小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第5章 必殺・飛鳥剣(U)

吸血鬼ハンターD 17、8歳
ドリス・ラン 17歳  麗銀星 20歳前後  

001 どこからともなく、白い狭霧(さぎり)が、「遺跡」地帯に湧き上がりつつあった。それは、麗銀星の武器を使った手に、ドリスの頬にじっとりとまとわり、生暖かい水滴をつくった。

白い濡れたベールが空の青さえ閉ざした薄明の世界で、ひとりの少女に死の影が迫りつつあった。霧の向こうに麗銀星の配下の三人が姿を現した。ウィッチがドリスによって首をはねられ殺されたときいた男たちは口にはどす黒い怒りをはらんでいた。男たちは口々に『おれは目玉をえぐる』『おれは手と足をもぐ』『おれは首をちぎる』などと役割分担を決めていく。そして最後に麗銀星が言った。

  麗銀星 「私は残った体を抱きましょう」
  ドリスの声はしなかった。息づかいさえきこえない。男たちは死の前にすくんだ少女の気配だけを感じた。乳白色の霧は、すべてのものをおぼろげな影と化していた。

麗銀星が右手の飛鳥剣を構えた。声ひとつかけないのに、霧の向こうで同時に拷零無(ゴーレム)が蛮刀を抜き、ギムレット【とんがり頭】の手に山刀が光り、チューラ【せむし男】の瘤(こぶ)がふたつにわかれた。

必殺の一撃を送ろうとして、麗銀星は硬直した。

  麗銀星 「・・・・・なにかいる!」
  そう、渦まく霧。粘っこく、肌の奥まで沁みこんで生の炎をしめらせ、じわじわと精神を蝕(むしば)んで行くような不快な霧の中に、彼ら四人といたいけな犠牲者以外なものの気配を、はっきりと彼は感じとった。

零銀星の眼には見えなかったが、気配は、さきほど彼が手練の早業で倒した石像のあたりでした。そして、彼は知らなかった。いつとも知れぬ太古から、大地に開いた地底への入口を塞ぐ役を果たしていたことを。霧はそこから、地の底から溢れ出たのであった。

  ミドウィッチ蛇女 長姉(真ん中)
「これが外かえ?」
  それこそ夢魔がしゃべるような不気味な声がした。麗銀星はもとより、凶悪無惨な三名の配下さえ、思わず生唾をのみこんだほどの非人間的な響きがあった。しかも、それは女の声であった。
  ミドウィッチ蛇女 次姉(右側)
「なんと冷たい・・・下の方がまだまだましじゃ」
  ミドウィッチ蛇女 三女(左側)
「腹に何か入れねばなりませぬ・・・おお、そこにおるではありませんか。ひい、ふう、みい、よう・・・五つも・・・」
  万物を盲目と化す白霧(はくむ)の中で、三つの声の主ははっきり見えるのだと悟り、麗銀星は戦慄した。それ以前、彼は感じた気配の異様さに、ふり上げた飛鳥剣をおろすことも忘れている。気配は二つ。それなのに、うちひとつはどうしてもそれ自体三つに分離(わ)かれているとしか思えないのだ。
010 吸血鬼ハンターD 「案内役はもう済んだ。下へ戻れ」
  今度は、錆をおびたずっと人間らしい声が命じた。もうひとつの気配の主だろう。だが、声こそそうだが、気配それ自体は不気味な声の主をも凌駕する凄絶さがあった。
  ミドウィッチ蛇女 次姉(右側)
「そんな・・・・あれほど美形な・・・・うまそうな」
  吸血鬼ハンターD 「ならん」
  ミドウィッチ蛇女 三女(左側)
「姉者、いこう、ご命令じゃ」
  ミドウィッチ蛇女 長姉(真ん中)
「・・・・惜しいが、そうするか」

長姉(真ん中)
「でも、でも・・・・今度はいつ来て下さるのか?私どもの下の棲家へ。愛しい方」

  最後の声は哀願であった。それきり応えはなく、やがて奇怪な、三にして一の気配の主がしぶしぶ移動するこれまた気配があり、それは地上から消滅した。
  吸血鬼ハンターD 「貴族以外は俺の相手ではないが、どうしても、と言うならくるがいい」
  おれたちへの挑戦だ!・・・と理解しつつ四人組の戦意は萎えたままであった。
  ドリス・ラン 【泣き声に近い声】「・・・・D・・・・あなたなの・・・・・」
020 吸血鬼ハンターD 「来たまえ。落ちついて。駆ける必要はない」
  霧の奥で、ぎりりと歯がみする音がした。駆ける必要がないとは、四人組は手も足もでないと断じられたに等しい。その痛烈なる侮辱に対する怨嗟(えんさ)のの表明である。しかしながら、事実、霧の彼方から放たれる鬼気に骨がらみ縛りつけられて、凶人たちは指一本動かせない。

喉もとに手までかけた窮鳥は、声の主のもとへ歩み去った。少しして、ともに遠ざかる気配がした。

  麗銀星 「お待ち・・・・待て」

「せめて名を・・・・・」

  いつもの典雅な言葉遣いさえ、彼は忘れて霧の中へ呼びかけた。
  麗銀星 「Dとは、貴様の名か?」
025 応答はなく、ふたつの気配は遠ざかる。呪縛がゆるんだ。

絶叫をあげて、麗銀星は武器を投げた。力、スピード、タイミング、ともに絶妙、防ぐものなし・・・満腔(まんこう)の自信をもって放つ飛鳥剣の一閃であった。霧の奥で、刃と刃の触れ合うような音がした。それきり物音は全て絶え、白い世界に静寂がおりた。ふたつの気配はすでにない。

少しして、拷零無(ゴーレム)の喪心したような声がきこえても、美しい悪魔の申し子は、ついに帰らぬ飛鳥剣を待って、右手を宙にのばしたまま、霧よりもなお白ちゃけた顔色で、鞍の上に凍りついていた。

    ※ 語句の意味  満腔(まんこう)・・・むねいっぱい。 こころから。

吸血鬼ハンター”D”第5章 必殺・飛鳥剣(U) 劇終

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