小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第4章 妖魔の弱点(W最終)

ドリス・ラン 17歳  フェリンゴ医師 60近い歳

001 妖雲(よううん)を踏みつけてやってくるがごときサイボーグ黒馬(こくば)の足音が、ききちがえるはずもない距離まで響いてくると、ドリスは居間の片隅へ寄り、壁に飾った銀色の祭礼用マスクのひとつを右へ回転させた。

鈍い音をたてて、壁と床の一角がまわり、後退し、みるみるうちに板張りのコンソール・パネルとアーム・チェアーが出現した。ドリスの父親が『都』の職人を呼んでしつらえさせた戦闘指令所である。農場に仕掛けた武器のすべてはここで制御される。天上から全方位用プリズム監視鏡が降りてきた。

  フェリンゴ医師 「ほう。あのとき、何の工事をしているのかときいたら、太陽熱変換炉を新品に変えるといっておったが。わしにも内緒か、水くさい親父だの」
  まだ呑気な医師の言葉に応じている余裕はなかった。監視鏡のプリズムアイは、農場の小道をまっしぐらに進んでくる四頭立ての黒い馬車の姿をとらえていた。ドリスの手がレバーのひとつにのびる。
  フェリンゴ医師 「あわてるな」

「電磁バリアーがあるぞ」

  その言葉が終らぬうちに、三つの閂(かんぬき)で封じられた木の門が、馬車の到着まで十メートルほどの距離で音もなく開き、風を巻いてそこを通り抜けようとした黒い影は、目もくらむ閃光につつまれた。刃(やいば)も通さぬ硬質の鱗で護られたリトルドラゴンでさえ黒焦げにする電磁バリアーの火花は、束の間、闇夜を白昼(はくちゅう)に変えた。

白熱大輪の火の花を突き破って、白光のかたまりが農場へ侵入した。馬も御者も馬車の輪郭もすべて白い炎に覆われている。地獄の馬車が突如地上に姿を現したような、それは異様な光景であった。

周囲を取り巻く電子の炎がみるみる失せていく。敵はより強力なバリアーに護られているのだ。

  フェリンゴ医師 「まだじゃ。見ろ、出てくるぞ」
  黒いドアが開き、自動的にせり出した小階段を踏んで、黒衣の偉丈夫が大地に降り立った。
  ドリス・ラン 「阿呆が・・・のこのこ出てきたわ」
  自分の喉に汚らわしい傷をつけた張本人が、夜目にも白い牙をむき出してにんまりと微笑み、ひとり母屋の方にむかって前進しだしたとき、ドリスはレバーを引いた。

農場のあちこちで、バネのはじけるような音が連続した。黒い塊が風を切って伯爵を襲い、数十センチ手前ではね返された。地に落ちたのは、ふた抱えほどもある丸石であった。つづけざざまに集中する石の砲弾はすべて、見えない壁に運動エネルギーを吸収され、平然と歩みつづける伯爵の周囲に転がった。

  ドリス・ラン 「思った通り・・・手強いわね」
010 ドリスは第二のレバーを倒した。

農場に秘められた発射口から再度飛来したものは、鋼鉄の槍であった。最初の十数本はことごとくはじけ飛んだのに、最後の一槍が伯爵の腹部を貫いた。一瞬棒立ちになった伯爵が、プリズム・スクリーンの中でもの凄い笑顔をみせ、腹と背から鉄の槍を突き出したまま、またも悠然と歩みだしたのである。

植え込みに仕込まれたマシン・ガンが火を吐き、太陽熱貯蓄ユニットからレンズで点火されたミサイル火矢が雨あられと降り注いだ。周囲に巻きおこる油煙(ゆえん)と炎の爆発、轟音の中で、伯爵は苦笑した。

不意に激怒が、眼前の獲物の抵抗をけなげに思う余裕を焼き尽くした。両眼を炎に変え、むき出した牙をガチガチと鳴らしながら、伯爵はポーチへと走り寄り、階段を一足とびに跳ね上がるや、腹部の槍をぐいと引き抜いて片手なぐりにドアへ叩きつけた。蝶番(ちょうつがい)がはじけて屋内へ倒れこむドアの向こうに、黒い鉄の網が張られていた。何の考えもなく、払いのけようとして鉄槍を突っ込んだ刹那、接触部が閃光をはなち、伯爵は槍を持った手首から全身へ猛烈な灼熱感が走るのをおぼえた。

急激な電気ショックに細胞が灼(や)かれ、神経が壊死(えし)するのを感じながら、伯爵は槍をふるった。新たな苦痛と火花を置き土産に、ワイヤーをよりあわせた放電網はちぎれて床に落ちた。

  マグナス・リイ伯爵 「女ひとりの身で、やるな」

「わしの見込んだ通りの、生命力にあふれた女。・・・・どうしてもおまえの血が欲しくなったぞ。待っておれ」

  ドリスは万策尽きたことを知った。屋内用に切り換えた監視鏡のスクリーンいっぱいに、血の渇望に満ちた妖魔の顔が広がり、ドアが居間の内部に倒れこんできた。彼女は制御盤から跳びのき、フェリンゴ医師をかばって立った。
  マグナス・リイ伯爵 「娘・・・・・」

「女ながらあっぱれな奮戦ぶりだが、これまでだ。その熱い血潮をわずかながら捧(ささ)げてもらうぞ」

  大気を裂いて鞭が唸った。

「こい」と伯爵は鋭く命じた。鞭の先は空中でとまどい、床にわだかまった。操り人形のように、ふらふらと進みでるドリスの肩を、老医師がおさえた。その右手が鼻腔を覆ったとみるや、少女は声ひとつあげず崩れ折れた。医師は最前から、クロロホルムをしみこませた布をかくし持っていたのである。

  マグナス・リイ伯爵 【感情のこもらぬ白い声】「邪魔をする気か、老いぼれ」
  フェリンゴ医師 「放っておけぬでな」

「おまえの嫌いなものじゃ・・・ニンニクの粉末よ」

  マグナス・リイ伯爵 「よく見つけ出した・・・・といいたいところだが、愚かものは愚かものだな。確かに、わしもその香りには刃向かえん。だが、今夜ひと晩わしの手を逃れてなんとする。わしに対するその効果を確信した途端、確信したがゆえに、おまえは手にしたものの記憶を全て忘れ去る。明日の晩、わしはまた来るぞ」
  フェリンゴ医師 「そうはさせん」
  マグナス・リイ伯爵 「ほう、どうする?」
020 フェリンゴ医師 「老いぼれにも過去はあっての。ピーター・フェリンゴといえば、三十年前多少はならしたスパイダーハンターじゃった。おまえたちとの戦いの作法もいささか心得ておる」
  マグナス・リイ伯爵 「ほう」
  伯爵の眼がひかりをおびた。老医師の手がふられた。空中に粉末と異臭が渦まいた。
  マグナス・リイ伯爵 「うぐっ・・・・ぐええ・・・・ぐ・・・・・」
  鼻から下をマントで覆い吸血鬼はよろめいた。脳が焼け爛(ただ)れ、全身から生命そのものが流れ出すみたいな猛烈な脱力感と嘔吐感が襲いかかってくる。
  フェリンゴ医師 「おまえたちの時代は過ぎた。滅びの闇世(やみよ)へ戻れ!」
  いつの間に取り出したのか、右手に三十センチほどの白木の杭を握ってフェリンゴ医師は突進した。その眼前で、ぱっと黒い鳥が羽を広げた。伯爵のマントである。それは、意志をもつもののように、老医師の手首に巻きつき、伯爵が片手を動かしたとも見えないのに、大きく動いて老医師を部屋の片隅へ投げ飛ばしていた。

必死で床から身を起こした老医師は、激しくむせながらもドリスの上にかがみ込む伯爵の姿に恐怖した。

  フェリンゴ医師 「待て・・・」
  伯爵の顔が少女の喉に重なる。医師は目を見張った。

伯爵が顔面を蒼白にしてのけぞったのである。これほど凄まじい貴族の恐怖の相を目撃したのは、老医師だけではあるまいか。唖然とする老医師を尻目に、黒衣の影はマントをひるがえしてドアの外へ消えた。

老医師がようやく、腰骨のあたりを押さえながら起き上がった時、窓の外から遠ざかる車輪の響きがきこえてきた。

  フェリンゴ医師 『・・・・どうやら、ひとまず危険は去ったらしいの』
030 湧き上がる安堵感のさなか、フェリンゴ医師は、ふと、大切なことを忘れたような気がして首をひねった。
  フェリンゴ医師 『この匂いはなんじゃろう?あやつ、なぜ、逃げた?』

吸血鬼ハンター”D”第4章 妖魔の弱点(W最終) 劇終

inserted by FC2 system