父への義理だてか?ひと言いえば安堵するだろうに、貴族の血が混じっているというのは辛いものだな」
  親切ごかしてはいるが、心底そう思っているのではないことは、嘲笑の響きで明らかだ。

Dの眼がきらりと光ったが、すぐ持ち前の暗い静けさを取り戻して、それきり会話も途絶え、やがて彼は次の曲がり角を左に折れてまた独行し、もう一度似たような角を同じ方向へまわって医師の家の前に戻った。

  Dの左手 「おかしな奴はおったか?」
  吸血鬼ハンターD 「いない」
050 本当に周囲の妖しげな気配を確認しにいったものらしい。しかし、そのまま下馬する様子はみせず、中天からやや西へ傾いた陽に、美しい顔をしかめつつあげてつぶやいた。
  吸血鬼ハンターD 「できるのはここまでか」
052 その脳裏をこれから赴く修羅の戦の幻影がかすめたか、一瞬、たんせい極まりない顔にひとつの表情が浮かんで消えた。

通りの向こうにつながれた馬が数頭、突如どよめいて身をよじり、前触れもなく吹きつけてきた生あたたかい風の巻きあげた砂塵に、通行人が目を覆った。それは、あの地下水道で三匹の蛇娘たちが眼のあたりにした、血に狂う吸血鬼の顔であった。

閉じられたドアを束の間見つめて、Dが馬首を村の出口へ巡らせた。「遺跡」まで二時間分の距離があった。

吸血鬼ハンター”D”第6章 血闘――ひとり十五秒(T) 劇終

inserted by FC2 system