小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第4章 妖魔の弱点(T)

ドリス・ラン 17歳  ダン 7、8歳
麗銀星 20歳前後  グレコ 24、5歳

001 ダン 「姉ちゃん・・・肥料、こんなに少なくていいのかい?」
  馬車の荷台に乗って、プラスチック・ケースの最後のひと箱を受け取ったダンの不安そうな声が、ドリスの胸を刺した。

ちょうど、Dが吸血城の門をくぐった時刻である。ふたりはランシルバの村へ、月に一度の買出しに出掛けていたのだ。ところが、結果は惨憺(さんたん)たるものであった。いつもは店頭にない品でも奥の倉庫から引っぱり出してくれるウェイトリ爺さんの店が、今日に限って冷たく拒否したのである。ドリスはすぐにピン、ときた。こんな嫌がらせをする奴はひとりしかない。

今のドリスにとって、明け方から日没までの時間は宝石に等しい。夜は悪鬼と自分自身との凄惨な死闘が待っている。夕暮れまでに何があっても家へ帰れと、Dでさえ、くれぐれも念を押して出掛けていったほどである。

  ドリス・ラン 【慌てた風に】「いけない、フェリンゴ先生のところへ寄るのを忘れてた」

「少し待っといで。荷物、盗まれたら困るから、馬車を離れちゃ駄目よ」

  ダン 【すがるように】「姉ちゃん・・・」
  ドリス・ラン 「なによ、男のくせに情けない顔して。Dのお兄ちゃんに笑われるよ・・・心配なんかおよし、お姉ちゃんといれば、みんなうまくいくんだから。今までずっとそうだったろ?」
  反論する余裕も与えず、やさしく、しかし断固として言い放つと、彼女はさっさと通りを歩き出した。
  ドリス・ラン 「あのクズども、今ごろの時間は、『ブラック・ラグーン』か『パンドラ・ホテル』だわ。みてらっしゃい、たっぷりとっちめてやるから」
  予想は適中した。酒場のスイング・ドアをあけた途端、奥のテーブルに陣どったグレコとその一党が薄笑いを浮かべて立ち上がったのである。

素早く、七個の頭数(あたまかず)を読みとったドリスの眼は、グレコのスタイルを見て不意に細まった。グレコの全身はひかり輝いていた。頭のてっぺんから爪先まで覆ったメタリックな服・・・というより蟹の甲羅を思わせる外殻が陽光をはね返しているのだ。バンパイアたちの化学が産んだ個人用兵器のひとつ・・戦闘服である。

  ドリス・ラン 「あんた、今朝のこと根に持って、ウェイトリイ爺さんに、品物を売るなと圧力をかけたわね。男のくせに、恥じをお知り。この卑怯もの」
  グレコ 「へっ、何を言いやがる」【せせら笑う】

「バンパイアに手ごめにされかかったくせしやがって。・・・それをばらされなかっただけでもありがたいと思え。断わっとくがな、来月もさ来月も同じ目にあうぜ。今日はなんとかかき集めたらしいが、あれっぱかしの量で植物や牛の胃袋がいつまで賄(まかな)える?二週間がいいところだろうが・・・もっとも、それまでおめえが、地面に影つけて歩いていられりゃの話だがよ。ま、おめえは何も食わなくてもすむようになるからいいが・・・可哀相に、弟はどうする気だ?」

010 嘲り(あざけり)の口調が終らぬうちに、ドリスの手から鞭がとんだ。戦闘服のヘルメットを巻き込み、引き倒そうと力をこめる。しかし、これは無知ゆえの無謀さであった。

グレコは・・・戦闘服は・・・びくともせず、右手で鞭の先をひっつかんだ。ほんのひと引きで、鞭は彼の手に移っていた。

  グレコ 「そう何度も同じ手にかかるか、この女(あま)
  愕然としながらもさすがハンターの娘。一気に二メートル近くとびすさったドリスを追いかける瞳は、憎悪と欲情と優越感に卑しい光を放っていた。
  グレコ 「この村をまとめているのは、おれの親父だってこと、忘れるなよ。てめえの弟も、日干しにするくらい訳はねえんだぞ」
  ドリス・ラン 「よくも、そんな卑劣なことを口にできるわね。村長の息子ともあろうものが・・・」
  グレコ 「だがよ、おれの女房になれば話は別だ。親父が引退すりゃ、息のかかってる連中が、おれを次の村長にまつりあげる段どりよ。きれいなおべべもぜいたくな飯も着放題、食い放題だぜ。ダンだって喜ばあな。それによ、あんな薄気味悪い若造追い出して、おれがバンパイアから守ってやるぜ。金さえばらまきゃ、ハンターなんざいくらだって寄ってくるんだ・・・・どうだい?」
  答える代わりに、ドリスは近寄った。
  グレコ 『ほれみろ、いくらつっぱても所詮は女だ・・・』
  ヘルメット内の暗視スクリーンに、ぴちゃっと液状の飛沫がふりかかった。ドリスが唾を吐きかけたのである。
  グレコ 「こ、この野郎!甘い顔みせりゃ、つけ上がりやがって!」
020 まだ戦闘服の使い方になれてないらしく、ガチンと荒っぽい音をたてて右手で顔面をぬぐうや、それでも物凄い早さでドリスにつかみかかった。

とびすさる余裕も与えず胴を抱き、引き寄せる。つい数時間前、流れものの行商人から買ったばかりの、戦闘服としては最も低グレードな中古品だが、擬似強化生体皮膚と電子神経系をベースにした超硬度鋼の鎧は、着用者の動きをスピードで三倍、パワーで十倍にも増幅し得る。さしものドリスも逃れようがなかった。

  ドリス・ラン 「なにするのよ!放せ!」
  グレコは何なく、片手でその両手首を押さえ、地上三十センチほどのところにドリスを持ち上げた。

シュッと音をたてて、ヘルメットが左右にわれた。色情狂丸出しの顔がのぞく。薄笑いを浮かべた唇の端からよだれが筋を引いていた。

  グレコ 「筋を通しゃつけ上がるばかりだ。いま、ここで、おれのものにしてやるぜ。・・・馬鹿野郎。余計な真似せず引っこんでろ!」
  止めに入ろうとカウンターを出かけた中年のバーテンは、この一喝でもとの場所に戻った。相手は村長の息子さまである。

身動きならぬ美少女の顔へ、欲情に血走った眼と、薄汚い唇が近づいてきた。ドリスは顔をそむけた。

  ドリス・ラン 「放して!治安官を呼ぶわよ!」
  グレコ 「へっ、無駄さ。あいつだって、いざとなりゃ自分の首が可愛いんだ・・・・おい、酒場は休業だ。誰も入ってこないように見張ってろ」
  命じられた子分のひとりがドアのほうへいきかけて不意に立ちどまった。目の前に、いきなり黒い壁が立ちふさがったのである。

子分のわめき声は、たちどころに途切れ、子分は次の瞬間、テーブルや椅子をはねとばし、ついでに仲間もふたりばかり道連れにして、頭から奥の壁へ叩きつけられていた。

血相変えて腰の武器に手をのばすチンピラたちへ、黒い壁はひょいと肩をすくめて見せた。身長二メートルは優に越す、禿頭の巨漢であった。皮のチョッキから気の根っこみたいに節くれだった腕がはみ出している。体重は150キロを下るまい。腰からぶら下げた大ぶりな蛮刀の使い込み具合から、チンピラどもも、ただでかいだけの相手ではないと察して、慎重な顔つきになった。

  麗銀星 「お許しください。その男、手加減というものを知りません」
  グレコの腕の中でもがいていたドリスが、思わず、我を忘れてふり返り、目を丸くした。それほどその声は美しく、声の主もまたかがやくようであった。年は二十歳(はたち)前後だろうか。肩まで垂れた美しい黒髪、見るものを陶然と酔わせ、ひきずりこんでしまいそうな深くて黒い瞳。太陽のごとき美青年であった。
030 グレコ 「な、なんだ、てめえは?」
  麗銀星 「わたしは麗銀星(れいぎんせい)。この男は拷零無(ゴーレム)。大巨獣(ビヘイモス)ハンターです」
  グレコ 「ふざけるな!」

「たった四人で、ビヘイモスハンターだと?十人、二十人がかりだって、ビヘイモスの子供一匹殺(ばら)せやしねえんだぞ」

【せせら笑うように】「そこのでかぶつはともかく、残りは女みてえな兄(あん)ちゃんと、とんがり頭に、せむし野郎じゃねえか。教えてくれよ・・片輪(かたわ)どもの狩りってな、どうやるんだ?」

  麗銀星 「教えて差し上げます・・・いま、すぐね」

「その前に、お嬢さんをお放しなさい。醜いならともかく、美しい女性をそんな風に扱うのは礼儀に反します」

  グレコ 「やめさせてみたらどうだい。おえらいハンターさんたちよ」
  麗銀星 「・・・・そうですか。では・・・・」
  グレコ 「おお、来やがれ!」
  喧嘩なれしたはずのグレコが、戦闘服のパワーも忘れて力まかせにドリスを放り出したのは、これから起こる戦いの結果に予感めいたものをもっていたせいだろうか。受身もとれず、テーブルの角に頭を打ちつけたドリスが、たくましい腕の中で失神から醒めたとき、決着(けり)はついていた。
  ドリス・ラン 「い、いたた・・・・」
  麗銀星 「無礼者は片づけました。事情はよく知りませんが、治安官が呼ばれる前に早く出て行かれたほうが面倒がないと思います」
040 ドリス・ラン 「そ、そうね」
  まだ頭痛のせいで、返事もしどろもどろであったが、ドリスは、背後で木と木が触れ合う小刻みな音がするのに気づき、ふり向いて目を丸くした。チンピラどもが、ひとり残らず床に伏している。痛む頭で、その姿の異様さを瞬時で看てとったのはドリスならではといえようか。

いちばん手前の床にひっくり返っているふたりの四肢は、それぞれ、肘と膝の関節が逆にねじまげられ、奇怪なオブジェを形づくっていた。丸テーブルをはさみ、やや後方でうごめく影は、グレコの一の子分、オレイリーであった。回転式拳銃の名手で、0.3秒と待たず銃口は火を噴いたはずなのに、その右手は拳銃のグリップを固く握りしめたまま、身体はうつぷせに床を抱擁していた。しかし、ドリスを戦慄させたのは、彼を倒した傷の位置であった。後頭部が裂けている。0.3秒の早撃ちに、銃を抜く暇も与えず誰かが背後にまわってそこを一撃していたのだ。

もうひとり残った男の顔は、まるで凶悪な毒蜂にでも刺されたかのように、赤黒く腫れあがり、膿爛(のうらん)した皮膚が滴(しずく)となって、床にしたたり落ちていたのである。

  麗銀星 「驚きましたか?美しいお嬢さんには刺激が強すぎるかもしれませんが・・・」
  ドリス 「・・・・あんたたち、何をしたの・・・・」
  麗銀星 「なんにも」

【心外そうに】「売られた喧嘩を買ったまでです。私たちなりのやり方でね」

  ドリス 「ありがとう」

「助けてくれたことには感謝します。まだこの村にいるのなら、後でお礼にうかがうわ」

  麗銀星 「気になさらずに。醜いものが美しいものを暴力で屈服させるのは、この世で最悪の冒涜的行為(ぼうとくてきこうい)です。彼らは天の罰を受けたにすぎません」
  ドリス・ラン 「お言葉はうれしいけれど、・・・それじゃ、あたし以外の娘が同じ目にあわせれていたら、どうなさるの?」
  麗銀星 「もちろん、お助けしますよ。美しいお方なら」
  平然と笑う美青年の顔から、ドリスは眼をそらした」
050 ドリス・ラン 「もう一度言います。ありがとう。これで失礼するわ」
  麗銀星 「ええ。あとの処理はおまかせ下さい。馴(な)れておりますので」
  にこやかにうなずく麗銀星(れいぎんせい)の眼に、黒いものが走った。
  麗銀星 「そのうち、またお目にかかりましょう」
  数分後、ドリスは農園へと馬車をとばしていた。
  ダン 「姉ちゃん、何かあったのかい?」
  助手席から心配そうに尋ねるダンの声にも茫漠たる表情は動かない。胸のうちを駆け巡る様々な不安が笑顔を許さぬのであった。

グレコの嫌がらせはますます激しくなる一方だろうし、今夜、Dの帰る保証はない。昼間行動可能なダンピールの利点を生かして領主の城へ乗り込むとDが言ったとき、やはりとめればよかったとおもう。もし、彼が戻らぬときは、孤立無援の身で伯爵の攻撃を受けることになる。今夜やってくるという確証はないが、まず間違いはなかろう。ドリスは無意識に首をふった。それは、Dの死を意味するものだったからである。

あの人はきっと帰ってくる。右手が白い首筋に触れた。Dは出掛ける直前、歯型の痕(あと)へ”まじない”とやらを施していったのである。ただ、左手のひらをかるく押し付けただけのあっけなさで、どんな効果があるのかも語らず終いだったが、今のドリスを支えるものはそれしかなかった。

帰ってきて。伯爵を倒せなくてもいいから、帰ってきて。その想いが、自らの身を案じる心の動きではないことに、十七歳の少女はまだ気づいていなかった。

吸血鬼ハンター”D”第4章 妖魔の弱点(T) 劇終

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