小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第5章 必殺・飛鳥剣(T)

ドリス・ラン 17歳  麗銀星 20歳前後  

001 翌朝、陽が昇ると同時に、ドリスは眠りつづけるダンの世話を老医師に頼んで農園を出た。

気象コントローラーの”快適操作時間”が切れても、冷気を含んだ草原の朝は緑が黒ずむほどに美しく、生気にあふれていた。心地よい潮風の吹きすぎる街道を、夜っぴて疾走したらしい十頭ほどの騎馬が、唐突に砂塵を蹴散らしながらその足を止めた。

街道は、大の男の腰までありそうな草原の間を縫ってランシルバの村へとつづいている。二十メートルばかり離れたその道の真ん中に、草むらを割って四つの影が立ちはだかったのであった。

  辺境警備隊 【辺境警備隊・隊員】
「な、なんだ貴様たちは!?」

【辺境警備隊・隊員】
「我々は『都』から派遣された辺境警備隊だ・・・そこをのけ!」

  叱咤をとばした男が、ふと目を細めた。四人組の異様な風体が危険な記憶に触れたのである。
  辺境警備隊 【辺境警備隊・隊員】
「女のごとき若造に、雲つく大男、錐(きり)みたいにとんがったやせっぽちに傴僂(せむし)・・・そうか、貴様たちが、『怪魔団』だな」
  麗銀星 「よくおわかりで」
  麗銀星は緑の朝にふさわしい笑顔になった。この美青年が、辺境の北を荒らしまわった残虐無比な強盗団などとはとても信じられない。珠玉みたいなほほえみであった。
  麗銀星 「北では顔を知られすぎてこちらへ出稼ぎに参ったのですが、これからというときに、あなた方が手配書を配りながら村々をまわっているときき、こうしてお待ち申し上げていたのです。無粋な真似はおやめ願います」
  辺境警備隊 【辺境警備隊・隊長】
「だまれ。ペドロスの村で貴様たちを見かけたとの知らせに急行したものの、ひと足違いでとり逃がし、ほぞを噛んでおった矢先だ。そっちからのこのこ現れたとは願ってもない好機。この場でひっくくってやる。それにしても、いかに凶悪な強盗どもとはいえ、何たる愚か者ぞろいだ。いいか、我々は辺境警備隊だぞ」
  この自信は単なるこけ脅しではない。『都』から定期的に辺境の巡回警備に派遣される彼らは、あらゆる妖魔、怪獣に対する戦闘訓練をつみ、強力な兵器で武装した、ひとりひとりが一小隊にも匹敵するファイターぞろいなのである。

背後にいならぶ隊員たちの鞍のあたりで重々しい金属音がひびいた。武装した無反動バズーカに、砲弾が自動装填される音であった。

  辺境警備隊 【辺境警備隊・隊長】
「どうだ、とらえられに出てきたと観念して武器を捨てろ。獄門台に送られるまで、生命だけは永らえるぞ」
010 麗銀星 「いやですね」
  辺境警備隊 【辺境警備隊・隊長】
「なにィ」
  麗銀星 「気の済むまでお射ち下さい。ですが、そのまえにひとつお忘れになっていることがある」

「怪魔団は四人組ではないのですよ」

  辺境警備隊 【辺境警備隊・隊長】
「なに!?」
  麗銀星 「誰も知らぬお守り役がいるのです」
  横を向いたまま、麗銀星の唇がきゅーっとつり上がった。それは悪魔の笑いだった。
  麗銀星 「ほら、そこに!」
  人間の精神と肉体が抗(あらが)い切れぬ恐怖が眼前に出現したとき、犠牲者の受けるショックの強度は、「距離」に反比例するものらしい。

そいつが、隊長の馬にのしかかるような形で空中から湧き出した途端、隊長はショック死に見舞われ、後方三メートル以内にいた隊員五名が発狂した。馬さえも逃げるのを忘れ、口と鼻から白い泡を吹きつつ大地をのたうったのである。あとの馬は総立ちになった。

大地へふり落とされた隊員たちが悲鳴ひとつあげなかったのは、すでに彼らも精神の一部を破壊されていたのであろう。あるものは奔走する馬の蹄(ひづめ)に踏みつぶされ、あるものは凝固したごとく、近づいてくるそいつを見つめていた。

そいつは、ゆっくりと、生き残りの隊員ひとりひとりの体に触れていった。『都』の最強の兵士たちは、成す術もなく静かに狂死した。

  麗銀星 「いかが?怪魔団の五人め、なかなかの美形でしょう」
  地上に這った最後のひとりが、麗銀星の嘲笑をきいたとき、そいつの姿はだしぬけに消えうせた。

その気配を察し、振りむいた麗銀星の額へ、生き残りの隊員がうつろな目でレーザーライフルの銃口を向けた。拷零無(ゴーレム)がうごくより早く、赤い光がその額を貫いた。

だが・・・のけぞったのは隊員の方であった。麗銀星の眉間(みけん)に吸いこまれたレーザー・ビームは、なんと彼の後頭部から噴出したのである。肉と脳の焼ける異臭が清涼な空気にただよった。

「ウィッチの身に何かあったな・・」と傴僂男(せむしおとこ)が言った。

020 麗銀星 「チューラの言うう通りです。私が不覚をとったのも、あれが思いもかけず仕事の途中で消えたから・・・」

「あの年で術が破れれば、たどるは暗く冷たい死の道・・・」

  ギムレットが、見てきましょうかと申し出たが、麗銀星はその美しい顔を横にふって、とんでもないことをにこやかに命じた。
  麗銀星 「いえ、わたしがいってきます。あなた方はこの醜い死骸を始末なさい。焼くなり食べるなりお好きなように」
  凄惨な死闘が片付く・・・・正確には、空中から出現したものが突如消滅する少し前のことである。草原を疾走中のドリスは、馬の方向を変える寸前、思いがけない場所に思いがけないものを発見し、逆に手綱を引きしぼった。

村の人々が「悪魔の石切り場」と呼んでいる場所である。広さも定かならぬ草原の一角に、おびただしい数の石像が林立し、地に伏し、天をあおいでいる。

ドリスの眼を引いたのは、「悪魔の石切り場」地帯のほぼ中央、大地が大きく陥没した窪地の底に腰をおろし、何やら奇妙な動作を繰り返している老婆であった。老婆の周囲から毒気が立ちのぼっている。明らかに、妖術を使って邪悪な作業を敢行中なのだ。呪文を唱える低い声が耳の入った。

任務遂行中に他人が「結界」の中へ入ると心気は乱れ、はなはだしい場合は術そのものが効力を失うため、妖術師たちは結界の外に自らが生み出した妖物・・・いわば番犬を配し、侵入者を撃退させる。

  ドリス・ラン 「あの婆さんまで、十メートル。トリック・プレイかけてみるか」
  鞭が虚空を薙(な)いだ。老婆の方へ。空気を貫通して気獣がドリスを襲う。そのとき、鞭がしゅっと引かれた。次の瞬間、空中で何かが炸裂する気配。大気中にぐおっと邪気がこもり、すぐに拡散して消えた。

折り返しに老婆のあげた苦鳴が、ドリスを草むらから立ち上がらせた。老婆を襲うとみせて気獣を突進させ、間一髪、手首のひねりで逆に気獣を一撃する。もちろん一瞬でも手の動きが遅ければ、この世から消滅するのはドリスのほうだった。

妖術で気獣を生んだ老婆には、気獣の消滅が術の崩壊をも意味したのである。生命力をすりへらしつつ施していた術が破れたとき、老婆の黒い心臓も鼓動を止めた。

  ドリス・ラン 「お婆さん!ちょっと、しっかりして!」

「なんてこと・・・こんなつもりじゃなかったのに・・・・」

「悪いけど、戻ってくるまで待っててね。大事な用事があるのよ」

  ドリスは死体をその場に横たえ、馬のところへ戻ろうとしてためらった。遺体を村へ運ぶより、まずDの安否を確かめるのが先決だ。そのために危険を承知でやってきたのである。
  ドリス・ラン 「この辺には、とっ憑く奴らはいないと思うけど・・・でも、一緒にいきましょ。無事に戻ってこられるかどうかは保証の限りじゃないけどね」
  死体は鞍の後ろに積み、革紐で手足を馬体にくくりつけた。落ちるのを防ぐためと、とり憑かれたときの用心である。

ドリスは馬にまたがった。とりあえず街道へ。数歩前進したとき、不意にドリスはふりむいた。同時に、びゅっ!と、首のあたりを何か重いものがかすめてすぎる音がした。宙に舞った首は、長い放物線を描いて地に落ちる寸前、カッと両眼を見開いた。

ドリスは、自分が間一髪のところで救われた事を知った。目の前に、鉤爪を彼女の喉にくいこます寸前の姿勢で硬直した老婆の首なし死体があった。いましめを断って後方からドリスに襲いかかった瞬間、丘の上の影が手練の早業でその首を切断したのである。

030 ドリス・ラン 「あっ、D・・・・・」
  満面にのぼった歓喜の色は、しかしすぐ退いた。鮮やかな手綱さばきをみせて丘を降ってくる人影は、Dとも見まごう美貌ながら、明らかに別人であった。
  麗銀星 「よく気がつきましたね」
  ドリス・ラン 「そんな。また助けていただいたわね。どんな武器をお使いになったの?」
  麗銀星 「失礼ですが、その服装と鞭からして、ハンターとお見受けします」
  ドリス・ラン 「親父がね。あたしは真似ごとです」

「どうして、朝っぱらからこんなところにいらっしゃるの?遠乗り?」

  麗銀星 「え、ええ」
  ドリス・ラン 「なら、このお婆さんの身体を村まで運んでやってくれませんか。本来ならあたしが行って治安官に事情を説明しなくちゃならないんだろうけど、実はいま急いでいるのよ」
  ドリスは、馬をとめてからの事情をすべて物語った。
  麗銀星 「成る程、それで・・・・」
040 終わりまで黙ってきき、麗銀星がうなづいた。
  麗銀星 「死体の件は引き受けました。ふたつともうまく処分しましょう」
  ドリス・ラン 「・・・・・ふたつ?」
  ドリスは眉をひそめたが、美青年の屈託ない笑顔に打たれて反射的に笑い返した。
  ドリス・ラン 「じゃ、頼んだわよ」
  馬首を巡らした腕が、横からぐいとひかれ、美少女は馬上で抱きすくめられていた。口もとで、男のものとは思えぬ甘い息が匂った。
  ドリス・ラン 「なにを・・・・」
  麗銀星 「わたしは五人目の仲間を殺してまで、あなたを助けた。それもあなたが美しかったからです。もうひとつ、昨日の分もある。お礼を頂いても罰はあたらないと思いますが」
  ドリス・ラン 「およし、よさないと・・・・」
  麗銀星 「それに、あなたはみてはならないものを見た。村へいってそれを喋りまくられては困る。ここで死んでいただきます。仲間の仇討ちとでも申しましょうか・・・そう暴れないで。まだ生きていられますよ。楽しいことが済むまではね」
050 乙女の口を美青年の唇がふさいだ。

敏速に身を離したのは麗銀星の方であった。唇をおさえた手の甲に鮮血が広がった。ドリスが噛みちぎったのである。

  ドリス・ラン 「なめるんじゃないわよ!あたしには大事な人がいるんだ。おまえなんかに指一本触れさせるもんか!」
  凛然(りんぜん)と言い放つ。麗銀星の表情が怒りに紅潮するかと思いきや、彼はにっと笑った。誰もが微笑み返さずにはいられぬ愛くるしいそれではない。あの街道で見せた悪魔の微笑であった。

慄然としながら、ドリスはその顔の真ん中へ鞭をは放った。ふたりの距離は五十センチ足らず。鞭をふるうには近すぎる。それなのに、少女のこぶしから放たれた黒いうねりは、神業のように美青年の顔を真っこうからはじいた。いや、はじこうとして、目標の腰から閃いた黒い稲妻の前に消滅した。一瞬のうちに勝ち目は無しと悟って、ドリスは馬首を「遺跡」の方へ向け、一目散に走り出した。

麗銀星は、すぐには投げなかった。ドリスの馬が「遺跡」帯の真ん中にさしかかったとき、はじめて彼は、したからすくい投げる格好で武器を飛ばした。みるみる遠ざかる黒い点に、しゅるしゅると回転しながら追いすがったそれは、馬の右後ろ足、右前足をすねから切断し、前方で優雅な円を描くや、今度は逆の方向から左側の両足を、切りとばしたのである。血の霧をふり巻きながら、馬は倒れた。

ドリスは、横倒しになる馬体から、しなやかな身体が宙を舞い、くるりと回転するや、やや体勢を崩しながらもきれいに着地を決めたのである。

  麗銀星 「いまの技をみて、ますますすぐ殺すのが惜しくなりました。いかが、私と今生の別れを交わされては?」
  ドリス・ラン 「誰が!あんたみたいな、おすまし顔の蛇の相手をするくらいなら、この石で頭を叩き割った方がましよ」
  麗銀星 「獲物が手強ければ手強いほど、猟師は燃えるのですよ。それが美しい獣ならなおさらです。・・・おっと、失礼。そちらもハンターでしたかな」

「このまま冥土へいって頂くのは簡単なのですが、そうあっさりお別れしては、あの世で私の怖ろしさを宣伝する材料にお困りでしょう」

「もう少し、そのかよわい胸を恐怖にすくめて頂きましょうか。そうそう、ハンターの心得その一・・・隠れた獲物は、まず隠れ家から追い出すこと」

056 空気がうなり、ドリスの隠れた像の土台あたりでなんともいえぬ音がした。ドリスが必死で跳びのいたのも道理。かしいではいたものの、多少の衝撃などでは小ゆるぎもしないと思われた数十トンの石像は、突如安定を欠いたように、彼女の方へ傾き始めたのである。

それをやってのけた零銀星の武器はすでに彼の手へ戻っている。その形状、作用からして、古代オーストラリア原住民のみが使いこなしたというブーメランと酷似しているが、ブーメランが打撃で獲物を倒したのに対し、零銀星のものは、縁(へり)も先端も鋭く研ぎ澄まされていた。おまけに鉄製だ。

大地をゆるがし、苔の青を飛び散らしつつ石像は倒れた。青いすり鉢のような陥没地帯の底に、ドリスは茫然と立ちすくんだ。

朝風に花のようにゆれながら麗銀星は笑った。

吸血鬼ハンター”D”第5章 必殺・飛鳥剣(T) 劇終

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