小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第2章 辺境の人々

D 17、8歳  ドリス・ラン 17歳  ダン 7、8歳
グレコ 24、5歳  ローマン村長 60近い歳
ダルトン治安官 30歳前  フェリンゴ医師 60近い歳

001 翌朝、ドリスは、けたたましい馬のいななきで目を醒ました。窓から白い光がさしこみ、晴天を示している。

彼女はDに失神させられたときの格好でベッドに横たわっていた。初戦の済んだ後でDが運んだのである。バンパイアに襲われて以来の不安とハンター探しの緊張のせいで張り詰めていた神経が、Dの左手の技で眠らされたことにより、すっかり和らいで、朝まで熟睡してしまったのだ。

反射的に喉に手をやり、ドリスは夕べの出来事を思い出した。

  ドリス・ラン 「・・・あたしが眠っているあいだに何が?客が来たって言ってたけど、きっと奴のことだわ。あの人、どうしたかしら?」
  あわててベッドからはねおきたその表情が不意に明るくなった。気だるさが残ってはいるが、身体に異常は感じられない。彼女は、Dに救われたことを知った。

その彼に寝室も指示せぬままだったことに気づき、寝乱れた神をなでつけながら、あわてて居間へとび出す。

分厚いカーテンをぴっしりおろした薄暗い部屋の片隅に長椅子が置かれ、皮ブーツが端からはみ出していた。

  ドリス・ラン 「D・・・やってくれたのね。雇った甲斐があったわ!」
  吸血鬼ハンターD 「・・・・仕事だからな。すまんが、障壁をかけ忘れたようだ」
  顔を覆った旅人帽(りょじんぼう)の下から、相変わらずの低い声が答えた。
  ドリス・ラン 「そんなこと気にしないで」

「まだ705モーニングだわ。もうひと寝入りしてて、すぐ食事にするわ。腕によりをかけてつくるから」

  外でまたけたたましく馬が鳴いた。ドリスは来客があったのを思い出した。
  ドリス・ラン 「うるさいわね。朝っぱらから誰よ」
  窓辺へ行ってカーテンを開けようとした手を、『よせ!』と鋭い声が制した。

はっとふり返ってDを見たドリスの顔は、昨夜、彼の接近を拒んだときと同じ恐怖にこわばっていた。この美しいハンターの正体を思い出したのだ。そのくせ、すぐ笑顔を取り戻したのは、気丈な上に天性の明るい気質からであった。

010 ドリス・ラン 「ごめんなさい。あとで寝室を用意するわ・・・とにかく、お休み」
  そう言って、それでも、カーテンの端をちょっぴりつまんでもち上げ、外を見た途端、可愛らしい顔がみるみる嫌悪のかたまりとなった。

寝室へ戻って愛用の鞭を取り、憤然たる足取りで外へ出る。

ポーチの前で栗毛にまたがっているのは、年のころ24、5の大男であった。腰の皮製ホルスターに、ご自慢の十連発爆裂銃をぶち込んでいる。赤毛の下で、こずるそうな眼がドリスの全身を這いまわっていた。

  ドリス・ラン 「何の用、グレコ?もう来ないでといったはずよ」
  グレコ 「そう言うなよ。これでも心配でとんできたんだぜ。おめえ、ハンターを探してるそうじゃねえか?まさか、領主に襲われたんじゃねえだろうな?」
  ドリスの満面にさっと朱が走った。怒りと、図星をつかれた当惑のせいだ。
  ドリス・ラン 「いい加減におし。あたしにふられたからって、村の屑どもと根も葉もない話をでっちあげたりしたら承知しないわよ」
  グレコ 「ま、そう怖い顔すんなよ」

【探るような目つきになって】「いやなに、一昨日(おととい)の晩、酒場であった流れ者がよ、この村へ入る途中の坂道で、おっそろしく腕の立つ娘に腕くらべを挑まれ、剣を抜く間もなく、こてんぱんにされたって泣いてやがんのさ。

で、一杯おごって詳しく話をきくと、その娘の顔立ちといい、身体つきといい、おめえと瓜ふたつだ。おまけに、おかしな鞭を自在に操ったとなりゃ、もう、この辺じゃ該当するのはおめえひとりしかいねえ」

  ドリス・ラン 「人を探したさ。腕ききをね。あんただってこのごろ村でミュータント獣の被害が多いのは知ってるだろ。うちも同じなのさ。あたしひとりじゃ手がまわらないからね」
  グレコ 【薄笑いを浮かべて】「なら、村で人材スカウトのカッシング爺さんに頼みゃ済むこっちゃねえか。なあ、五日前の夕暮れどき、おれんとこの下男(げなん)がおめえがリトルドラゴンを追って領主の城の方へ駆けてくのを見てるんだぜ。そこへもってきて、村のもんにゃふせとかなきゃならねえ人探しだ」

【恫喝するように】「おめえ、首のスカーフを取ってみな」

「へへ、とれめえ。やっぱりそうか。おれが村へ帰ってひと言いやあ・・・・ま、その先はやめとくがな。な、どうだい、前からの申し込み、いい加減でオーケイしてくれよ。夫婦になっちまやあ、おめえは村長の倅(せがれ)の嫁だ。村の連中なんかに指一本触れさせやしねえ・・・・」

  下劣な言葉が終らないうちに、ぴしっと空気が鳴り、栗毛が悲鳴をあげて仁王立ちになった。ドリスの鞭が電光の早さで横腹を痛打したのである。あっという間に、グレコの巨体は鞍からはねとばされ、大地に激突した。腰のあたりをおさえて声もなくうめく。栗毛は無情にも主人を残して、蹄(ひづめ)の音も高らかに農場から逃亡してしまった。
020 ドリス・ラン 「ざまあみろ。親の権威をかさにきて、助平ったらしいことを抜かした罰よ」【嘲笑】

「あたしはおまえの親父も取り巻き連中も最初(はな)から好かないのよ。文句があるなら、お父ちゃんとお供をつれていつでも押しかけといで。逃げも隠れもしないわ。そのかわり、今度そのいやらしいあばた面をあたしの前にさらしたら、顔の皮一枚、上から下までべろんとはがされるとお思い!」

  この美少女のどこから出るのかと思われるほど伝法(でんぽう)な言葉を、炎みたいに浴びせかけられて、大男の顔にもかっと血がのぼった。
  グレコ 「野郎、下手にでてりゃあ・・・・」
  いいながら、右手を爆裂銃にのばす。みなぎる陽光を一陣の黒い影がまた切り裂いて、抜きかけた拳銃は草むらへはじきとばされた。0.5秒とかからなぬ早業である。
  ドリス・ラン 「今度は鼻か耳が飛ぶわよ」
  その声に、ただの脅し以上のものを感じとったのだろう。グレコは捨て台詞も残さず、腰と右手首を交互にもみながら、あたふたと農場を逃げ去った。
  ドリス・ラン 「親がいなきゃ何もできないクズ野郎が」
  吐き捨てるように言ってふりむいたドリスは、その場に立ちすくんだ。寝巻き姿でレーザーライフルを構えたダンが戸口に立っている。くりくりっとした両眼は涙でいっぱいであった。
  ドリス・ラン 「ダン・・・・おまえ・・・・きいてたの?」
  ダン 「姉ちゃん・・・・・貴族に噛まれたの?・・・・・」
030 少年も辺境の荒野に生きる身である。悪魔の口づけを喉に受けたものの運命は熟知していた。ふたまわりもでかい大男を鞭のひとふりで撃退した美少女は、言葉もなくその場に立ちつくした。
  ダン 「やだよお!」
  いきなり少年が抱きついてきた。こらえにこらえていた哀しみと不安が一気に溢れ出し、ほとばしる涙がドリスのスラックスに熱く沁(し)みた。
  ダン 「やだ、やだ・・・・おれ独りぼっちになっちゃうじゃねえか・・・やだよお」
  ドリス・ラン 「大丈夫よ」

「姉ちゃんは、貴族なんかに噛まれてやしない。これは虫に食われた痕よ。お前が心配するといけないと思って隠してあるんだわ」

  ダン 「ほんと?・・・・ほんとだね?」
  ドリス・ラン 「ええ」
  ダン 「でもさ・・・グレコの嘘っぱちを真にうけて、村の連中が押しかけてきたらどうするんだい?」
  ドリス・ラン 「姉ちゃんの腕前は知ってるわね。それに、お前もいるし・・・・」
  ダン 「Dのお兄ちゃんもいるよ!」
040 少年の声ははずみ、少女の顔は曇った。

ハンターの流儀を知るものと知らぬものの差である。そして少年は、彼がハンターであることも知らされていなかった。

  ダン 「おれ!頼んでくるよ!」
  ドリス・ラン 「ダン・・・・」
  止めるまもなく少年は居間へと消えた。あわてて後を追ったが遅かった。ダンは信頼しきった声で、長椅子の青年に呼びかけていた。
  ダン 「いま、姉ちゃんのこと嫁さんにしようって狙ってる奴がきてさ、ヘンな言いがかりつけてったんだ。きっと、村の奴らを連れて戻ってくる。そしたら姉ちゃん、連れてかれちゃうよ。お兄ちゃん守ってくれるよね」
  答えを予想して、ドリスは思わず眼を閉じた。問題は返事の内容ではなく、その結果なのだ。冷たい、とりつく島もない拒絶は、脆い少年の心に癒しがたい傷をのこすだろう。だが、このバンパイアハンターはこう答えたのだった。
  吸血鬼ハンターD 「まかせとけ。姉さんに指一本触れさせやしない」
  ダン 「うん!」
  少年の顔は朝日のようにきらめいた。
  ドリス・ラン 「さ、じき朝御飯よ。その前に、農園の環境調節装置の具合を見ておいで」
050 生命そのもののような勢いで少年が駆け去ると、ドリスは横になったままのDにむかって『ありがとう』と言った。
  ドリス・ラン 「ハンターは狩り以外、指一本動かさないのが鉄則だわ。どう断われても文句は言えないのに・・・。あの子、傷つかずにすんだわ・・・大好きなお兄ちゃんのおかげで」
  吸血鬼ハンターD 「断わっておくが」
  ドリス・ラン 「わかってます。仕事の他にしてくれることは、今のひと言で十分。あたしのトラブルはあたしが解決します。あなたは、一刻も早く自分の仕事を果たしてちょうだい」
  吸血鬼ハンターD 「結構だ」
  Dの声はあくまでも冷たく、無感情であった。

案の定、「客たち」は、三人がやや風変わりな朝食を済ませた頃やってきた。風変わりと言うのは、Dの食事量がダン少年の半分にも満たないからである。Dは早々にナイフとフォークを置き、あらためてドリスにあてがわれた奥の小部屋へ引きこもってしまった。

  ダン 「変なの。お腹の具合でも悪いのかな?」
  ドリス・ラン 「そうでしょ、きっと」
  なにげない風を装いながら、ドリスは、いま、奥でDが自分用の朝食を摂っている姿を想像して、胸が悪くなった。
  ダン 「なんだ、姉ちゃんまで急に・・・・どうしたの?いくらなんでも、気が合いすぎだぜ」
060 冷やかすダンを叱りつけようとして、ドリスの顔がさっと緊張した。

窓の外から馬蹄の響きが近づいてくる。それも複数だ。

  ダン 「きやがったな!」
  ダンも叫んで、壁にかけたレーザー・ライフルの方へ駆け寄った。『D・・兄ちゃん!』と叫びかかるのをドリスは素早く手で制した。
  ダン 「どうしてだよ。きっとグレコと子分どもだぜ」
  ドリス・ラン 「まず、あたしたちだけでやってみましょう。それで駄目だったら、いよいよ・・・ね」
  しかし、自分達がどんな目に遇おうとDが動かないのは承知の上であった。

ふたりは鞭とライフルをかまえてポーチへ出た。まだ八歳の弟を同行させたのは、自分たちの財産や身の安全は自分たちで守るしかない辺境の掟である。他人の力をあてにして、ファイアドラゴンやゴーレム相手に生きのびることはできない。

やがて、ふたりの前に、馬にまたがった十人ばかりの男たちが並んだ。

  ドリス・ラン 「おやま、村のお歴々が勢ぞろいじゃないの。こんな取るに足らない農園には、もったいないお客さまだわ」
  平静を装った口調で挨拶しながら、ドリスの眼は油断なく、二列目、三列目の男たちに注がれた。最前列は、村長・・・つまり、グレコの父で、もう60近いくせに妙に脂ぎった顔のローマン氏と治安官のルーク・ダルトン、医師のサム・フェリンゴといった名士ばかりで、いきなり物騒な真似をする怖れはないが、そのうしろに控えているのは、事あらば腰のマグナムやオンボロ熱線銃にものを言わせたがっている凶暴なならずもの集団だ。
  ドリス・ラン 「で、何の用?」
  ローマン村長 「わかっとるじゃろう。そのスカーフの下にある傷の件じゃ。いま、フェリンゴ先生にみせて、何でもなければよし、もしもあれなら、気の毒だが収容所へ入ってもらわなくてはならん」
070 ドリス・ラン 「ふん!馬鹿息子のホラを真に受けてきたのね。そいつはいままで五回、あたしを口説いてそのたびにはねつけられたもんだから、可愛さ余って憎さ百倍・・・あることないこと言いふらしてるのよ。下司(げす)のかんぐりしやがると、村長だからってただじゃおかないわよ」
  ダン 「そうだ。姉ちゃんはバンパイアなんかに血ィ吸われてないや。とっと帰りやがれ、この助平じじい!」
  ローマン村長 「な、なにが助平じじいだ・・・・こ、この餓鬼めが。仮にも村長をつかまえて・・・助平とはなにごとだ。助平とは・・・・」
  グレコ 「なめくさりやがって。おい。みんな、構やしねえ。ひっつかまえて、家に火をはなて」
  『おおっ!』とならずものたちがどよめいたとき、ダルトン治安官の叱咤(しった)が走った。
  ダルトン治安官 「よせ!つまらん真似をするとおれが許さんぞ!」
  ドリスの表情も一瞬和む。まだ30前だが、誠実で有能なこの治安官には彼女も信頼を寄せていた。無法者たちの動きも停止する。
  ドリス・ラン 「あんたも仲間かい、治安官?」
  ダルトン治安官 「わかってもらいたいんだよ、ドリス。おれには村の治安を守る仕事がある。君の喉を調べるのもそのひとつなんだ。事を荒だてたくない。なんでもないんなら、ひと目でいい、先生にそのスカーフをとってみせてやってくれ」
  フェリンゴ医師 「そうとも」
080 フェリンゴ医師が馬上から身を乗り出した。村長と同年配だが、『都』で医学を学んだだけあって、ずっと知性的な顔つきの老紳士である。ドリスとダンの父親が教育場の教え子だった関係で、常日頃、ふたりには心を砕いてくれている好人物だ。ドリスもこの人にだけは頭が上がらない。
  フェリンゴ医師 「どんな結果が出ようと、悪いようにはせん。わしと治安官にまかせなさい」
  グレコ 「いいや、収容所行きだ!」

「誰だろうと、この村で貴族に血を吸われた奴は収容所へ入る掟よ。けけ、それから、貴族を退治できないときは、おっぽり出されて凶獣の餌だ」

  ダルトン治安官 「よさんか、馬鹿もの!」
  グレコ 「なんでえ、バッジつけてるだけで威張りくさりゃがって。おれに文句いうまえに、その女(あま)っ子の喉を調べてみろってんだ。おめえ、それで給料もらってるんだろうが」
  ダルトン治安官 「なにい・・・・」
  治安官の眼が殺気をおびた。同時に、ならず者たちの右手も腰や背中にのびる。おかしな具合になった。
  ローマン村長 「やめろ」

「仲間割れしてどうなる。要は、この娘の喉をみればすむことだ」

  ダルトン治安官 「ドリス・・・・スカーフをとりたまえ」
  ドリス・ラン 「いやだといったら・・・・?」
090 治安官は沈黙した。陽光にあふれたさわやかな空気の中を、冷たい冷気が尾をひいて流れた。

グレコの叫びとともに、凶漢どもの馬がぱっと左右に散った。ドリスの鞭もしなる。治安官の制止も、もはや何の効力もないと思われた闘争開始の刹那・・・・・。

荒くれ男たちの動きがぴたりと停止した。正確には、彼らの馬がたたらを踏んでしまったのである。金具付きのブーツで蹴っても微動だにしない。このとき、彼らに馬たちの両眼がのぞきこめたら、名状しがたい恐怖の色をそこに見たであろう。考えることも、逃げることも許さぬ圧倒的な恐怖の色を。

そして、男たち全員の眼はいつのまにか戸口に立ちふさがった黒衣の美青年に注がれていた。陽光すらよどんだかと思われた。突如、一陣の風が野面(のづら)をなで、男たちは顔をそむけ、薄気味悪そうにその顔を見合わせた。

  ローマン村長 「なんだ、おまえは?」
  村長は必死に威圧的な声を出そうとしたが、語尾の震えは隠しようもない。人間の魂そのものの平穏を揺るがす雰囲気を、この青年は身につけていた。

ドリスはふりむいて驚愕し、ダンの顔は喜びにかがやいていた。何か言おうとしたドリスを無言で制し、Dは姉弟をかばうようにその前に歩み出た。右手には長剣を握っている。

  吸血鬼ハンターD 「おれはD。この農園に雇われたものだ」
  彼は村長ではなく治安官を見て言った。治安官は小さくうなずいた。ひと目で眼前の青年の正体を見抜いたのである。
  ダルトン治安官 「おれは治安官のダルトン。こっちは村長のローマンさんと、ドクター・フェリンゴだ。うしろの奴らはどうでもいい」

「君はハンターだな。その眼つき、物腰・・・Dという名の凄腕が辺境を旅しているときいた覚えがある。その剣の早さは、レーザーのビームに勝るとか」

「ただ・・・・その男はバンパイア専門のハンターだという。彼自身、ダンピールだとな」

  フェリンゴ医師 「じゃあ、やはり、ドリス・・・・おまえは・・・・」
  フェリンゴ医師が絶望的な声音(こわね)をふりしぼった。
  吸血鬼ハンターD 「そう・・・この娘(ひと)はバンパイアに噛まれた。おれは、そいつを滅ぼすために雇われた」
  ローマン村長 「とにかく、バンパイアに噛まれた以上、野放しにしておくわけにはいかん。収容所いきだ」
100 ドリス・ラン 「いやよ」

「ダンと農園を置いてどこへもいかないわ。どうしてもっていうんなら、腕ずくで連れてゆき」

  グレコがうめいた。あくまで挑戦的な少女の言動に、ふられた恨みを思い出したのである。蛇のような陰火(いんか)を眼にともらせてならずものたちに顎(あご)をしゃくる。

一斉に下馬(げば)しようとした荒くれどもの馬が、このとき、一斉に棒立ちになった。降りるつもりで鞍から身を乗り出したいたからたまらない。みな、思い思いの悲鳴をあげて、ひとり残らず地べたへ放り出されてしまった。うめき声と馬のいななきが陽光にみちた。

Dは治安官に視線を戻した。いいようのない緊張感と恐怖がふたりの間を流れた。

  吸血鬼ハンターD 「・・・・ひとつ提案がある」

「この娘さんの処置は、おれの仕事がすむまで待て。無事にすめばよし、さもなければ・・・・・」

  ドリス・ラン 「安心して。自分の始末は自分でつけるわ。この人が領主に負けたら、杭の一本ぐらい自分でこの心臓に打ちこんでみせる」
  グレコ 「だまされるな!こいつは貴族の仲間だぞ。話をつけるなんて、きっと村の連中をみんなバンパイアに変えるつもりなんだ」
  地面に叩きつけられたのはこれで二度目のグレコが、四つん這いでわめいた。
  グレコ 「その女を処分しろ。いや、いっそ領主にくれてやれ。他の女が襲われなくてすむぜ」
  ボン!と音がしてグレコの顔の前十センチほどの地面に火柱がたった。五万度の高温に地表は煮えたぎり、火柱がグレコの脂ぎった顔にとんで鼻の下を灼(や)いた。獣じみた悲鳴をあげてのけぞる。
  ダン 「姉ちゃんの悪口いうと、次は頭だぞ!」
  レーザー・ライフルの銃口をぴたりとグレコの顔面にすえてダンが威嚇した。怒るより、むしろ、よくやったぞという風に苦笑する治安官にDは静かに言った。
110 吸血鬼ハンターD 「この通り、うちには手強(てごわ)い用心棒がついている。腕ずくでごり押しするのはいいが、無用の怪我人がでるかもしれん。少し待て」
  ダルトン治安官 「怪我した方が薬になりそうな奴もいるがな」

「どうしたもんですかな、先生?」

  ローマン村長 「なぜ、わしにきかん!」

「こんな流れもの信用できるか。わしの息子がいう通り、収容所送りじゃ!治安官、すぐ連行せい!」

  フェリンゴ医師 「バンパイア患者の判定はわしに一任されておる」
  フェリンゴ医師は平然と言って、内ポケットから葉巻を一本取り出し、口にくわえた。彼はドリスに向かって小さくうなずいた。

びゅっ!と鞭がひらめいた。

村長が素っ頓狂な声をあげて鼻をおさえた。ドリスの鞭は、手首のわずかなひとひねりで医師の口から葉巻を巻き取り、村長の鼻の穴へ突っ込んだのである。満面朱に染めて激怒する村長を尻目に、医師は高らかに宣言した。

  フェリンゴ医師 「ようし、ドリス・ランのバンパイア病は超軽度と認める。自宅療養を命じるぞ。承知だな、治安官に村長?」
  治安官は満足げにうなずき、しかし、突然、法の守護人たる凄烈(せいれつ)な表情を真正面からDにむけた。
  ダルトン治安官 「こういう次第だ。腕ききハンターの言葉を信じて話のつくのを待とう。しかし、これだけは言っておく。私は君達の胸に杭など打ち込みたくはない。ないが、しかし、運命のときがくればためらいはせん」
  そして彼は、悲痛な眼差しをうら若い姉弟(きょうだい)に投げかけ、別れの言葉を放った。
  ダルトン治安官 「一日も早く、大ブドウのジュースをご馳走になれる日を待ってるぞ」

「こら、さっさと馬に乗れ、この屑ども。断わっておくが、村でおかしな噂をひとつでもたてたら、即、電気監獄行きだ。覚えとけ!」

120 憎悪と同情と激励の眼つきが丘の向こうに消えるのを見届けて家に入ろうとしたDを、ドリスが呼び止めた。Dは冷たくふりむいた。
  ドリス・ラン 「変わったハンターね。余計な仕事まで請け負っても、報酬は出せないのよ」
  吸血鬼ハンターD 「仕事じゃない。約束だ」
  ドリス・ラン 「約束?誰としたの?」
吸血鬼ハンターD 「そこの小さな用心棒とさ」
  と顎をしゃくり、こわばったダンの表情に気づいてDはダンにきいた。
  吸血鬼ハンターD 「どうした?貴族の仲間は嫌いか?」
  ダン 「ううん」
  首を振った少年の顔がとつぜんくしゃくしゃにゆがんだ。

さっきグレコをやり込めた幼い勇者は、いま八つの子供に戻って泣きじゃくりながらDの腰にすがりついた。弟の肩にのばしたドリスの手を、Dはそっと止めた。

やがて、少年の泣き声が細く小さくなり、しゃくりあげる感じにかわって、それもやむと、Dは静かにポーチの板の間(いたのま)に膝をつき、正面から、涙のあとをとどめる小さな顔を見すえた。

『いいか』と彼は低いがはっきりした声で言った。その声にまごうかたない励ましの感情がこもっているのを知り、ドリスは目を見張った。

  吸血鬼ハンターD 「おれは姉さんと君に、貴族を倒すと約束しよう。必ず守る。君もおれに約束しろ」
130 ダン 「うん」
  吸血鬼ハンターD 「これから先、君が泣こうとわめこうと、それは君の勝手だ。好きにするがいい。だが、姉さんだけは泣かせちゃならん。君が泣くことで姉さんが泣きそうだと思ったら我慢しろ。君がわがままを言って姉さんが泣き出しかけたら、笑ってあげろ。君は男だからだ。・・・いいな」
  ダン 「うん!」
  少年の顔がかがやいた。それは誇りの色であった。
  吸血鬼ハンターD 「では、お兄ちゃんの馬に飼葉(かいば)を頼む。じき、出掛けるところがあるんだ」
  少年は走り去り、Dは無言で家に入った。
  ドリス・ラン 「D。あたし・・・・」
  吸血鬼ハンターD 「奥へ来たまえ。出掛けるまえに、魔除けの術をかけておく」
138 胸になにかがつかえたようなドリスの声も知らぬげに、バンパイアハンターはこう言い放ち、蕭然しょうぜん)と暗い廊下の奥に消えた。
    ※語注:蕭然(しょうぜん):ものさびしいさま

吸血鬼ハンター”D”第2章 辺境の人々 劇終

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