小説 吸血鬼ハンター”D”より

原作 菊池秀行 ソノラマ文庫刊

第1章 呪われた花嫁

D 17、8歳  ドリス・ラン 17歳  ダン 7、8歳

001 落日が平原の果てを染めている。朱よりも血の色に近かった。虚空でごおごおと風がうなり、足首までも覆い隠す丈の高い草の海を横切っている狭い街道の上で、今しも一頭の馬とその騎手が、真正面から吹きつける風威の壁にさえぎられたかのごとく歩みをとめた。

道は20メートルほど前方でやや昇り気味となり、そこを昇りつめれば、その辺境セクターの一小村『ランシルバ』の家並みと緑の田園地帯とが望めるはずであった。

そのゆるい傾斜の上がり口に、ひとりの少女が立っていた。大柄で、燃えるような瞳の美少女であった。浅黒く日焼けし、黒髪をうしろで束ねている。荒野で生きるもの特有の、荒々しい野性の気が全身から発していた。

少女のかたわらに、ひとめで年代ものとしれるサイボーグ馬がたたずんでいた。耳を覆いたくなるような風の怒号の中で、走るでもなく黙々と近づいてきた馬と騎手を、20メートルも先から近づいて迎えるとは、荒野の女といっても、単なる農夫や開拓者の娘ではなさそうだった。

一度たちどまった馬はすぐに歩き出したが、少女が道からのかぬと知ってか、その眼前1メートルほどの距離で再び静止した。少しのあいだ、風の音だけが大地を走り抜け、やがて少女が口を開いた。

  ドリス・ラン 「あんた、流れものね・・・”ハンター”?」
  喧嘩腰の声音(こわね)だが、どことなく憔悴しているような感じがこもっている。

馬上の騎手は答えない。鍔広(つばびろ)のトラベラーズハットを目深(まぶか)にかぶり、スカーフで鼻から下を覆って風を避けているため、顔はよく見えないが、がっしりとした身体つきといい、色褪(いろあ)せた黒のロング・コートからのぞく戦闘用万能ベルトといい、こちらも、辺境の村々相手の商人や季節労働者ではなさそうであった。スカーフのやや下にぶら下がった青いペンダントが、少女の思いつめた顔を映している。

大きな瞳が、騎手の背にくくりつけられた長剣にそそがれた。多くのハンターが愛用する直線型の剣とは異なる優美なカーブを描くそれは、持ち主がさすらってきた膨大な土地と時間を物語っていた。返事が無いのにいらだったか、少女が言った。

  ドリス・ラン 「その剣は飾り?なら、あたしが貰って定期市で売りさばいていあげる。置いてゆき!」
  吸血鬼ハンターD 「・・・・・何が望みだ?」
  少女はあきれたような表情になった。低い上に風のうなりでよくききとれないが、相手の声は17、8の青年のものであった。
  ドリス・ラン 「なんだ・・・青二才か。でも、容赦はしないわ。・・・あたしと立ち合ってちょうだい」
  吸血鬼ハンターD 「・・・・追い剥ぎ(おいはぎ)か。それにしては堂々たるものだな」
  ドリス・ラン 「馬鹿。金めあてなら、あんたみたいなしけた風来坊など狙うもんか・・・・あんたの腕がみたいのよ」
  ぴしっ! と風がはじけとんだ。少女が鞭を振ったのである。手首で軽くしごいたとしか見えないのに、それは不吉な黒い蛇のように落日の光の中で幾重にもしなった。
010 ドリス・ラン 「いくよ。・・・・ランシルバの村で、うまいものが食べたかったら、あたしを倒してからにすることね」
  馬上の青年は動かなかった。剣にも、戦闘ベルトにも触れようとしない。

しゅっと息を吐きざま、少女は鞭を放った。鞭はワーウルフの剛毛をよりあわせて、三月(みつき)のあいだ根気よく獣脂(じゅうし)を塗ってなめしたものであった。まともに食えば肉がはじける。

少女が顔色を変えてとびすさった。青年の左肩口をなぎはらうはずの鞭は、なぜか、当たったと見えた瞬間方向を転じ、逆に彼女の左肩へ襲いかかったのだ。

  ドリス・ラン 「畜生・・・やるわね!」
  吸血鬼ハンターD 「どいてくれ」
  何事もなかったような声で青年が言った。

少女は従った。青年と馬がそのかたわらを通りすぎて数歩先へ進んだとき、少女は再び街道へ戻って声をかけた。声に含まれた思いつめたような調子に、青年が振り向いた刹那、少女は左手をケープの肩にかけ、一気に投げ捨てた。一糸まとわぬ神々しい裸身が風の中で光った。同時に少女は手をのばして、ひっつめ髪もほどいていた。豊かな黒髪が風になびく。裸身が美しいだけに、なんという妖艶さだろう。風は爛熟した女の香りさえふくんで渦まいた。

  ドリス・ラン 「もう一度、勝負おし!」
  また、鞭が鳴った。

しゅうっと青年めがけてのびた先端は、身体に触れる寸前八つにわかれ、目標の首、肩、両腕、胴体に、それぞれ別々に、しかも、数瞬ずつタイミングをずらせて巻きついたのである。

  ドリス・ラン 「ほほほ、かかったわね。・・・いかが、女の裸に目なんぞくらますからこうなるのよ」

「あんたで九人目。やっぱり駄目だったわ。・・・どうする?背中と腰の武器をおいてけば、すぐにもほどいてあげるけど」

  吸血鬼ハンターD 「いやだといったら?」
  ドリス・ラン 「窒息なり、地べたへ叩きつけるなり、好きなほうに眠らせてあげる。さ、どっちがいい?」
020 吸血鬼ハンターD 「どちらも断わる」
  声を合図に、少女は渾身の力を右手に集中させた。エネルギーが鞭の先端に殺到し、青年を宙に舞わせ・・・なかった!八つの輪は、きれいに形をとどめたまま、青年の身体からすっぽ抜けてしまったのである。

青年と馬は平然と歩み去って行く。

しばらく放心状態に陥っていた少女は、それでも、少し離れた所に落ちていたケープを身にまとうや、女の足とは信じがたい速度で青年の足元に駆け寄った。

  ドリス・ラン 「待って。無茶は謝るわ。話をきいてちょうだい・・・あなた、やっぱりハンター、それもバンパイアハンターね!?」
  黙って前を向いていた青年が、はじめて少女の方に目をやった。
  ドリス・ラン 「そうなのね・・・あたし、あなたを雇います!」
  吸血鬼ハンターD 「冗談ごとじゃないぜ」
  ドリス・ラン 「わかってます。バンパイアハンターが、ハンターたちの中で最高の名人だってことも。バンパイアがどんなに恐ろしい相手かってことも。バンパイアハンターになれるのは、千人にひとりの割合なのに、バンパイアと戦って勝てる見込みは五分五分なんでしょう。知ってます。あたしの父さんもハンターだったから」
  青年の眼に感情の色が動いた。片手で帽子の鍔(つば)を押し上げる。切れ長の冷たい、しかし澄んだ黒い瞳であった。
  吸血鬼ハンターD 「何のハンターだ?」
  ドリス・ラン 「ワーウルフハンター!」
030 吸血鬼ハンターD 「なるほど、それで、あの鞭の技か・・・・」

「ここのバンパイアは、第3次掃討戦争(だい3じそうとうせんそう)のとき逃亡したときいたがな・・・もっとも、30年も昔の戦争だ。当てにはならないか。・・・・で、おれを雇うという以上、君の家族か知り合いが襲われたんだな。何度、血を吸われた?」

  ドリス・ラン 「まだ、一度きりよ」
  吸血鬼ハンターD 「牙の痕(あと)は二本か、一本か?」
  ドリス・ラン 「自分で確かめてちょうだい」
  暮れなずむ空に、風に乗って野獣の叫びが遠く尾を引いた。

日に焼けた左首筋・・・頚動脈のあたりに、うじゃじゃけたふたつの傷痕が、生々しい肉の色をみせて盛り上がっていた。

  ドリス・ラン 「”貴族のくちづけ”よ」
  吸血鬼ハンターD 「その傷からすると、かなり大物のバンパイアだな・・・・よく動けるものだ」
  最後のひと言は少女への誉め言葉である。

血を吸われた人間の反応は、バンパイアのレベルによって異なるが、ほとんどの場合、魂を吸い取られた腑抜けの人形みたいになる。肌は白蝋(はくろう)のように色を失い、日がな一日、うつろな目で日陰に横たわっては、バンパイアの訪れを、新たな口づけを待つのだ。こうならなくてすむには、桁はずれの体力と精神力を必要とする。

けれども、このときの少女は、普通の犠牲者みたいな、夢遊病者みたいな顔つきをしていた。

マスクをはずした青年の美貌に我を忘れたのである。男らしい濃く太い眉、すらりとした鼻梁、意志の強さを表わすきりりとしまった唇。修羅の世界で数多くの戦いをくぐり抜けてきたもの独特の厳しい顔立ちの中に、憂いをひめた瞳がかがやいていた。そのくせ、少女がふと我に返ったのは、その眼差しの奥に潜んだなにやら禍禍しいものが背筋をなでたからである。

  ドリス・ラン 「それで、どうなの?・・・きてくれる?」
  吸血鬼ハンターD 「バンパイアハンターにくわしいと言ったな。・・・・報酬の額も承知か?」
040 ドリス・ラン 「え、ええ・・・」
  吸血鬼ハンターD 「それで?」
  ドリス・ラン 「一日三度の食事」

「それから・・・・・」

  吸血鬼ハンターD 「それから・・・・?」
  ドリス・ラン 「あたし。好きにして」
  青年の口もとがかすかにほころびた。そしてからかうように言った。
  吸血鬼ハンターD 「おれに抱かれるより、貴族の口づけの方がましかもしれないぞ」
  ドリス・ラン 「そんなんじゃないわ!」

「あたしはバンパイアになろうが、誰に抱かれようがかまやしないのよ。そんなもの、人間の価値とは関係ないからね。でも・・・・そんなことどうでもいい。どうなの。きてくれるの?」

  怒りと哀しみが交錯する少女の顔をしばらくみつめて、青年は静かにうなずいた。
  吸血鬼ハンターD 「よかろう、そのかわり、ひとつ断わっておく」
050 ドリス・ラン 「なに?なんでも言って」
  吸血鬼ハンターD 「おれは、ダンピールだ」
  少女の顔が凍りついた。
  ドリス・ラン 『まさか、こんな美しいひとが・・・そういえば美しすぎる・・・』
  吸血鬼ハンターD 「いいのか?もう少し待てば別のハンターが通るかもしれん。無理はしないことだ」
  少女は口中にあふれた苦い唾を飲み込み、青年に手を差し出した。笑おうとしたが、笑顔はこわばっていた。
  ドリス・ラン 「よろしく頼むわ。あたし、ドリス・ラン」
  青年はその手を握らなかった。最初とおなじ、無表情、無感情で名乗った。
  吸血鬼ハンターD 「おれは”D”と呼んでくれ」
     
  ドリスの家は、ふたりの邂逅地点(かいこうちてん)から馬で30分ほど走った丘のふもとにあった。

家は、3千年前の地球大改造計画で永久沃土化(えいきゅうよくどか)されたらしい。緑溢れる草原に囲まれた農場であった。木と強化プラスチックの母屋を中心に、強化防水シートに温度調節装置をとりつけただけの蛋白合成植物農園と、家畜小屋、馬屋が散らばっている。農園だけで二ヘクタールもあり、合成された蛋白の採取はセコハンのロボットが担当していた。

母屋の前の横木に馬をつないでいると、ドリスが帰宅を急いだ原因が、勢いよくドアをあけてとび出してきた。

060 ダン 「お帰り!」
  7、8歳の、赤い頬をした少年であった。旧式のレーザー・ライフルを胸に抱えている。
  ドリス・ラン 「弟のダンよ」

「何も変わりはなかったわね・・・夢魔も来なかった?」

  ダン 「ぜーんぜん」

「このあいだ、四匹もやっつけたじゃないか。怖くて近寄れもしねえよ。もし来たって、おいらがこれで丸焼きにしてやる」

「そうだ、グレコの奴がまた来たよ。『都』から届けさせたって花束抱えてさ。姉ちゃんが帰ったら渡してくれって置いてったぜ」

  ドリス・ラン 「その花、どうしたの?」
  ダン 「ディスポーザーで細切れにしてから、肥料に混ぜて牛に食わしちゃったよ」
  ドリス・ラン 「よくやった。今日は大盤振る舞いよ。お客さまもいることだしね」
  ダン 「へえ、いい男じゃねえか。姉ちゃん、こんなのが好みかよ。・・・・ロボットの具合が悪いから、代わりのひとを探しにいくなんつって、旦那見つけに行ってたんじゃねえの」
  ドリス・ラン 「ば、馬鹿。ヘンな事いわないで。こちらはミスター・D。当分のあいだ、農場を手伝ってくれるの。邪魔しちゃいけないよ」
  ダン 「ヘヘヘ。照れるこたないって。わかるわかる。この人からみりゃ、グレコなんか肉食蝦蟇(にくしょくがま)と大差ねえもんな。おいらだって、こっちの方がずーっといいや。よろしくな、Dの兄ちゃん」
070 吸血鬼ハンターD 「よろしくな、ダン」
  子供相手にも無感情なDの声を気にした風もなく、少年は先に立って母屋へ消え、ふたりもドアをくぐった。
  ドリス・ラン 「ご免ね、うるさかっただろ」
  夕食が済み、まだ眠くないよと反抗するダンを半ば強制的に寝室へ追いやってから、ドリスは済まなさそうに言った。Dは背中の剣を左手に持ち変え、窓辺に立って外の闇を眺めていた。
  ドリス・ラン 「旅の人がくるなんて珍しいもんだから。あたしたち、ランシルバの村の連中ともあまり付き合いがないしね」
  吸血鬼ハンターD 「構わんよ。賞(ほ)められて悪い気はしない」
  シャツとスラックスに着換えてソファにかけた彼女の方をみようともせず、口調は相変わらず冷たい。
  吸血鬼ハンターD 「今、辺境標準時で926ナイトだ。一度血を吸った相手のところへ来るのに、それほど焦りはしないだろうから、まず真夜中過ぎだな。それまで、敵について知っていることをきかせてもらおうか・・・・大丈夫、弟さんはもう眠っているよ。元気のいい寝息だ」
  ドリス・ラン 「あなた、ドアの向こうの音まできこえるの!?」
  吸血鬼ハンターD 「荒野をわたる風の声も、森陰をさまよう死霊の恨みの詩(うた)も」
080 Dはつぶやくように言ってから、滑るような足取りでドリスのかたわらに立った。その端正な冷たい顔が、首筋めがけて下降してくるのを感じたとき、ドリスは思わず『やめて!』と叫んで身をこわばらせた。はっきりと嫌悪感のこもったその声に、しかしDは表情ひとつ変えなかった。
  吸血鬼ハンターD 「首の傷を見るだけだ。敵の格が大体わかる」
  ドリス・ラン 「ご免なさい。どうぞ、見て」
  首筋をさらして顔をそむける。唇がかすかに震えているのは今の反応の名残としても、頬まで赤らんでいる原因は、見も知らぬ若い男に肌を観察される乙女の恥じらいだろう。十七歳のいままで、彼女は異性の手を握った事もないのである。

数秒後、Dの顔が遠ざかる気配があった。

  吸血鬼ハンターD 「奴と会ったのはいつだ?」
  抑揚のない声に、ドリスはほっとした。胸のやつ、どうしてこんなにも激しく鳴るんだろう。それを気どられまいと、彼女はDの顔をじっと見つめたまま、できるだけ冷静な口調で、忌まわしい夜の物語を語り始めた。
  ドリス・ラン 「五日まえの晩よ。電磁バリヤーを修理中、農場に忍び込んで牛を一頭殺したリトル・ドラゴンを追いかけ、やっとの思いで仕止めたと思ったら、あたりはもう真っ暗だった。まずいことに、それがあいつの城の近くだったのね。

大急ぎで戻りかけたら、どうでしょう、死にかかっていた怪物がいきなり火を吹きかけ、馬は下半身黒焦げでばったり。家まで50キロもあるのに、武器といったら、リトル・ドラゴン退治の槍と短剣だけ。

必死に走ったわ。30分も走りとおしたかな、ふと気がつくと、誰かが後で一緒に走ってるじゃないの!?」

  ドリスは不意に口をつぐんだ。恐怖の記憶が甦ったばかりではない。かなり近い距離から凶悪な遠吠えが闇を貫いたのである。はっと、美しい顔をそちらに向けたが、すぐただの野獣の声だと知って安堵の表情になった。
  ドリス・ラン 「・・・最初はモス・マンかワーウルフかと思ったのよ。でも、羽音も足音も立てないし、息づかいひとつきこえてこない。それなのに、あたしの背中から30センチと離れていないところに誰かいるのがわかるの。同じ速度で移動してるって。

とうとう、我慢できなくなってぱっとふりむいた・・・・そしたら、何もない!いえ、一瞬のうちに、また後ろにまわられたのよ」

「あたしはそこで怒鳴りつけた。人の背中で逃げ隠れしてないで、さっさと出てこいって。そうしたら、すっと出てきたわ。噂通りの黒マント姿で。真っ赤な、残忍そうな唇からこぼれる二本の牙をみたとき、正体がわかった。

後はよくある話よ。槍を構えたら、あいつと目があって、途端に全身の力が抜けたわ。それどころか、奴の青っちろい顔が近づいてきて、首筋に月の光みたいな冷たい息がかかったら、頭の中はもう真っ暗なの。気がつくと、夜明けの草原に倒れてて、喉には例の歯形がふたつ。

で、それから毎日、朝から晩まで、あんたみたいな人を探し求めていたわけよ」

  一気に感情を込めて話し終わると、ドリスはぐったりと力を抜いてソファに沈んだ。
090 吸血鬼ハンターD 「それからは一度も吸われていないな?」
  ドリス・ラン 「ええ。毎晩、槍を構えて待っているんだけれど」
  吸血鬼ハンターD 「単に血に餓えた貴族なら毎晩でもやってくる。犠牲者が気に入れば入るほど、長いインターバルを置くものだ。飲食の快感を長びかせるためにな。しかし、五日とはよくもった。君はよほど気に入られたとみえる」
  ドリス・ラン 「よして!」
  ドリスが悲鳴をあげた。夕刻、Dに戦いを挑んだ雄々(おお)しい女丈夫の面影はどこにもなく、そこに腰をおろしているのは、恐怖に脅える十七歳の美少女であった。
  吸血鬼ハンターD 「襲撃と襲撃のインターバルが平均三、四日。五日以上はまれだ。奴は間違いなく今夜やってくる。傷口から推察する限り、辺境の貴族にしてはかなりの力を持った相手だ。・・・・あいつといったな。素性は明らかなのか?」
  ドリス・ラン 「ランシルバの村ができる遥か以前から、この辺一帯を管理していた領主よ。名前はリイ伯爵。年齢は百歳とも一万歳ともきくわ」
  吸血鬼ハンターD 「一万歳か・・・・貴族の能力は年を老(お)いるにつれて増大する。厄介な相手だな」
  ドリス・ラン 「貴族の能力って?・・・・腕のひとふりで大風を巻き起こし、ファイア・ドラゴンに変身するっていう力?」
  吸血鬼ハンターD 「もうひとつきく。この村では、バンパイアに血を吸われたものをどう扱う?」
100 少女の顔がさっと青ざめた。

多くの場合、吸血鬼の毒牙にかかったものは、村や町単位で隔離し、そのあいだに犯人のバンパイアを滅ぼす段取りになっているのだが、どうしても倒せないときは、犠牲者を町から追放するか、最悪の場合、処分してしまう。

ランシルバの村でも対策は同じことであった。ドリスが誰にも助けを求めず、ひそかにバンパイアハンターを捜し求めた理由はこれがゆえである。

  吸血鬼ハンターD 「・・・・どこでも同じか。・・・・・呪われた悪鬼、闇の屍肉(しにく)食い、血に狂った妖魔。一度でも血を吸われれば、奴らの仲間。・・・・まあ、いい。立ちたまえ」

「どうやら、歓迎されざる客が来たようだ。電磁バリヤーのリモコンを貸してくれ」

  ドリス・ラン 「えっ、もう来たの?さっき、真夜中すぎだって・・・」
  吸血鬼ハンターD 「おれも驚いてる」
  とてもそうは見えない。

ドリスは部屋からリモコンを持って戻り、Dに手渡した。

  ドリス・ラン 「どうやって戦うの?」
  吸血鬼ハンターD 「見ていたまえ、と言いたいところだが、君には眠ってもらわねばならん」
  ドリス・ラン 「え?」
  青年の左手が、ひき締まり盛り上がった筋肉の内にまだ女らしさをとどめている右肩に触れた。

どのような技ないし力を発揮したものか。その部分から全身にぞっとするような冷たい刺激が走ったと覚えた刹那、ドリスは意識を失った。その寸前、Dの左の掌に彼女は異様なものを認めた・・・認めたと思った。小さくて色も形も定かではないが、明らかに目と鼻と口をもった、奇怪な顔のようなものを。

Dはドリスの失神が本当かどうか確かめもせず、剣を肩に背負って部屋の外へ出た。Dは静かにドアを閉め、玄関を抜けて、ポーチの階段から暗黒の大地へ降りた。昼の熱気は跡形もなく、やや肌寒いが心地よい夜風に青草が揺れていた。

風に舞うがごとき優雅な足取りで、Dは入口の柵を抜け、さらに三メートルほど進んで立ちどまった。やがて、闇の奥、平原の彼方から、馬の蹄(ひずめ)と車輪(わだち)の音が近づいてきた。月明かりの中に、闇そのものが凝縮したかのような黒塗り四頭立ての馬車が現れ、Dの前方五メートルほどの位置に停止した。

御者台に黒いインヴァネス姿の男が腰をおろし、異様に光る眼でDを凝視していた。男は素早く御者席から降りた。全身がばねみたいな、動作まで獣じみた男であった。馬車の乗降ドアに手をかけるより早く、銀の把っ手(とって)が回転し、ドアは内側から開いた。

涼やかな風に、突如、冷気と血なま臭い異臭が立ち込めたかのようであった。馬車から降りた影を一瞥(いちべつ)したDの眼に、わずかな感情の色が動いた。

  吸血鬼ハンターD 「・・・・女か」
110 まばゆいばかりの金髪が地を這っているかと思われた。腰を思いきり締めつけた豊穣(ほうじょう)な曲線が地面すれすれまで広がっている中世風の純白のドレスもさることながら、月光を浴びて夢のようにかがやく”貴族”特有の白い美貌が、少女をこの世ならぬ幻のように見せていた。

だが、この幻からは血の匂いがする。碧瑠璃(へきるり)の瞳の奥には地獄の炎がちろちろと燃えているし、夜目(やめ)にも濡れ光るなまめかしい唇は血のように赤く、永劫に満たされることのない餓えを感じさせる。少女はDを見つめて、銀鈴(ぎんれい)のように笑った。

  ラミーカ 「そなた、用心棒か。そなたのごときならず者を雇って身を守ろうなどと、下賎な人間どもの考えそうなことじゃ。この家の娘、土地の人間にしては類いまれな美形うえ、血潮も美味と父上にきかされ、どんな娘かと今宵検分にまいったが、所詮は愚かでいじましい虫けらどもと五十歩百歩」

「・・・まず、おまえを血祭りにあげてから、卑しい血を一滴のこらず吸いとってくれる。父上は一族に加えたいご所存のようだが、このような小細工を弄(ろう)する不埒(ふらち)ものにリイ家の血を与えるなど、私が許さぬ。たったいま、この地上から暗黒神の待つ地獄へ追い落としてくれるわ。そなたも一緒にな」

  言うなり、少女は繊手(せんしゅ)をふった。御者が進みでる。渾身から殺意と憎悪が炎のようにDの顔に吹きつけた。

変身がはじまった。細胞の分子配列が変化し、神経網が猛スピードで地を駆る野獣のそれに変わる。背骨がしなり、大地に這った四肢の形状がみるみる四足獣(よんそくじゅう)にふさわしい姿をおびていく。せり出した顎(あご)、耳まで裂けた半月型(はんげつがた)の口からさらけ出された鋭い牙の列。全身を被う黒色(こくしょく)の剛毛。御者はワーウルフだった。

殺戮の歓喜に燃える豪快なハウリングがしじまを破った。インパネスをまとった狼は、その両眼(りょうがん)を爛々とかがやかせたまま、ぐうっと二本足で立ち上がった。初対面のときの姿勢を崩さず棒立ちになっている青年を、恐怖にすくんだと解したか、黒い獣は、わずかに身体を沈めただけで、下半身の強烈なバネに全体重をあずけ、五メートル以上もの距離を一気に跳躍してきた。

月光よりもまばゆい光がふたすじ、闇を切り裂いて走った。Dは動かない。その頭上から落下し、鉄をも切り裂く爪を脳天に食い込ませようとしたワーウルフは、なんと空中で方向を転じ、もう一度ジャンプした形になってDの頭上を越え、その後方数メートルの草むらへ着地した。

草むらに低く伏せた獣の喉からは苦痛のうめきが洩れた。右脇腹をおさえた指のあいだから鮮血が噴き出し、草をぬらしている。激痛と憎悪に血走った眼は、静かにこちらを向いたDの右手に、月光を反射してきらめく刀身をみた。ワーウルフの爪が迫った瞬間、彼は神速のはやさで肩の剣を抜き、敵の脇腹をないだのである。

  吸血鬼ハンターD 「さすが・・・・はじめてみた。本物のワーウルフの実力を」
  ラミーカ 「どうしたのです、ガルー!・・・狼に転じたおまえは不死身のはず。遊びはなりません。いますぐ、この人間を引き裂いておしまい」
  女主人の叱咤に近い声を聞きながら、ワーウルフ・ガルーは動けなかった。傷のせいもある。青年の神秘な剣技のせいもある。しかし、彼の足をすくませ、全身を凍りつかせている恐怖の源は、必殺の一撃を加える寸前、青年の身体からほとばしった殺気の凄絶さであった。それは人間のものではなかったのだ。
  吸血鬼ハンターD 「お守り役は傷ついた」

「向かってこなければ長生きできる。・・・おまえもそうだ。家に帰って厄介な邪魔もののことを父親に告げるがいい。この農園を再び襲うのは、愚かものの行為だと」

  ラミーカ 「黙れ!」

「わたくしは、辺境地帯ランシルバ区統治官マグナス・リイ伯爵の娘ラミーカ。そなたごときの剣に倒せると思うか」

  その声が終らぬうちに、Dの左手から白光が少女の胸元めがけて走った。いつ取り出したのか、目にもとまらぬ早さで放たれた、長さ三十センチにも及ぶ細い針であった。それは木でできていた。白光は、信じがたい速度と空気との摩擦から、針自体が燃え上がった炎の光であった。

奇怪な現象が起こった。炎はDの胸の前で停止していた。放った針がそこで止まったのではない。ラミーカの胸に突き刺さる寸前、反転して戻ってきたのを、Dが素手で受けとめたのだ。

  吸血鬼ハンターD 「家来も家来なら主も主。・・・見事だ」
120 素手で炎をつかんでいるのも、じりじりと肉が焼け爛(ただ)れているのも知らぬげにDがつぶやいた。
  吸血鬼ハンターD 「今の手練(てれん)に対して名乗る。おれはバンパイアハンターD。命があったら覚えておけ」
  言うなり、Dは音もなく少女めがけて疾走した。ラミーカの表情に戦慄がかすめる。ふたりの距離がまたたくまに、刃(やいば)の届く範囲まで狭(せば)まった時、猛々(たけだけ)しい遠吠えが夜気(やき)をゆるがし、馬車の御者台から、藍色の光条(こうじょう)が閃(ひらめ)いた。Dが身をひるがえして横へとんだ。閃光は彼の外套の裾を貫き、蒼白い炎をあげた。かわした先々へ正確無比に飛翔する青い光を避け、Dは成す術もなく宙を舞った。

御者台からガルーの声がした。ドアの閉まる音。追おうとしたDの足を、またもやレーザー砲の一閃が押しとどめ、馬車は方向を転じて闇の彼方へ吸い込まれていった。

  ガルー 「若造、この決着は後日、必ずつけるぞ」

「貴族の怒り、忘れるな!」

124 敵を撃退したと喜んでいるのか、女吸血鬼を葬りきれなかったことをくやんでいるのか、どちらともとれぬ無表情な顔で草むらから起き上がったDの周囲を、男女ふたりの憎悪に満ちた挨拶がいつまでも駆け巡っていた。

吸血鬼ハンター”D”第1章 呪われた花嫁 劇終

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