小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第5章 必殺・飛鳥剣(W最終)

D 17、8歳  ドリス・ラン 17歳  ダン 7、8歳
麗銀星 20歳前後  グレコ 24、5歳 

001 Dと一緒に農園に戻ったとき、すでに陽は高かった。お守り役のフェリンゴ医師から昨夜の話をきき、小さな胸を不安に染めながら姉の帰りを待ちわびていたダンは、無事に帰宅した二人の姿をみて、大喜びすると同時に目を丸くした。
  ダン 「あれれ、姉ちゃん、どうしたの?・・・馬から落っこちて、腰でもぶったのかい?」
  ドリス・ラン 「お、お黙り!何でもないわよ。さんざんあたしたちを心配させた罰に、こうさせてるんだから」
  ドリスがDの背中からどなった。彼女はDにおんぶしていたのである。

昨夜の伯爵、今朝の麗銀星・・・負けず劣らずの魔人どもとの死闘に耐えてきた彼女の神経は、霧の世界から抜け出し、「もう大丈夫だ」とのDの声をきいた途端にぷつりと切れて、気がついたら、彼のたくましい背の上で家路を辿っていたのである。

  ドリス・ラン 「なによ、やだ、降ろしてよ」
  顔を真っ赤にしてわめくと、Dはあっさり言う通りにしたものの、安堵のせいか足に力が入らず、地面に着いてもヘナヘナとその場に坐りこんでしまう。かくて農園まで、なんとも微笑ましいといえばいえる格好で彼女は運ばれたのであった。

Dはそのまま寝室へ直行し、ドリスはベッドへ寝かされた。マットの弾力を感じた途端、眠りにおちた。

陽が沈みかかる頃、ドリスは眼を醒ました。フェリンゴ医師はとっくに村へ帰り、Dとダンが昨夜の戦闘で破損したドアや廊下の修理にいそしんでいた。

  ドリス・ラン 「いいのよ。あたしたちがするから。あんたは、それでなくても疲れてるのに」
  ダン 「いいじゃねえか」

「Dの兄ちゃん、凄くうまいんだぜ。姉ちゃんとおいらじゃひと月かかったって終りゃしないよ。外を見てきな。除草剤の詰め替えも、柵の修理も、太陽パネルの交換もみーんな片付いちゃったんだから」

  ドリス・ラン 「まあ!」
  高給で雇われたハンターが、自分の家ならともかく雇い主の家の修理を手伝ったりするなんて、前代未聞だったからである。まして、Dの報酬は・・・・こう考えてドリスは真っ赤になった。彼を連れてきた時の約束を思い出したのである。
010 ドリス・ラン 「いいから、あっちで休んでてよ。すぐ食事の支度をするわ」
  吸血鬼ハンターD 「じき終る」
  Dはドアの蝶番(ちょうつがい)をネジ止めしながら言った。
  吸血鬼ハンターD 「久しぶりにやったが、難しいものだな」
  ダン 「それにしちゃ、うまいじゃないか」

「これなら姉ちゃん、一緒になっても楽でいいや」

  ドリス・ラン 「ダ、ダン!?」
  悲鳴に近い声をあげてぶとうとした手の下を、小さな影がするっと抜けて、ドアの隙間から外へ逃げ去った。あとに、美青年と十七歳の少女が残った。陽は平原の彼方を紅に染め、隙間から差し込む名残の眼差しに、ふたりの姿は薔薇色に染まった。
  ドリス・ラン 「・・・・・D・・・・」

「あの・・・・あんた、この仕事が終ったらどうする気なの?もし、急ぐ旅じゃないんなら・・・・・」

  吸血鬼ハンターD 「・・・・急がんが、仕事が終るかどうかはわからん」
  ドリスははっと胸をつかれた。それは、我知らず支えと安らぎを求めようとした少女の脆さに対する鉄槌であった。

敵を倒せるとは限らない。二度の襲撃を切り抜けられたのも、むしろ僥倖(ぎょうこう)であり、死闘はなお継続中なのだ。

「D」とドリスは、さっきと同じ言葉を別人のようなりりしい口調でくり返した。

020 ドリス・ラン 「それが済んだら居間へ来て。これからの方針を相談したいの」
  吸血鬼ハンターD 「承知した」
後ろ向きの声は満足げであった。
     
  敵の「出方」は意外に早かった。

その晩、麗銀星たちに完敗した腹いせにチンピラ仲間と痛飲し、ひとけのない通りを家へ向かっていたグレコは、旅籠(はたご)の前に奇怪な馬車が停まるのを目撃して、素早く物陰に隠れた。

  グレコ 『こりゃ、貴族の馬車だ』

『ドリスを狙ってるのは、こいつか』

  恋敵に対する嫉妬の念と好奇心が、彼をその場に押しとどめた。

ドアが開き、黒衣の人物がひとり地上に降り立った。旅籠の軒下に吊るされたランプの明かりに浮きでたのは、妖風みたいな感じのする青白い面貌(めんぼう)の男であった。

  グレコ 『領主だな」

『一体、何の目的でこんなところへやってきやがったんだ』

  旅籠(はたご)に入ってみると、受付の親父は、カウンターの向こうに立ちすくんだまま硬直していた。術をかけられたらしく、大きく開いた眼の前で手をふっても瞳は動かない。グレコは宿帳を開いた。

部屋数は十室。すべて二階にある。泊まり客はひとりだけだった。「チャーリー陳:職業/画家。」207号室であった。グレコは足音を忍ばせて階段を登り、問題の部屋のドアに近づいた。隙間から明かりが洩れている。

  グレコ 『泊まり客は男だから、血を吸いに来たんじゃねえな。すると伯爵の仲間か。ドリスをものにするのに、助っ人を呼びやがったのかな?』
  グレコはポケットから、小さな聴診器みたいな部品をふたつ、細い銅線でつないだ品を取り出した。ハンター愛用の盗聴器である。大分前に賭けで巻きあげた品だ。通常は、危険で近寄れない妖怪・幽霊の隠れ家探しや、密語をききとるのに利用するが、グレコはもっぱら、村娘の寝室の窓につけるのを得意としていた。

頭部の吸盤をドアにおしつけ、もう一方を耳に積める。この世のものならぬ、不気味な声がドアの彼方から響いてきた。ついで彼は、鍵穴に目をくっつけた。

    ここからは、麗銀星と話す「影」の会話がナレーションに含まれます。
030 (かんぬき)をかけたはずのドアが音もなくひらき、黒衣の人物が悠然と押し入ってきたとき、麗銀星は愕然とした。たちまちそれが貴族と知り、机上の飛鳥剣に手をのばしながらも、来訪の意を理解しかねて困惑した。

すると相手は、爛と光る眼で彼を見据えながら、実にとんでもない提案をしたのである。おまえと仲間のことはすべて知っている、と黒い人物は言った。警備隊を皆殺しにしたことも、ある娘を殺そうとしてしくじったことも。わしは、その娘に用がある。しかし、邪魔ものがおるのだ。おまえたちが霧の中で遭遇し、手も足も出せなかった相手がそれだ。

  麗銀星 「なんのことでしょう?」

「私はただの旅の画家です。そんな恐ろしい大それた事件、きくだけで肝が縮みます」

  黒衣の相手は冷笑し、ベッドの上に銀色のバッジを投げた。それは辺境警備隊員のものであった。

馬も死体もすべて焼き、食い尽くし、灰は風に吹き散らしたつもりだろうが、そうはいかん。声は冷然と言った。わしの城の監視装置は、上空の静止偵察衛星と連動しておってな、わしの眼醒めを待って、辺境の動きを逐一知らせてくれよる。このバッジは現場で採取した灰の分子から再生したものだが、これと、衛星が電送してきたおぬしたちの襲撃現場の写真を添えて、この村のみならず、あらゆる人間どもの居住区へ送ったらどうなるかの。

ここまできいて、麗銀星は飛鳥剣を投げた。それは、恐るべき恐喝者の心臓のあたりで見えない壁にぶつかり、床に突き刺さった。現実に、これで麗銀星は屈服した。

わしが手を下さずともあの娘がおるぞ。と、声はつづけた。明日にでも治安官のもとを訪れ、おぬしたちのことを話すに決まっておる。おぬしひとりが村へ投宿したのは、その前に娘を殺すためじゃろうが、あやつがついておる限り、ひと筋縄ではゆかん。敵はダンピール・・・われらの血が混じっておるからの。いずれにしても、おぬしたちを待つのは破滅のみじゃ。

  麗銀星 「それを私たちに教えて、どうしろとおっしゃる?」
  麗銀星の声がむしろ平静だったのは、相手の指摘がひとつを除いてすべて的中していたため、これはどうあがいても所詮無益と肚(はら)を決めたからであった。

わしが力を貸してやろう。と声は思いがけないことを言った。邪魔な若造を殺し、あの娘を手に入れる以外、わしはおまえら虫けらどもの世界に用はない。

  麗銀星 「それは・・・・どうやって!?」
  麗銀星の眼に、残虐な卑しい光が灯った。霧の中の相手・・・・その若造とやらを倒せるかもしれないと知ったためである。伯爵の指摘の中で、ただひとつの間違いはそこにあった。彼は少女の口を封じるために配下の三人を森に野宿させ、ひとり村へやって来たのではなかった。いや、そのためもあるが、実の狙いはもっと個人的なものであった。

羽根をもぎ足をもぎ、後は首を絞めるだけ窮鳥を眼前から奪われ、なおかつ、その相手に指一本触れられぬどころか、凄まじい鬼気に金縛りになったその屈辱を晴らすためであり、無敵と自負する飛鳥剣をただ一撃で打ちおとされた礼をするためであった。怨念だ。憎悪と復讐心の強さでは首領に負けぬ配下たちもこれに同意し、人目につかぬよう、麗銀星ひとりが少女と謎の敵を求めて村へ戻ったのである。

しかしながら、村の入り口で待てど暮らせど獲物は見当たらず、人づてにきいた結果、少女の名と住いだけは判明した。本来なら、すぐにも襲いかかるところだ。しかし、村人の口からもとうとう正体が明らかにされなかった敵の実力が、先走る憎悪に冷水をかけた。

彼はいったん村を出て仲間を集め、それとなくドリスの農園を見張るよう命じて、自らは必殺の策と敵に関するより多くの情報を求めて村へ戻ったのである。そして、情報は集まらなかったが、想像もしなかった強力な助太刀が、いま目の前にいた。

  麗銀星 「で、どうやって?」
  こうすればよい。黒ずくめの悪魔と美しい魔人の会話がひとしきりつづいた。やがて、黒い来訪者の手から、ベッドの上に細長い蝋燭らしきものが放られた。「時だましの香」じゃ。昼を夜に、夜を昼に変える道具よ。中でもこれはとびきり効果が強い。奴の前で火をつけ、すぐに吹き消せ。これで奴も隙だらけになるはずだ。そこを倒せ。ただし、おまえたちがつまらぬ考えを起こさぬよう、使えるのは二度だけだ。火は手にもって振ればつく・・・。
  麗銀星 「お待ち下さい」

「もうひとつ、お願いがございます」

040 願い?影の声に疑惑と怒りがこもった。
  麗銀星 「さようで」

「・・・私を貴族の一員に加えて下さいませ。・・・・・おお、そう怒らずとも。よくおきき下さい。そもそも、あなたはなぜ、今度のパートナーに私たちをお選びになりました。この香一本でなんとかできる相手なら、他の人間たちでも十分に用を足せるはず。金貨一枚、槍一本の報酬で、親さえ子供を殺す時代でございます。

それなのに、あえて私のもとへ足を運ばれたのは、少なくとも私程度の腕の持ち主でなくばそやつを倒せぬという証拠でなくてなんでしょう。

ダンピールに関してなら、私にもいささかの知識がございます。敵にまわせばこれほど恐ろしい相手はない大敵。ましてや、今度の敵の凄さ、恐ろしさは、私も骨身に徹しております。あれは並みのダンピールではございません。

私どもの所業に眼をつぶっていただくだけでは不足でございます。四人全部とは申しません。私ひとり、栄(はえ)ある貴族のお仲間にお加え下さいませ」

  影は沈黙した。

心ある人間がきいたら、いや、三人の配下がきいても「裏切り者」と絶叫しかねない麗銀星の申し出ではあるが、いつの世にも背信の徒は多い。地獄の悪鬼と恐れ憎まれながらも、人の心の奥には、吸血貴族たちへの醜い憧憬が物欲しげな眼つきでうずくまっているのだ。権力と不死はつねに甘い香りを放つ。

  麗銀星 「いかが?」
  麗銀星は迫った。

影はうなずき、麗銀星もまたうなずいた。

  麗銀星 「では、仰せのごとくいたします」
046 まかせたぞ。影は部屋の外へ出た。もう一軒、知り合いの家へ寄らねばならない。壁の油火(あぶらび)がゆれる廊下に、人影は見えなかった。

吸血鬼ハンター”D”第5章 必殺・飛鳥剣(W最終) 劇終

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