ベルサイユのばら

マリーとデュ・バリー編

3話 ベルサイユに火花散る
4話 バラと酒とたくらみと
5話 高貴さを涙にこめて・・・


乳母     ・・・ 3言
ノワイユ夫人 ・・ 5言

オスカル アンドレ
マリー・アントワネット フェルゼン
001 OP挿入曲 薔薇は美しく散る
  1770年5月16日、王太子ルイ・オーギュストとマリー・アントワネットの結婚式はベルサイユ宮殿内の礼拝堂で貴族、僧侶6000人の列席のもとに執り行われた。
ジャルジェ邸。前庭でアンドレが自分とオスカルの馬を用意している。
ベルサイユ宮へ伺候するためにでかけようとしているオスカルを乳母が呼びとめた。
  乳母 「お嬢様、ちょっとお待ちくださいまし。本当にまあお嬢様ったら。お嬢様、アントワネット様がはじめてベルサイユ宮へお出になられる日だってこと、わかってらっしゃいますね」
  オスカル 「粗相のないようにだろう。わかっているよ、ばあや」
  乳母 「え、ええ。わかってらっしゃればいいんですけど」
  アンドレ 「おばあちゃん、いつまでも子供じゃないんだよ、オスカルは」

「それよりオスカル、いや、オスカル様。アントワネット様を助けたお前の宮廷内の人気はたいしたものだと聞くぞ。気をつけたほうがいいぞ。あっちこっちの貴婦人たちがおまえをねらってやってくる」

  オスカル 「無駄口が多くなったな、アンドレ」
  屈託のないアンドレに対してオスカルはそっけない。さっさと馬の腹を蹴った。アンドレもその後を追う。取り残された乳母は心配そうな表情で二人を見送った。

ベルサイユ宮。猫を捕まえるためにアントワネットは家具の下に潜り込んでいる。ようやく猫を捕まえると、アントワネットは猫を叱った。
  マリー 「んもう、だめだわよ。あんなとこに入っちゃあ」
010 ノワイユ 「いいかげんになさいまし、アントワネット様」
  マリー 「ほおら、あんたがおとなしくしていないから怒られてよ。め!」
  ノワイユ 「もう、め!じゃありません。もうひとつ大事なことを忘れていました。痛い!」
  ノワイユ夫人はアントワネットから子猫を取り上げるが、その手を引っ掛かれて悲鳴をあげた。その様子が可笑しくて、アントワネットは声をたてて笑った。
  マリー 「うふふふふ」
  ノワイユ 「いいですか、このベルサイユでは公式の場では身分の低いものは身分の高い婦人に自分から声をかけることは絶対に許されておりません」
  マリー 「ずいぶん不自由ですこと」
  ノワイユ 「いいえ、王妃様がお亡くなりの今は王太子妃であるアントワネット様が宮廷内で一番地位の高いご婦人でございます」
  マリー 「このわたくしが?」
  ノワイユ 「そうです。国王のお嬢様方がその次で、その次が王太子殿下のお妹様。みんなあなた様からお声をかけていただくのを待っているのです。どうかお声をかけてやって下さい」
020 マリー 「宮廷で一番地位が高いわたくしから誰もが声をかけられるのを待っている。ああ、なんて素敵なの!」
  アントワネットとルイが大広間に登場するとその美しさと堂々とした態度に貴族達は感嘆の声をあげた。

貴族たちの注目を一身に浴びながら、アントワネットは思った。

  マリー 「ああ、みんながわたくしを見ている。わたくしの姿に目を見開き、驚きの声をあげている。わたくしの美しさに夢中で見惚れてしまっている。素晴らしいわ。わたくしは今ベルサイユの女王なんだわ」
  苦虫をかみつぶしたような表情のオスカル。
王太子夫妻が着席すると音楽が流れダンスが始まる。

アントワネットはダンスが大好きだった。心の沸き立つような軽快なメロディを聞いて、ルイをダンスに誘った。

しかし、ルイはダンスは踊らないと断わった。ダンスを嫌いな人がいるなんて。アントワネットは呆れて、広間を見回すと、オスカルがいた。

さっそく声をかけようと近づいたアントワネットだが、一人の貴婦人がその視界にとびこんできた。

  マリー 「何なの、この女。何て高慢ちきな態度でしょう。すごい肉体美だけど、どこか下品な女」
  その女の前を通り過ぎると、アントワネットはオスカルに話し掛けた。
マリー 「オスカル、ご機嫌いかが。」
  オスカル 「ありがとうございます。妃殿下にもご機嫌のご様子、お喜び申し上げます」
  先ほど、アントワネットの神経を刺激した貴婦人は、アントワネットとオスカルを見ようともせずに談笑している。好奇心に勝てずに、アントワネットはオスカルに尋ねた。
  マリー 「オスカル、あそこから私をじっと見つめている女の人はどういう身分の人?」
030 オスカル 「デュ・バリー伯爵夫人。王太子妃殿下がお心をとめられるような女ではありません。」
  マリー 「でも、ああやってあんなに大勢の取り巻きに囲まれて、まるで自分が王妃だというような顔をしている。どうしてみんな、あの女にぺこぺこしているのかしら」
  アントワネットはどうしてもデュ・バリー夫人のことが気になって仕方がなかった。

オスカルは皮肉に笑って、アンドレに言った。
  オスカル 「おい、見ろよ、アンドレ。デュ・バリー夫人を蛇か蛙のように嫌ってらっしゃる伯母様方のご登場だ。これは一荒れありそうだと思わないか」
  アンドレ 「なるほど。デュ・バリー婦人の素性をアントワネット様が知った時、どんなことになるか」
  ルイ15世の娘であり、王太子の叔母にあたる、アデレイド、ビクトワール、ソフィーの三人がアントワネットにデュ・バリー夫人の悪口を吹き込んでいる。
  マリー 「何ですって?!国王陛下のお妾ですって?」
  女A 「そうです。おの女、元はといえば下層階級の生まれで薄汚い下町で娼婦をしていたのよ」
  マリー 「娼婦って?」
  女B 「男たちにお金で体を売る売春婦のことです。」
040 マリー 「そ、そんな卑しい女がどうしてベルサイユ宮殿に?オーストリアのお母様はそんな女たちには鞭をくれて、感化院に放り込んでいたのに」
  女C 「あの女はねえ、うわさでは自分の情夫を言いくるめてお金をださせると、そのお金で名門貴族のデュ・バリー伯爵を騙して、まんまと書類だけの結婚をし、そのあくる日には伯爵を毒殺してしまったのよ」
  マリー 「毒殺?なんて恐ろしい。」
  女A 「そう。そして伯爵夫人となったあの女は何食わぬ顔で宮廷に出入りすると、持って生まれたお色気で国王をたらしこみ、お妾になってからは大臣を勝手に任命したり、くびにしたり・・」
  女B 「それはもう贅沢のし放題」
  女C 「国王陛下は、娘のあたしたちの反対なんかお構いなしで、すっかりあの女の言いなりなのだから」
  女A 「そう。もう、みんながあの女のご機嫌伺いをするものだから・・」
  女B 「女王のつもりで勝手気ままに振舞っているんだわ。悔しい!」
  マリー 「なんて・・なんて図々しい女。それであんな目でわたくしを見ていたんだわ」
  女A 「でも、いくらあの女が権力があって、あなたにライバル意識を燃やしたって・・」
050 女B 「正真正銘の王族で未来の王妃様のあなたにかないっこないのよ」
  女C 「いいこと、せいぜい無視しておやりなさい」
  女A 「そ、徹底的に無視してやるのよ」
  徹底的に無視してやれ、と言うおばたちの言葉にアントワネットは敵がい心を掻き立てられていた。

一方、私室にもどったデュ・バリーは腹の虫がおさまらない。卓の上に盛られた果物の皿を床に叩き落した。
  デュ・バリー 「ふん、あのオーストリアの小娘、とうとうあたしに声をかけなかった」
  鏡台に映る自分の姿に、アントワネットの笑顔が重なる。笑い声までもが蘇ってきてデュ・バリーは化粧瓶を鏡に叩きつけるた。物音を聞きつけた小間使いが続きの間から様子を窺った。
  デュ・バリー 「何でもないわよ。放っといて!」
  上機嫌の国王が扉を開けた。
  国王 「どうだったね、デュ・バリー。アントワネットの初舞台は。どうやらたいへんな人気だったようじゃないか?ええ?」
  デュ・バリー 「そうでしたかしら?」
060 国王 「そうとも、アントワネットはたった一日で宮廷のすべての人をとりこにしてしまったようだ」
  デュ・バリー 「あたしはあんな赤毛のちびはきらいだわ」
  国王 「おいおい、アントワネットは赤毛ではないよ。きれいなブロンドだ」
  デュ・バリー 「このあたしの髪に比べたら、あんなの赤毛みたいなものです」
  国王 「それもそうだな」

「お、これは、これはどうしたんだね、デュ・バリー」

  国王は床に散らばる果実に驚いて訊いた。
  デュ・バリー 「なんでもありません。それより、あんたたち」
  女主人の顔色を窺っていた小間使いに、デュ・バリーが命じた。
  デュ・バリー 「いつまでもそんなところでもたもたしていないで、すぐにパリ中の一流デザイナーを一人残らず呼んでちょうだい」

「あん、早くったら、早く!早く行ってらっしゃい!」

「あんな小娘に負けてたまるものですか。今にあの小娘が真っ青になるような、すごいドレスを作って、見せつけてやるんだわ」

  デュ・バリーは誓った。

数日後、豪華なドレスに身を包んだデュ・バリー夫人が大広間に姿を現した。
070 デュ・バリー 「みなさん、ご機嫌いかが?」
  貴婦人たちの賛辞の声に一応満足したデュ・バリー夫人は、アントワネットの姿を探した。
  デュ・バリー 「いないわ、あの赤毛のちび。どこに行ったのかしら」
  アンドレを従えてオスカルが広間へと足を踏み入れると、貴婦人たちの関心はオスカルへと注がれた。

貴婦人たちの囁きを気にも止めずに、オスカルは広間を真っ直ぐに通過した。

  マリー 「まあ、オスカル、ごきげんよう」

「オスカル、あなたちっとも他の人みたいに、おしゃべりしたり踊ったりしないのね。どうしてかしら」
  無邪気なアントワネットの問いかけに、オスカルは困惑した。
  マリー 「ねえ、今度午後のサロンにいらっしゃいな」
  オスカル 「せっかくながらアントワネット様、オスカルは女とはいえ軍人でございます。私のすべきことはおしゃべりではなく、フランス王家をお守りする事だけでございます」
  マリー 「まあ・・・」
  オスカル 「失礼します」
080 立ち去るオスカルの後ろ姿を見つめるデュ・バリー夫人に閃くものがあった。
  アンドレ 「おい、おまえ、なんだって王太子妃様のお誘いを断ったんだ?アントワネット様のサロンに呼ばれるなんて、出世間違いなしだってのに」
  オスカル 「アンドレ、貴様も宮廷の堕落した貴族どもと同じ考えか、ええ?おまえがばあやの孫でなかったら、横っ面のひとつやふたつ、張り倒すところだ」
  強い口調でそう言うと、訳がわからないアンドレをあとに残して、オスカルは踵を床に蹴りこむようにして立ち去った。
  デュ・バリー 「あの赤毛のちび、この前はこのあたしがどういう地位にあるか知らなかったから、あたしに声をかけるのを忘れていたみたいだけど。ふふふ、今日ははっきり教えてやるわ」

「みなさん、今日はとっておきの話をしてさしあげましょう」

デュ・バリーが一言、言うと、大広間に集う貴婦人たちが、彼女のまわりへとやってきた。

国王の三人の娘たちを従えたアントワネットも負けてはいない。
  マリー 「ねえ、みなさん、こちらへにいらっしゃいません?叔母様たちが楽しい計画があるんですって」
「これからみんなでお芝居を見に行こうと計画しているの」
  広間の貴婦人たちは鉄が磁石に吸い寄せられるように、アントワネットたての周囲に集まった。

その様子を見ていたデュ・バリー夫人の取り巻きも、心穏やかではない。
デュ・バリー夫人のまわりにはあっという間に誰もいなくなった。
ぽつんと取り残されたデュ・バリー夫人はぎりぎりと歯をかみしめた。その様子を広間のすみから他の貴婦人たちが面白そうに眺めている。
  女A 「ほら、デュ・バリー夫人をご覧遊ばせ」
  女B 「ほんと、目をつりあげて怖い顔」
090 女C 「そういえば、アントワネット様は、まだ一度もデュ・バリー夫人にお声をおかけになりませんわね」
  女A 「いくら国王陛下のご寵愛をうけて、宮廷一の権力を誇っていても、身分からいえば決して高くはありませんもの」
  女B 「王太子妃殿下に自分の方から声をかけるなんて金輪際、できませんものねえ」
  デュ・バリー 「あの小生意気なオーストリア娘、まさか・・・まさかこの私をみんなの前で公然と無視しようというつもりじゃないでしょうね」
  デュ・バリーは国王に泣きつくが、国王は笑ってとりあわなかった。
  国王 「おいおい、つまらんことを言うものじゃない。わざとおまえにだけ、声をかけないだと。わはははは、誤解だよ。それは誤解だよ」
  デュ・バリー 「いいえ、あれはわざとだわ。」
  国王 「おいおい、相手はまだやっと14の子供じゃないか」
  デュ・バリー 「その14のこどもが王太子妃だというだけの理由で、私はお声がかかるのを待たなくてはならないのですわ。宮廷中が陰で何と言っているか、ご存知ですの?」
  国王 「うむ?」
100 デュ・バリー 「あの赤毛のちびはこの私に挑戦する気なんです」
国王 「はは、それはおまえの思い過ごしというものだよ。わはははは」
  デュ・バリー 「このあたしに挑戦する気なんだわ。国王さえも言いなりに動かせるこの私に対して。よおし、どうなるか見てるがいい!」
  ベルサイユ宮、庭園。朝の太陽を全身に浴びて、アントワネットは輝くように美しい。アントワネットは花の咲き誇る庭を歩きながら、貴族たちににこやかに声をかけた。
  マリー 「こんにちは、モーロワ伯夫人、モールパ伯夫人。今日もいいお天気ですこと。こんにちは、オルレアン公」
  女A 「はい、本当によいお天気で、アントワネット様。」
  マリー 「ねえ、ロベール候夫人、ランバール候夫人、午後から公園の森へ散歩にまいりませんこと?」
  女B 「すてき、ベルサイユ公園は今が一番、美しい時ですものねえ」
  女C 「ぜひご一緒に」
  アントワネットに声をかけられた貴婦人たちは、嬉しそうに返事をしている。その様子をデュ・バリー夫人とその取り巻きも見ていた。
110 マリー 「ローザン夫人、マントノン夫人、今夜のカルタ遊びの会には、きっといらしてくださいね
  女A 「ええ、喜んで伺いますわ」
  マリー 「王太子殿下もご一緒されますのよ」
  女B 「まあ、なんて光栄なんでしょう」
  マリー 「では」
  会話に区切りがつくと、アントワネットはデュ・バリー夫人を振り返った。夫人の顔をまっすぐに見つめながら、アントワネットが歩いてくる。
  デュ・バリーM 『ま、可愛いところがあるじゃないの。この洟垂れ娘。このあたしに声をかけることを忘れたことにやっと気づいたんだわ』
  居合わせたものすべてが、アントワネットがデュ・バリーに声をかける様子を見守っていた。そこにはオスカルとアンドレもいた。アントワネットはデュ・バリー夫人を素通りすると、傍らの貴婦人に極上の笑みを浮かべて話し掛けた。
マリー 「こんにちは、ジュール夫人」
  女C 「アントワネット様」
120 デュ・バリーはあからさまなアントワネットの仕打ちに逆上し、その場から走り去った。

アントワネットとデュ・バリーのどちらに着くかで宮廷は噂話で持ちきりだった。オスカルの動向も話題の焦点にあがっている。
  女A 「それにしてもオスカル・フランソワはどちらにつくのかしら」
  女B 「それは、つきあいの長いデュ・バリー夫人の方じゃございませんこと?」
  女C 「あーら、彼女は由緒正しいジャルジェ家の出身ですもの。アントワネット様のほうだと思うわ」
  女A 「しかし、ここでもし国王陛下が亡くなられたとしたら、王太子殿下が即位されるのですよ」
  女B 「そうなると、アントワネット様が女王になられるわけですわ」
  女C 「でも、今はなんといっても、デュ・バリー夫人の権力に逆らったらひどい目にあいかねないですわ」
  宮殿のバルコニーで、低く傾いたオレンジ色の日の光に金髪をきらめかせて、オスカルはアンドレに言った。
  オスカル 「おべっかつかいの貴族どもがあわてふためいて騒いでいるようだ。ふん、どっちについたら得になるかと」
アンドレ 「オスカル、あまえはどっちにつくんだ?貴婦人たちがみんな気にしている」
130 オスカル 「このオスカルはどっちにもつかん。このおもしろい女の一騎討ちをゆっくりと見物させていただくさ」
  私室に戻ったデュ・バリー夫人は調度にあたり散らした。ドアをノックする人物がいる。オルレアン公だった。
  デュ・バリー 「オルレアン公、あなたまで私を辱めようというのですか?」
  オルレアン 「とんでもない、デュ・バリー伯夫人、あなたのお力になろうと」
  デュ・バリー 「王太子の従兄弟のあなたが?このわたくしに?」
  オルレアン 「さよう、アントワネット様の態度には、この私も鼻持ちならないと思っている」

「アントワネットに勝つ方法がひとつだけある」

  N ジャルジェ邸。アンドレがオスカルの部屋に駆け込んできた。
  オスカル 「なに?母上をデュ・バリー夫人のお傍付きの侍女にだと?」
  アンドレ 「そうだ。たった今、町で聞いてきた」
  オスカル 「卑怯な、この俺を金縛りにしようというのだな」
140 アンドレ 「うん、おまえの人気に目をつけて、自分の味方にし、貴婦人たちを自分の側に引きつけようというわけだ」
  オスカル 「いやだ!母上をあんな宮廷の女の争いに巻き込むのは、俺はいやだ!」
  N アントワネットは国王の3人の娘たちにけしかけられている。
  女A 「あの破廉恥なデュ・バリーが、こともあろうにオスカルの母親を、自分付きの侍女にしたいと国王陛下に願い出るなんて」
  女B 「オスカルの人気に目をつけたんだわよ。あの売女!」
  女C 「陛下のご寵愛をいいことに、あの女、あなたに挑戦してくる気なのよ」
  女A 「アントワネット、国王陛下の娘である私たち三人は、あくまで、あなたの味方ですからね」
  マリー 「わかりましたおば様方。オスカルの母親をこの私付きの侍女にして下さるよう王太子殿下におねがいいたします」
  N ジャルジェ邸。オスカルは憤っている単純に喜んでいる乳母に、オスカルは苛立ちを隠さなかった。
  オスカル 「なぜ母上を!」
150 乳母 「では奥様をデュ・バリー夫人かアントワネット様かどちらかのお側付きの侍女にと。オスカル様、このたびの申し入れはたいへんなご名誉。そんなにイライラと・・」
  オスカル 「黙れ!」

「理由はわかっている。デュ・バリーか王太子妃か、このオスカルに選ばせようという魂胆」

  アンドレ 「おい、オスカル、落ち着けよ。いずれはどちらかを選ばねばならんのだ。この際、長い目で見れば・・」
  オスカル 「黙れ、アンドレ!いやだ。俺は母上をあんな宮廷の女同士の争いの道具にされるのは絶対に許せない」
  N オスカルはアンドレを怒鳴りつけた。

ジャルジェ夫人が心配しなくてもいいと、そっとオスカルに言った。
  オスカル 「いやです。私は二人の勢力争いのために、母上までもが巻き込まれるのが許せないのです」
  N ジャルジェ将軍が窘めても、オスカルの決意はかわらなかった。
  オスカル 「たとえ・・たとえ誰の命令でもあたしはいやです。父上、お断りしてください」
  N 厳しい表情で立ち去るオスカル。夫人が不安げに夫の顔を見上げた。

ジャルジェ邸の夜の庭。池のふちに腰をおろし物思いにふけるオスカルにアンドレが近づいて来た。

  オスカル 「忠告ならむだだ」
160 アンドレ 「ちがう、久しぶりで一汗流さないか」
  オスカル 「いいだろう。望むところだ」
  N ジャルジェ夫人がバルコニーへ出てくる。剣を交える二人の姿を悲しそうな表情で見つめていた。
  アンドレ 「おまえは幸せな奴だ」
オスカル 「なに?」
  アンドレ 「俺には心配したくてもおふくろはいない」
  N アンドレはオスカルを大木の際まで追い詰めると、木の幹に剣を突きたてた。
  アンドレ 「どうだ、参ったか、参ったら、母上殿に心配をかけずにどちらかに決めろ」
  オスカル 「どちらに附いても、母上が辛い思いをするのは同じことだ」
  アンドレ 「陛下の命令に叛けば叛逆罪だぞ」

「陛下からはデュ・バリー夫人と妃殿下のどちらに仕えるかはジャルジェ家の自由にと、寛大なご沙汰があったというではないか。それをおまえは・・」

「さあ、決めるのだ。おまえが強情を張っていればいるだけ、迷惑は父上、母上殿に及ぶのだ」

170 N オスカルはアンドレの剣を跳ね上げる。剣は池の中へと落ちた。ジャルジェ夫人はバルコニーから見守っている。
オスカルは心に誓った。
  オスカル 「母上、どうしても選ばなければならないとすれば、今は宮廷一の権力を誇っているとはいえ、あこぎなやり方でのし上がり、色香で国王を操っているデュ・バリー夫人よりも、せめて血筋の正しいアントワネット様を選びます。そのかわり、このオスカルは必ず母上の身をお守り申し上げます」
  N 次の日ベルサイユ宮殿ではアントワネットのデュ・バリー夫人に対する最初の勝利のうわさでわきかえっていた。

アントワネットに従うジャルジェ夫人を守るようにオスカルはその傍を離れない。
  デュ・バリー 「おのれ、オスカル。青二才の分際でこのあたしにたてついて、あの母親め、ただではおくものか、どうなるか見ているがいい」
  N 腹の虫がおさまらないデュ・バリー夫人は自らの首飾りを引き千切ると、その場を駆け去った。アントワネットは列席した貴族の中に馴染みの顔を見つけた。
  マリー 「まあ、メルシー伯」

「ねえ、郷里のシェーンブルン宮の庭園に勝るとも劣らない美しいお庭でしょう」

「わたくしの結婚式の時には下々の者たちにも開放されたのよ。花火も上がってきれいだったわ」

  N メルシー伯が王太子の姿が見えないのを不思議そうにきいた。
  マリー 「王太子様ならまた鍛冶場に篭もって錠前を作っているわ」

「錠前つくりが趣味なのよ。あはははは」

  N 心の底からアントワネットは可笑しそうに笑った。
その時、メルシー伯の耳に貴婦人たちの会話がとびこんできた。
  女A 「ええ?まだ一言も?」
180 女B 「そうよ、もう三ヶ月もたつのに、アントワネット様はまだ一言もお声をおかけにならないのよ」
  女C 「さすがのデュ・バリー夫人もオスカルの母親をアントワネット様の侍女に横取りされたと知った時は・・」
  女A 「そう、わなわなと震えて真っ青だったわ」
  女B 「おほほほほ」
  デュ・バリー 「許せないわ、あの小娘、このあたしを馬鹿にして、絶対に許せない」
  N 調度に当り散らしても気が晴れないデュ・バリー夫人は国王の居室に飛び込んだ。
  デュ・バリー 「陛下、何とかしてくださいまし、あの小娘ったら」
  国王 「またその話か、私はもう面倒なことはご免なんだよ。頼むから放っておいてくれないか」

「宝石でも馬車でも好きなものは全部手に入れたではないか、これ以上何を・・」

  デュ・バリー 「いいえ!陛下は宮廷での話題をご存知ございませんでしょう。あたしはあの赤毛の小娘から今日まで一言も言葉をかけてもらえないばかりに、宮廷中のもの笑いの種にされております。あの小娘から言葉をかけられないうちは、あたしは宮廷で存在を正当に認められていないことになります。ええ、ええ、あたしは侮辱されているんです」

「陛下はあたしを守ってくださる義務がおありです。陛下がなにもしてくださらないから、あたしはこんなひどい侮辱を受けているんです」

  N デュ・バリー夫人の愚痴をうんざりしながら聞き流していた国王だが、泣きじゃくるデュ・バリー夫人を見て顔色が変わった。
190 国王 「わしがなにもせんからおまえが侮辱されたと言ったな」
  デュ・バリー 「はい、陛下のご寵愛を受けているあたしへの侮辱はすなわち陛下への侮辱です」
  国王 「ううむ・・わしへの侮辱。誰かアントワネット付のものを余の部屋に呼べ!」
  N 国王よりアントワネットのデュ・バリー夫人への振る舞いに対して警告がなされた。それを3人娘は恐れるに足らぬとアントワネットを励ましていた。
女A 「アントワネット、心配はいりませんよ。どうせあの女が陛下に泣きついたに決まっています」
  女B 「ええ、そうですとも」
  女C 「あたしたちがついています。あなたはデュ・バリーなんかに負けてはいけませんよ。いいこと?」
  N ベルサイユ宮殿。メルシー伯が読み上げる手紙をアントワネットはうんざりした様子できいていた。
  マリー 「はいはい。ようくわかったから、あとはいいわ」

「なにさ、カウニッツのがりがり爺。勝手に好きなこと言ってればいいわ。それにしても、どうしてこんなことがオーストリアに知られてしまったのかしら」

  N 宮殿の大広間には貴族たちがひしめきあっている。彼らの話題といえば、アントワネットとデュ・バリーの確執についてだった。
200 女A 「オーストリアの総理大臣からお手紙があったそうよ」
  女B 「ではアントワネット様は・・」
  女C 「ええ、とうとう説得されて」
  N 広間にアントワネットが姿を現した。
  女A 「ほら、ねえご覧あそばせ。オスカル様がぴったり妃殿下に付き添われて・・」
  女B 「そりゃ、お母様が心配ですもの。デュ・バリー夫人が怒ったら、何をなさるかわかりませんものねえ」
  女C 「そういえば、まだデュ・バリー夫人の姿が見えませんわねえ」
  女A 「あ、ほら、デュ・バリー夫人よ」
  女B 「デュ・バリー夫人の登場よ」
  女C 「まあ、今日は珍しくご機嫌のいいこと」
210 女A 「じゃあ、やっぱり、オーストリアからの手紙のこと、本当かしら」
  女B 「ええ。らしいわ、もしかしたらアントワネット様は、今日・・」
  女C 「そう、デュ・バリー夫人にお声をおかけになるかも」
  女A 「ではベルサイユ宮殿始まって以来の劇的シーンがこの目で」
  デュ・バリーM 『ふん、あたしは何の地位もない下町の平民に生まれ、苦労してとうとう伯爵夫人の称号も手に入れた。国王の寵愛も権力も宝石やお城も望むものは何もかも手に入れたわ、ふふふ・・・あとはただひとつ、王太子妃に言葉をかけさせて、あたしの力があの小娘よりも上だということを今日こそは認めさせなくては、ふふふふ』
  N 一度はデュ・バリーに言葉をかける決心をするアントワネットだが、突然その決心をひるがえした。
  マリー 「いけない。たとえ国王陛下のご命令でも、あの女に言葉をかければ、売春婦や妾が堂々とこの宮廷に出入りするのを、わたくしが認めたことになる。そんなこと、絶対に許されないわ。もうこれはおば様たちに言われた事だからではなくわたくし自身の問題だわ。そう、わたくし自身のフランス王太子妃としての誇りの問題なのだわ」
  N 貴族達が固唾を飲んで、見守るなか、デュ・バリー夫人はとうとうアントワネットの前に立った。アントワネットが言葉をかけることを微塵も疑わずに、彼女はお辞儀をした。しかし、アントワネットはデュ・バリーに一言も口をきかなかった。
  女A 「まあ、なんということ」
  女B 「デュ・バリー夫人の怖い顔」
220 女C 「国王陛下がなんとおっしゃるか」
  女A 「恐ろしいこと」
  デュ・バリー 『どうしたって言うの。まさか、この娘は本国の総理大臣の訓令を、まさか・・踏みにじる気では』
  N アントワネットが自分に声をかけるつもりがないことを悟った、デュ・バリー夫人は、手にした扇を真っ二つにすると床に叩きつけて広間を去った。メルシー伯は頭を抱えた。アントワネットは毅然とした表情で、その顔には何の迷いも後悔もなかった。

デュ・バリーは自室へと戻ると、寝台の敷布を引き裂いた。
  デュ・バリー 「あの小娘!」
  N そのデュ・バリーを訪ねてきた者がいる。オルレアン公だった。
  オルレアン 「デュ・バリー夫人、そうかっかしなさんな。この度、アフリカの黄金海岸で素晴らしいワインを手に入れましてな。デュ・バリー夫人に一本、差し上げたいと」
  デュ・バリー 「なによ。ただの葡萄酒じゃないの」
  オルレアン 「ふふふ、そう、ただの葡萄酒。香りは芳醇、味も逸品。だが、一口でも口に含んだら、あっと言う間にあの世行き」

「しかも、あとにはどんな証拠も残らないという、極上のワインでしてな。デュ・バリー夫人ならさぞや使い道もいろいろとあろうかと。ふふふふ」

  N ジャルジェ夫人の居室をノックする者がある。

小間使いが扉を開けると言った。
230 N  《せりふ:小間使い》
「ジャルジェ夫人、王太子妃殿下が、ぶどう酒をデュ・バリー夫人の私室まで運んでくださるようにとのご命令です」

「早くしてください。陛下の内密のご命令でお二人で話し合われているのです」

  N 有無を言わさぬ口調でそう言うと、小間使いは部屋を退出した。

何かがおかしい。そう思いながらも、ジャルジェ夫人はデュ・バリーの部屋へとワインを運んだ。

獲物はくもの巣にかかった。もう少しだ。デュ・バリー夫人はにこやかにジャルジェ夫人を迎えた。

  デュ・バリー 「まあ、ジャルジェ夫人、わざわざすみませんねえ」
  N ジャルジェ夫人はアントワネットの姿を探した。アントワネットはどこにもいない。
  デュ・バリー 「あら、残念ですわねえ。アントワネット様はたった今、ご退出なさいましたのよ」
  N アンドレがオスカルの居室へ飛び込んできた。
  アンドレ 「オスカル」
  オスカル 「アンドレか、どうした、そんなにあわてて」
  アンドレ 「いま奥様がデュ・バリー夫人のお部屋へ行かれたが、オスカル、おまえ知っているか?」
  オスカル 「なに?母上が?」
240 アンドレ 「今アントワネット様の言いつけということで、ぶどう酒を持っていかれた」
  オスカル 「しまった!」
  N オスカルは剣を手に部屋を飛び出した。

デュ・バリー夫人の居室。
  デュ・バリー 「せっかくですから、ぶどう酒はいただきましょう。あなたもこちらへ来ていっぱいいただきなさい」

「ジャルジェ夫人がわたくしのために、持ってきてくれたぶどう酒ですからね。」

  N 勧められてワインを口にした小間使いが絶命した。
  デュ・バリー 「どうしました、しっかりなさい」

「毒だわ、ぶどう酒に毒が入っていたんだわ」

  N ジャルジェ夫人はデュ・バリーの罠であることを悟り愕然とした。

デュ・バリー夫人はジャルジェ夫人いにつめよる。

  デュ・バリー 「ジャルジェ夫人、よくもわたくしのぶどう酒に毒を。王太子妃の差し金?それともおまえ一人が企てたこと?」
  N そこへ駆け込むオスカル。割れたワイングラスと床に倒れた小間使いの死体からすべてをさとった。
  オスカル 「恐ろしいお方だ。召使の命さえまるで道具のように」
250 デュ・バリー 「ぶ、無礼な、なんのこと?」
  N デュ・バリー夫人はしらばっくれるが、その語尾は震えていた。オスカルは証拠のグラスをデュ・バリー夫人につきつけた。
  オスカル 「毒の入ったワインをわざわざ母上に運ばせ、デュ・バリー夫人毒殺未遂の罪をきせようとは、卑怯な!」
  デュ・バリー 「な、何を言う!」
  オスカル 「こんな見え透いた芝居が見破られないとでもお思いか、デュ・バリー夫人」
  N そう言うとワイングラスを窓へ叩きつける。割れたガラスから吹き込んだ風がオスカルの金髪を巻き上げる。オスカルはすらりと剣を抜くと言った。
  オスカル 「どのような女であれ、恐れ多くも国王陛下が愛されたお方。今宵のことは決して口外せぬゆえ、安心されるがよい。だが覚えておかれい」

「このオスカルがそばにある限り二度とアントワネット様と母上を陥れるようなことはさせない」

  N その迫力に気圧されるデュ・バリー夫人。一言も言い返すことができずに、床にくずれ落ちた。

オスカルは母親を伴い部屋を後にした。デュ・バリー夫人の完全なる敗北だった。

ベルサイユ宮殿の中ばかりでなくフランス全土はもとよりヨーロッパ中の注目を集めていたアントワネットとデュ・バリー夫人の対立は今や頂点に達しようとしていた。当時のフランス宮廷では身分の低いものから高いものへ言葉をかけてはならないというしきたりがあり、デュ・バリーは卑しい娼婦あがりであるが故に、アントワネットは未だにデュ・バリーに言葉をかけていないのだった。

  デュ・バリー 「国王さえ言いなりに動かせる私にどこまでもたてつく気ならどうなるか思い知らせてやるわ」
  マリー 「たとえ国王陛下のご命令でも売春婦や妾なんかに一言だって、話しかけてやるものですか。私は正統なフランス王太子妃なのだから」
260 N デュ・バリー夫人は家具や調度に当たり散らす。騒ぎを聞きつけて国王がやってきた。
  国王 「なにごとだ、騒々しい」
  デュ・バリー 「もう、我慢ができません、陛下!」
  国王 「泣いてばかりおったのではわからんではないか」
  N 国王は長いすに突っ伏して泣きじゃくるデュ・バリー夫人の傍らに歩み寄り優しく話しかけた。
  国王 「さ、なにがあったのだ」
  デュ・バリー 「陛下、あの小娘に味方する者は一人残らず宮廷から追放してください。ええ、一人残らず」
  国王 「なにをまた、突然に・・」
  デュ・バリー 「陛下は何もご存知ないから、そんなに落ち着いていられるのです。あの小娘が本国オーストリアからの命令を無視して、いいえ、陛下のご命令をそれもいとも簡単に無視したのでございますよ、陛下」
  国王 「何と言うことだ。だれ一人今までわしの命令に逆らったこととてなく、そればかりかみなひとかけらでもわしの好意を得んがために一所懸命だというのに。あのちっぽけな孫の嫁がこのフランス国王ルイ15世の命令を公然と無視しただと?」
270 デュ・バリー 「そうですわ、あの赤毛のちびが、陛下のご命令を大勢の貴族の目の前で公然と無視したのですわ」
  国王 「ううむ・・外務大臣だ、外務大臣を呼べ!」
  N してやったりとほくそ笑むデュ・バリー。国王と入れ替わりにオルレアン公がやってきた。
  オルレアン 「ふふふふ・・」
  デュ・バリー 「あなたでしたの」
  オルレアン 「なかなか見事な大芝居でしたな」
  N オルレアン公は先ほどまでデュ・バリー夫人が泣いていた長いすに気安く腰をおろした。
  デュ・バリー 「なんの御用?オルレアン公?」
  オルレアン 「この勝負、このままいけばどうやらアントワネットの勝ち」
  デュ・バリー 「なんですって?」
280 オルレアン 「そうではござらぬか?国王陛下はもはやかなりのお歳。陛下にもし万一のことがあれば王位を継ぐのは、あのうすのろの錠前屋。王太子が国王となればあのオーストリア生まれの小娘が女王様。新しい国王はあの小娘の言いなり、となれば、あんたはすぐさまバスティーユの牢獄送りか、悪くすれば、ふふふ・・・死刑」
  デュ・バリー 「死刑!」
  N デュ・バリーは震え上がった。その様子を見てオルレアン公は可笑しそうに笑った。
  デュ・バリー 「それならどうすればいいのよ。オルレアン公」
  オルレアン 「王太子さえいなくなればアントワネットもオーストリアへ返される」
  デュ・バリー 「王太子がいなくなれば、あなたが・・」
  N デュ・バリー夫人は時期王位を狙うオルレアン公の野心に思い至った。
  オルレアン 「どうだね、デュ・バリー夫人。私と手を組めばそなたの地位と栄誉は末永く安泰」

「明日王太子は恒例の狐狩りに来る。その折ご自分の鉄砲が暴発してお亡くなりになっても、誰も疑うものはないはずだ」

  デュ・バリー 「恐ろしい方」
  オルレアン 「よいですな。王太子亡き後、次の王位継承者は私にとあなたが国王に進言する。さすれば明日からにでもこのフランスは私とあなたと、二人で手を組んで支配していける」

「今日の密約、くれぐれもお忘れなきよう」
290 N オルレアン候の居城パレ・ロワイヤルの地下では、
鉄砲職人が猟銃に細工をしている。オルレアン公が地下室へと配下を従えてやってきた。
  オルレアン 「どうだ、できたのか?」
  N 《せりふ:鉄砲職人》
「は、このとおり」
  N 鉄砲職人が差し出した猟銃には百合の紋章が施されている。
  N 《せりふ:鉄砲職人》
「この鉄砲の引き金を引いた者は弾に込めました火薬が爆発して、必ずや」
  オルレアン 「よくやった。そちには褒美をとらせねばなるまいな」
  N 《せりふ:鉄砲職人》
「ありがとうございます」
  N オルレアン公が配下の男に指示すると、男は口封じに鉄砲職人を殺した。悶絶する様を確認すると、オルレアン公は次の命令を下した。
  オルレアン 「その鉄砲を王太子の鉄砲と取り替えてくるのだ。ぬかるではないぞ」
  N 配下の男は武器庫に置かれた王太子の猟銃を細工したそれとすり替えた。

一方メルシー伯は国王直々にアントワネットの態度を改めさせるようにと命じられていた。

300 国王 「メルシー伯、今日お呼びしたのは他でもない、王太子妃のことじゃが・・」

「姫にじゃな、そなたの方からこれまでデュ・バリー夫人にとっていた態度を改めぬとどういうことになるかわからせてやってくれぬか」
  デュ・バリー 「ねえ、メルシー伯、これ以上陛下のお気持ちを損ねますと、ほほほ、わたくしもアントワネット様のことをお庇いできませんわ」

「わたくしは妃殿下が世間のつまらない噂を間に受けて、わたくしに理由のない反感をお持ちのためだからと、今も一所懸命陛下に取り成しておりましたところよ」

  N 国王はその通りだと頷いた。

とても信じられない話だが、メルシー伯はそのように言うしかなかった。王の前を辞して、部屋を出たメルシー伯は回廊に立ち尽くして、ため息を漏らした。

翌日ベルサイユの森できつね狩りが催された。ルイ王太子の傍らにはオスカルとアンドレ、その後ろにはオルレアン公がいる。
勢子に追われて狐が逃げてくる。
  オスカル 「殿下、近づきました」
  N 銃を構えて狙いを付けるルイとオスカル。にやりと笑うオルレアン公。ルイはなかなか照準を合わせることができない。オスカルの銃が火をふいて狐をしとめた。
  オルレアン 「ちくしょうめ」
  N オルレアン公は歯軋りをした。オルレアン公はオスカルの傍らに馬を寄せた。
  オルレアン 「オスカル、そちが先に獲物を撃ってしまうから王太子殿下がお撃ちできんのだ。つつしんだがよかろう」
  N そう告げてオルレアン候はその場を離れた。

再び獲物が姿をみせる。王太子は狐を探した。
その様子を窺っているオルレアン公が焦れた。
  オルレアン 「馬鹿め、早く引きがねを引くんだ」
310 N ルイは狙いを付けるが狐に驚いた馬が立ち上がりルイは落馬した。投げ出された銃が少し離れた場所で爆発する。オスカルはルイにかけよった。
  オスカル 「殿下、お怪我はございませんか?」
  N 命を狙われていたとは知らない王太子はアントワネットに内緒にするようオスカルに約束させた。

事の一部始終を見ていたオルレアン公は悔しがった。
  オルレアン 「ううう、悪運強い王太子め、いつか、いつかしとめてくれるぞ」
  N アントワネットはメルシー伯とオスカルに説得されている。
  マリー 「いやです、いやです。いやです!」

「そんなに話したければあなたがデュ・バリー夫人と話せばいいでしょう。私は絶対にいや」
  N 断固として拒否するアントワネットにふたりは顔を見合わせた。

その代わり、アントワネットの母マリア・テレジアが生涯をかけて成立させたフランス・オーストリア同盟をアントワネットのわがままでぶち壊してもいいのかとメルシー伯がおどかした。
  マリー 「オーストリアのお母様が?」

「オスカル、あなたはどう思います」
  オスカル 「メルシー伯爵のおっしゃるとおりです。さしでがましいようですが言わせていただきます。妃殿下は伯母君様方にそそのかされ、つまらぬ女同士の意地をはり、その結果ヨーロッパ中を戦争に巻き込もうとなさっているのです。もしそうなれば何千、何万という人々が死ぬのです」
  マリー 「つまらない意地の張り合い・・ですって?」
320 オスカル 「はい、そうです」
  マリー 「そのためにヨーロッパ中が戦争?」
  オスカル 「私にはとても未来のフランスの女王様のなさることとは思えません」
  N アントワネットはデュ・バリーに言葉をかけることを決意した。
  マリー 「メルシー伯爵、約束します。あの女に一度だけ、一度だけなら言葉をかけましょう。でも、これはわたくしの意思ではありません。ただただオーストリアのお母様のため、お母様のためです。メルシー伯爵、いいですわね」
  N 1771年7月初旬、召使部屋から馬小屋の隅々に至るまで、パリは興奮と期待とざわめきでむせ返っていた。

ベルサイユではアントワネットの近い将来における敗北を宮廷中が噂していた。
  女A 「今夜のパーティーの時ですってよ」
  女B 「アントワネット様はデュ・バリー夫人にとうとう屈服されるのね」
  女C 「悔しいわ、本当に悔しいわ」
  N 庭園を歩くオスカルの耳に、聞きたくもないのに、人々の噂する声が入ってくる。
330 アンドレ 「残念だったなあ、オスカル。さすがのアントワネット様も国王の力にはかなわなかったか」
  オスカル 「アンドレ!」
  N 屈託のないアンドレの言葉をさえぎると、驚くアンドレをその場へ残し、オスカルは宮殿の扉を開けた。アントワネットとメルシー伯が今夜の打ち合わせをしていた。

その様子を目にしたオスカルはアントワネットの胸の内を案じた。

その晩の夜会、用意された台本の通りに舞台は進められた。

  女A 「今ごろはきっと、カルタ遊びの最中ね」
  女B 「それが終わるころ、ちょうど八時半、メルシー伯がいよいよデュ・バリー夫人の傍に近づき話し始める」
  女C 「そこへ偶然という風にして現れるんですって」
  N オスカルを従えてアントワネットが広間に登場する。アントワネットは居並ぶ貴婦人に次々と声をかけていった。
  マリー 「こんばんは、モーロワ伯夫人。今夜はずいぶんと賑やかなパーティーになりましたこと」

「ローザン候夫人、どうぞゆっくりしていってくださいね」

  N アントワネットはメルシー伯とデュ・バリー夫人に向かってゆっくりと近づいていく。広間中の全ての人がその瞬間を見守っていた。
  マリー 「こんばんは、メルシー伯爵」
340 N  アントワネットはいよいよ、デュ・バリー夫人を見据えた。その時だった
  女A 「王太子妃殿下!」
  女B 「叔母君のアデレイド様だわ」
  N しかし、三人娘その一、アデレイドが、デュ・バリーに言葉をかける寸前、アントワネットを引きとめた。
  女A 「さあ、もう退出のお時間ですよ」
  N アデレイドは両手でアントワネットの腕をしっかりと掴んだ。
  マリー 「困ります、まだ・・」
  女A 「お部屋で陛下をお待ちしなくては」
  マリー 「陛下を?」
  女A 「そうです。お早く!」
350 N アントワネットはアデレイドに引きずられるようにして広間を退出していった。

オスカルはそっと目を伏せた。
  女B 「あの叔母君たち、何かするとは思っていましたけど」
  女C 「やっぱりねえ」
  女B 「ふふふ・・」
  女C 「ほほほ・・」
  N 一部始終を見守っていた貴族たちは面白そうに笑った。
  マリー 「メルシー伯、今日のことはまったくの手違いだと、あなたからも国王陛下にとりなしてちょうだい」
  N アントワネットは長いすに座り込むと顔を覆った。もう一度最初からやり直さなくてはならないのだ。

あけて1772年1月1日、新年のご挨拶のためにフランス中の貴族たちがベルサイユ宮殿に伺候した。

  N 《せりふ:執事》
「ロベール公爵様夫人」「ド・ゲメネ侯爵様夫人」
「ランバール侯爵様夫人」
  マリー 「新年おめでとう」
360 N 《せりふ:執事》
「デュ・バリー伯爵様夫人」
  N アントワネットの前に進み出るデュ・バリー。オスカル、三人娘、他の大勢の貴族達が見守る中アントワネットはついにデュ・バリーに言葉をかけた。
  マリー 「おめでとう、今日はベルサイユはたいへんな人出ですこと」
デュ・バリー 「ホホホホ・・オ〜〜ホホホホホ・・・・」
  N ついに勝った!デュ・バリー夫人は勝ち誇って笑った。いたたまれずにその場から逃げ出したアントワネットをオスカルが追った。
  オスカル 「アントワネット様!」
  マリー 「ああ、わたくしは負けた」
  N 床に泣き伏すアントワネットをオスカルがそっと抱き起こす。アントワネットは涙で濡れた瞳でオスカルを見上げた。
  マリー 「オスカル、一度だけ私はあの女に言葉をかけました。でも、もうこれっきりで終わりです。もう、あの女には絶対に一言だって話しかけません。フランス宮廷は堕落しました。王位継承者の妃が娼婦に敗北したのです」
  N アントワネットが見せた「信念」へのこだわりに、オスカルは感動した。
  オスカルM 『何という誇り高いお方だろう。このお方は生まれながらの女王。そのお心はすでにフランスの女王なのだ』
  オスカル 「アントワネット様、オスカルはこの剣にかけて、生涯妃殿下にお仕え申し上げます」
372 ED挿入歌 愛の光と影

ベルサイユのばら マリーとデュ・バリー編 

劇  終

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