小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第3章 吸血鬼リイ伯爵

D 17、8歳

001 農園から北北西へ馬をとばして二時間。小高い丘の上に凝然(ぎょうぜん)とそびえる巨大な灰色の城郭が、頭上にのしかかるように見えるところまでやってきた。『領主』・・・マグナス・リイ伯爵の居城である。

ふりそそぐ午後まじかの陽光も、この周囲だけは色を変え、吐き気を催す瘴気(しょうき)と化して立ちのぼっているような、なんとも病的な雰囲気の土地であった。草はどこまでも青く、樹々(きぎ)は豊穣(ほうじょう)な実を結んでいるのに、鳥の声ひとつしないのだ。

いま、Dが刃(やいば)にかけるべく歩を進める領主の城は、半ば伝説化した吸血鬼たちの恐怖をなおこの世にとどめる、超化学と呪いの魔城なのであった。いましも灼熱の白光がその胸を貫くかと思われたが、生ぬるい風が豊かな黒髪をなでたばかりで、彼はじき、青黒い水をたたえた門前掘(もんぜんぼり)の縁(ふち)に着いた。

水の幅は五メートルもあろうか。さてどうしたものかと思案するみたいに城壁へ眼を走らせ、ペンダントに手を触れかけたとき、なんと、重々しいきしり音をたてて、城門を塞いでいた跳ね橋が、その頭上へゆっくりと落ちかかってきた。大地をゆるがせ橋がかかった。

『来訪を歓迎します』どこからともなく金属的な声が呼びかけた。Dは無言で馬を進めた。

声が導いたのは豪華な大扉(おおとびら)の前であった。扉は音もなく開き、Dはさらに濃さをました薄闇(うすやみ)の世界へ足を踏み入れた。広大な広間の端にぽつんと点った炎がおぼろげに浮かび上がらせたふたつの影を認めたとき、それは確信に変わった。Dの不敵な相貌(そうぼう)さえ緊張にこわばらせる妖気を影は発していた。ひと目で女のものと知れる華奢な影のかたわらに立つ、ひときわ壮大な黒衣の影が・・・。

  マグナス・リイ伯爵 「待っていたぞ。ここまで無事に訪れた人間は、おぬしがはじめてだ」
  荘重(そうちょう)な声の洩れる真紅の唇の端から、白い牙がのぞいた。
  マグナス・リイ伯爵 「客人に名乗ろう。わしがこの城の城主にして第十辺境地区管理者マグナス・リイ伯爵だ」

「われらが眠っておると考えてきたか。愚かなやつ。娘の邪魔をしてのけた、今までの虫けらどもとはひと味ちがう難物というので目通りを許したが・・・怪しみもせず地獄の闇へ踏み込むとは、見込みちがいであったかな」

  ラミーカ 「いいえ、その男、まるで脅えの色が見えませぬ。臓腑(ぞうふ)が煮えたぎるのを通り越して、愛しいくらいふてぶてしい奴。昨夜、ガルーに深手を負わせた手並みからして、まちがいなくダンピールに相違ございません」
  マグナス・リイ伯爵 「どちらにしても裏切り者なのだ。我らの仲間と人間どもの間に生まれた私生児・・・おぬし、人間かバンパイアか?」
  吸血鬼ハンターD 「おれはバンパイアハンターだ。行く手の壁が開いたからここへきたまで。あの農園を襲ったのは貴様か?そうなら、いま、この場で倒す」
  闇を貫くような双眸(そうぼう)のかがやきに、一瞬、伯爵は言葉を失ったが、次の瞬間、そんな自分を激怒するかのような大音声(だいおんじょう)で哄笑(こうしょう)した。
  マグナス・リイ伯爵 「倒す?身の程知らずめが。娘が、あれほどの男を殺してはならぬ、説得して城の仲間に加えろと言うから、ここまで入れてやったのがわからぬか。お前の両親のどちらが我らの仲間かは知らぬが、息子の言動からするに、所詮は身分の卑しい、分をわきまえぬうつけ者であろう。時間の無駄だ。種族の恥、ダンピールよ、わしが引導をわたしてくれる」
  ラミーカ 「お待ち下さい、父上。わたくしが話してみます」
010 彼女は、前夜とは異なる深い青色のドレスの裾をひるがえし、伯爵とDとの間にすすみでた。
  ラミーカ 「おまえも、誇り高き我らが一族の血をひいたもの。父上はああいわれるが、下賎のものの息子が、あれほどの技量を身につけられるはずもない。お前の投げ矢を受けたとき、わたくしは血が凍る思いでした」

「どうじゃ。広言の非礼を父にわび、この城の一員にならぬか。なんのためにわたくしたちをつけ狙う?ハンターとは、そのような粗末ななりで荒野をさすらうに価する仕事であろうか。いや、そんなお前が守ってやった人間ども、おまえに感謝してしかるべき人間どもから、いかなる仕打ちを受けてきた。人間の一員として受け入れてもらえたか?」

  奥行きも知れぬ薄明(はくめい)に包まれた広間に、美少女の声はよどみなく流れた。昨夜とかわらぬ傲慢(ごうまん)、威圧の調子に、あえかな懇願と欲情の翳(かげ)がまといついているのを、はたしてDは気づいたかどうか。

ダンピール・・・バンパイアと人間の間に生れた子供。ある意味で、これほどいとわしく孤独な存在はあるまい。ふだんは人間とかわりなく、陽光の下でも比較的自由に行動するが、ひとたび激怒すれば、バンパイアの魔力をふるい、人々を殺傷する。なにより忌まわしいのは、親の片方から受け継いだ吸血の習性であった。

陰陽ふたつの宿命に責めさいなまれながら、片方からは裏切りものとよばれ、一方からは悪鬼とそしられるもの。まさにダンピールは、七つの海を永劫にさまよわねばならぬフライング・ダッチマンにも似た忌むべき存在なのであった。

ラミーカは、そんな彼を仲間にむかえようと言葉を尽くしているのであった。

  ラミーカ 「・・・ハンターの生活に楽しい思い出などひとつもないはず。最近は村の虫けらどももかまびすしい。いつなんどき、おまえと同類の刺客を送り込んでくるやも知れぬ。そんなとき、父と私を守る衛兵のはしくれにおまえのような腕ききがおれば、私たちも心強い・・・どうじゃ?お前さえその気なら、本ものの仲間に加えてもよいのだぞ」
  不動の姿勢で立ちつくしているDを、いまはとろりとした欲情むきだしの眼でながめつつ言い放った言葉に伯爵は怒号しようとした。その前に、低い声が聞こえた。
  吸血鬼ハンターD 「あの娘はどうする気だ?」
  ラミーカ 【艶然と笑う】「高望みするでない。あの女は、じきに魂まで父上のものじゃ」

「父上は御側妾(おそばめ)のひとりにくわえたがっているようだが、私は許さぬ。一滴のこらず血を吸った上で、人間どもを引き裂き、焼き殺すにまかせよう」

  声は不意にとまった。伯爵の眼が血光を放った。恐るべき夜の魔人親娘は、眼前の取るに足らぬ敵・・・袋のねずみともいうべき若者が、急速に変貌しつつあるのを、その超感覚で察した。
  ラミーカ 「まだ、わからぬか!」

「人間どもに義理だてしてなんになる。自分たち以外、この地上の生けるものことごとく抹殺するのも厭(いと)わず、ついには我が身まで破滅の淵に追いやった下郎ども。我らの情けで細々と生きながらえながら、ひとたびその力が弱まれば、平然と反旗をひるがえす謀反人ばら。むしろ、奴らこそ、この星から宇宙から消滅すべき者どもなのじゃ」

  このとき、伯爵はある言葉を耳にしたような気がして、ふと眉をひそめた。それは確かに、眼前の若者のつぶやきであったが、彼の記憶は遠い忘却の彼方から即座に同じ言葉を拾いあげた。理性がそれを否定した。
020 マグナス・リイ伯爵 『そんなはずはない。これは、あの方からきいた言葉だ。あの偉大なるお方、我らが種族の御神祖(ごしんそ)。この薄汚れた若造の知っているはずがない』
  吸血鬼ハンターD 「いう事はそれだけか?」
  ラミーカ 「愚かもの!」
  父と娘、両者の怒号が広大な空間にどよもした。交渉は決裂したのである。伯爵の唇が残忍と自信の笑いに歪んだ。ぱちん!と右手の指を打ち鳴らす。その青白い顔に狼狽の色が走ったのは、広間に仕掛けられたおびただしい電子兵器が作動しないと知った数瞬後のことであった。

Dの胸元でペンダントが青い光を発していた。

  吸血鬼ハンターD 「どんな仕掛けがあるか知らんが、おれに貴族の武器は効かん」
  声だけをその場に残して、Dは一気に地を蹴った。とっさに逃れる術もない速度であった。空中で剣を抜き、右脇へ抜く。着地と同時に、必死の突きが銀光と化して伯爵の胸元へ吸い込まれた。

肉と肉とをはたき合わせたような音がした。

Dの無表情な美貌に、はじめて驚きの色が浮かんだ。長剣は、切尖(きっさき)二十センチほどのところを伯爵の両の手のひらにはさまれ、停止していたのである。あまつさえ、剣を握った位置、姿勢からすれば、Dの方が遥かに力を入れやすいのに、渾身の力をふりしぼっても、刀身は壁にでもはさみ込まれたように、微動だにしないのである。

伯爵が乱杭歯をむき出して笑った。

  マグナス・リイ伯爵 「どうだ、裏切りもの。うぬらの野卑な剣とはちがう。まことの貴族の技をみたか?あの世でその驚きを語るがよい!」
  言うなり、黒衣の姿は大きく右へ動いた。力の入れ方、タイミングにどんな秘術が隠されているものか。Dは剣の柄から手を離すこともできず、長剣もろとも広間の中央へ投げ飛ばされていた。

・・・しかし、伯爵は思わず息を呑んだ。骨の砕ける音はせず、青年は空中で猫のように一回転するや、コートの裾をひらめかして足から床に降り立ったのである。いや、降りかかった。

足元に床はなく、Dはそのまま、ぽっかりと口をあけた暗黒の空間を落下していった。

  ラミーカ 「原始的な仕掛けですが、つくっておいてようございましたわね、父上。・・・ご自慢の原子兵器が何ひとつ役に立たなくとも、歯車とバネだけの落とし穴が厄介ものを片づけてくれましたわ」
  マグナス・リイ伯爵 「わしが奴を投げとばすと同時に落とし穴の紐を引くとは、さすがわが娘・・・だが、よいのか?」
030 ラミーカ 「よいのか、とは?」
  マグナス・リイ伯爵 「昨夜、あの農場から帰ってきて、今の若造のことを話したときのお前の声音(こわね)。訴え方・・・父のわしさえきいた覚えのない憤りの中に、これもはじめてきく熱い想いが込められておった。おまえ、彼奴(きゃつ)に掘れたのではあるまいな」
  ラミーカ 「愛しい男を、私があそこへ落とすとお思いか?この地下の国がいかなる地獄か、制作者たる父上がよくご存知のはず。いかにダンピールといえど、生きて出られるはずのない闇の竪穴(たてあな)。・・・・ですが・・」
  マグナス・リイ伯爵 「ですが?」
  ラミーカ 「あの男がただ一剣とわが身をもって、あそこから抜け出したあかつきには、わたくしの身も心も、あの男に捧げ尽くす所存でございます。貴族一万年の血の歴史と永劫の生命に賭けて、わたくしは彼を・・・バンパイアハンターDを愛しまする」
  マグナス・リイ伯爵 「お前に憎まれるのも地獄、惚れられるのはさらに地獄じゃが・・・・あの三姉妹にかかって、生きてこの世に帰還できるものがあるとは思えぬぞ」
  ラミーカ 「仰せのとおりでございます」
  マグナス・リイ伯爵 「だが・・・・生きて再び相まみえる時がきたとして、奴がお前の愛を受け入れなかったとしたら?」
  ラミーカ 「それならば」
  ラミーカは間髪入れずに応じた。全身から歓喜の炎がたちのぼっている。眼はらんらんと光りながらも熱っぽくうるみ、紅色の唇は半ば開いて、ぬめぬめとした舌が、それ自体意志を持つように唇を舐めた。
040 ラミーカ 「今度こそとどめをお刺しなさいませ。あやつの心臓をえぐり、首を斬りおとしなされませ。そのとき、あの男は本当にわたくしのもの。わたくしはあの男のもの。切り口からしたたる甘い血をすすり、青ざめひからびた唇に口づけした後で、わたくしも胸を切り裂き、貴族の熱い血潮をあやつの喉に流しこむことでございましょう」
  このなんとも凄惨淫靡(せいさんいんび)な、しかし熱い愛の言葉を放ったあとでラミーカが退出すると、伯爵は怒りと不安が入り混じった表情で落とし穴に眼をやり、それから左手で左胸をケープの上から押さえた。

それは、ぐっしょりと濡れていた。血潮でだ。あろうことか、見事に受けとめたはずのDの剣尖(けんさき)は、その先端三センチほどを不死の肉体に食い込ませていたのである。しかも、どのような剣技を用いたのか。これまでの戦いで受けた傷とは異なり、いまだ傷口はふさがらず、生命の根源たる血潮が流出しているのであった。

  マグナス・リイ伯爵 「・・・・恐るべき奴。ことによったら・・・・・」
  またも生死を賭けて戦うはめになるかもしれん、という思いを、伯爵は胸のうちで抹消した。地下であの若造を待つものたちを考えれば、奴が地上へ戻る可能性など、万に一つもない。

広間に背をむけ、闇の居室に戻ろうと歩き出した伯爵の脳裏を、そのとき、青年の洩らしたつぶやきがかすめてすぎた。あの方からきかされた言葉。思い出すたびに、滅び去った、あるいはなお永らえている貴族すべての表情をもの憂げに変えるひと言。それを、どうしてあの若造が・・・?

044 吸血鬼ハンターD 『おれたちは、かりそめの客なのだ・・』

吸血鬼ハンター”D”第3章 吸血鬼リイ伯爵 劇終

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