ベルサイユのばら

ジャンヌ編

22話 首飾りは不吉な輝き
23話 ずる賢くてたくましく!
24話 アデュウ、わたしの青春

オスカル アンドレ
マリー・アントワネット フェルゼン
001 OP挿入曲 薔薇は美しく散る
 

《せりふ・ベメール》
「私はパリの宝石商ベメールと申すものでございます。マリー・アントワネット様、どうしてもおすがりいたしたいことがありましてお目通りをお許しいただきました。」

「ここにお持ちいたしました品物は前国王ルイ15世陛下がデュ・バリー夫人に贈るためにご注文なさったものでございます。ところが前陛下はあのように急にお亡くなりになり、この品物は引きとりてがなくなってしまったのでございます。あまりにもお値段が高すぎましてどこの国の王室でも欲しくても手が出ないのでございます。今をときめくフランス王后陛下マリー・アントワネット様この品物をお買い上げいただけますのは王妃様を除いて他にはございません。」

宝石商が箱からとりだした宝石の輝きに魅せられてアントワネットは尋ねた。

  マリー 「おいくら・・ですの・・?」
  《せりふ・ベメール》
「160万リーブルでございます。」

160万リーブル。それは今の価値でざっと192億円である。この法外な値段にアントワネットはやんわり買う意志のないことを宝石商に伝えた。しかしこの首飾りはのちにアントワネットを想いもよらぬ事件へと突き落とすことになるのである。

《せりふ・侍従》
「国王陛下、王后陛下のお出ましでございます。」

ルイ16世にアントワネットは芝居っけたっぷりに懐妊の報告をした。

《せりふ・侍従》
「ご懐妊でございます!王妃様がお身ごもりになりました!」

ベルサイユ宮殿に花火があがる。オスカルとアンドレは馬上で夜空に輝く光を眺めた。

  オスカル 「男の子だよ、アンドレ。遂にお世継ぎがお生まれになったのだ。」
  フェルゼンとの恋愛事件そして別れ。王妃マリー・アントワネットが第一王女に続き第一王子ジョゼフを生んだのは1781年のことであった。

オスカルは心の底から嬉しそうだ。

  オスカル 「これで王妃様はもう名実ともにフランス王国の母となられたのだ。アンドレ、祝いだ、飲もう。どこでもよい。楽しく飲めるところへ連れて行け。」
  アンドレ 「大佐殿。お任せあれ。」
  アンドレがおどけて敬礼をした。

パリの町は浮かれていた。誰もが王妃アントワネットのために祝ってくれている。オスカルはそう思いそう感じ心の底からの喜びを噛み締めた。オスカルはこの時まだ気がついていなかったのだ。浮かれてはいるがそれはほんの一瞬でしかないことを。市民たちの本当の気持ちを。そしてその素顔を。

すやすやと眠る我が子にアントワネットは愛しそうに頬をよせる。

010 マリー 「ジョゼフが目を覚ましたらすぐに呼ぶのですよ。」
  《せりふ・侍従》
「かしこまりました。」
  マリー 「さあ、マリー・テレーズ、今度はあなたの番。今日は南の花壇へ行ってみましょう。」
  謁見の間には今日も貴族たちが大勢つめかけている。

《せりふ・貴族》
「王后陛下はまだでございましょうか?」

庭で王女と遊ぶアントワネットに侍従が告げた。

《せりふ・侍従》
「申し訳ございません。ご謁見の時間がまいりましてございます。なにとぞ謁見の間のほうへ・・」

アントワネットは次々と謁見を願い出る貴族たちの陳情に身がはいらなかった。

  マリー 「宮殿を出て離宮へ移りたい・・」

「ここにおりましては、公務に追われ子供たちと遊ぶ時間がございません。」

  《せいふ・貴族》
「弱りましたな・・貴族との謁見の公務はあなたしかできないのに・・」
  マリー 「お願いです、陛下。」
  困惑しつつも、結局国王は妻の懇願をうけいれた。

マリー・アントワネットはベルサイユ宮殿から小離宮に移った。宮殿のわずらわしい任務としきたりを嫌ったのだ。

トリアノン小離宮。それは広大なベルサイユ庭園の一角に作られた小さな落ち着いた館である。王妃が子供たちと気ままに過ごすには最適な環境であった。しかも出入りを許される者はごく親しい人々に限られた。つまり王妃マリー・アントワネットへの公式の謁見は事実上取り止めになったのである。

夕日を浴びての帰り道、アンドレは言う。

  アンドレ 「最近貴族諸侯の中に王妃様を悪く言う者が増えてきた。はるばる地方から十日も二十日もかけて謁見に来てもトリアノンには出入り禁止。王后陛下は今まで我々貴族が王室に対しつくしてきた礼をお忘れかと、大声でわめき散らす者もいる。」
  オスカル 「やめてくれアンドレ、聞きたくない、そんな話は。」
020 ピアノを弾きながらオスカルは先程のアンドレの言葉を思い出している。ひときわ大きく鍵盤を鳴らして演奏を止めると、彼女は窓辺へ佇んだ。
  オスカル 「お子達と無邪気に遊ばれるお姿を見たか。久しくお目にかかったことのない明るい笑顔をなさっている。それだけでも喜ばしいことではないか。」
  窓の外には雨が降り始める。

オーストリアも雨だった。シェーンブルン宮殿ではマリア・テレジアが娘の行状を案じていた。テレジアはいかにも体の具合が悪く辛そうである。

玉座に座ろうとしたテレジアは椅子の肘掛けにすがり、胸を押さえてうめいた。駆け寄る息子の手を押し返すと、彼女は玉座に腰をおろす。

偉大なる母オーストリア女帝マリア・テレジアは、我が子アントワネットの行く末を案じつつ63歳でその生涯を閉じた。

ベルサイユ宮殿。訃報を聞いたアントワネットが手紙を書いている。

《せりふ・侍従》
「どうぞオーストリアの兄君、ヨーゼフ皇帝にお悔やみのお手紙を・・」

アントワネットの頬を涙が止めどもなく流れる。

  マリー 「メルシー伯爵おかしいですね、書いている文字がはっきりと見えないのですよ・・メルシー・・シェーンブルン宮殿から見えた川・・何といいましたっけ・・思い出せないの・・ああ・・お母様・・」
  窓の外には小さな蝶が何匹も舞っている。

《せりふ・ベメール》
「もう四年前になりますか、王后陛下この首飾りをお見せしたのは。その後もヨーロッパはおろかロシアまでも足を伸ばしましたが買い手がつきません。このベメールも宝石商の意地がございます。どうあっても、フランス王妃マリー・アントワネット様にお買い上げいただきたい。」

《せりふ・ベメール》
「気品といいその美しさといいこの首飾りがぴったりお似合いなのはあの方をおいてはございません。と申しましても現在は離宮にひきこもられ、私どもにはもう口をきくことすらできません。そこであなたさまは王妃様とたいへん親しくしていらっしゃると聞き及びましてお力添えをいただきたく参上したわけでございます。いかがでございましょう。ぜひ王妃様にお口添えを。」

宝石の輝きに魅入られたようにジャンヌの黒い瞳が濡れて光った。

  挿入曲 蠢く陰謀
ジャンヌ 「わかりましたわ、ベメールさん。私が何とかしてみましょう。」
 

自信たっぷりに請け負うジャンヌにベメールは何度も頭をさげる。

酒瓶をラッパ飲みしているジャンヌに、ベメールとのやりとりを立ち聞きしていたニコラスが言った。
  ニコラス

「ジャンヌよう、おめえ、また何を考えてんだい。トリアノンはおろか王妃様と口をきいたこともねえのによ。
  ジャンヌ 「んふふ・・飲みなさいよあんたも、160万リーブルに乾杯。」
030 ローアン

「どうしたね、ジャンヌ。こんなところにこっそり呼び出したりして。」
 

アントワネットと密会したと信じているローアンは笑顔でジャンヌの呼び出しに応じた。王妃が国王に内緒で首飾りを購入するための保証人になることを望んでいるとジャンヌから聞かされたローアンは分割払いの保証人となることを快諾した。

レトーが作成した偽の契約書をベメールはジャンヌとローアンの前で読み上げる。

《せりふ・ベメール》
「価格160万リーブル、これを六ヶ月ごとに40万リーブルづつ二カ年で支払う。マリー・アントワネット・ド・フランス。たしかに。ではローアン様、恐れ入りますが。」

  ローアン 「はいはい、保証人、ルイ・ド・ローアンと。これでよろしいかな。」
  《せりふ・ベメール》
「はいはい、結構でごさいます。」
  ローアン 「ふー契約成立じゃ。」
  《せりふ・ベメール》
「ではジャンヌ様。首飾りを間違いなく王妃様に。」
  ジャンヌ 「たしかに、間違いなく。」
  《せりふ・ベメール》
「では一回目のお支払い、よろしくと王妃様に。」
  ジャンヌ 「心得ております。」
  ベメールが去るとジャンヌはローアンに言った。
040 ジャンヌ 「ローアン様、あたくしこれからすぐトリアノンの方へ。」
  ローアン 「ああ・・そうか・・じゃあ今夜にでもわしの屋敷へ報告に来てくれ。王妃様のお喜びの姿をな。」
  ローアンは何の疑いも抱かずに上機嫌で去った。首飾りを手中にいれたジャンヌは勝ち誇って笑う。
  ジャンヌ 「さあニコラス、すぐにイギリスへわたってダイヤを売りさばくのよ。足がつかないようにバラバラにね。レトー、おまえはスイスにお逃げ。あんたの偽のサインがばれたら死刑だからね。」

「あたしはしばらくパリに残るよ。あたしまでいなくなったらいっぺんに疑われるから。」

  時代はゆっくりではあるが明らかにその流れを変え始めた。民衆だけでなく貴族の中にさえ王室に反感を抱く者が出始めていた。
  アンドレ 「イギリスがとうとうアメリカの独立を認めたそうだ。パリの町には遠征軍が続々と還って来始めている。一応知らせておこうと思って。」
  N  オスカルはアンドレの言葉に反応を示さなかった。無心にピアノを弾く彼女の脳裏に最後に見たフェルゼンの姿がよみがえっていた。
  アンドレ 「じゃあ、お休み、オスカル。」
  オスカル

「アンドレ。」

「明日トリアノンへ行って王妃様にご進言してみる。今までの半分でよいからご謁見を再開なさってくれるようにと。このままでは貴族たちとの溝が深まるばかりだ。」

  アンドレ 「おやすみ。」
050 アンドレは頷くと扉を閉めて退出した。

トリアノン離宮。ベルサイユ宮殿に比べるとはるかにこじんまりとした部屋で、アントワネットはオスカルを迎えた。
  マリー 「まあオスカル本当によく訪ねてくれました。どうしてもっとたびたび来てくださらないの。あなたになら毎日でもお会いしたいのに。」
  オスカル 「はい、ありがとうございます。」
  マリー 「本当よ、オスカル。」
  王妃の膝にまとわりついていたマリー・テレーズがアントワネットに抱きついて甘える。娘とたわむれるアントワネットを見つめるオスカルの瞳はこのうえもなく優しかった。
  マリー 「ああ・・そう、オスカル、何かお話が?」
  オスカル  「いいえご無沙汰をしておりましたのでご機嫌伺いにまいっただけでございます。」
  マリー 「それならばゆっくりしてらして。このトリアノンでは格式ばったことはいっさいなし。のんびり羽をお伸ばしなさいな。」
  オスカル 「はい、ありがとうございます。王妃様。」
  人造湖に船を浮かべて、アントワネットはオスカルにしか話すことのできない人の思い出を懐かしんだ。
060 マリー 「オスカル、遠征軍が戻り初めているようですね。お戻りになったらまたお顔を見せてくださるでしょうか。お別れしてからもう四年、時の流れがそうさせてくれたのでしょうか、とても静かにあの方のことを思うことができます。」
  夕刻、ベルサイユからの帰り道、馬の背でオスカルはアンドレに言った。
  マリー 「母になられて王妃様はますますお美しくなられた。そしてきっと、今までで一番お幸せな時間をお過ごしになっている。ご進言はもう少し待とう。」
  トリアノン離宮。

《せりふ・侍従》
「王后陛下、宝石商のベメールから手紙がまいっておりますが。」

  マリー 「宝石商のベメール?」
  アントワネットは小間使いが差し出した手紙を読み上げた。
  マリー  「承りました契約につきまして何とぞ第一回目のお支払いを・・第一回目の支払い?契約?何のことかしら、いったい・・馬鹿げてるわ。」
  《せりふ・侍従》
「きっとあの宝石商、首飾りが売れずに頭がおかしくなったんですね。」
  マリー 「そうね、かわいそうに・・」
  《せりふ・侍従》
「あの・・これ・・どういたしましょうか?」
070 マリー 「わざわざ取っておくことはないわ。」
  手紙は炎の中で灰になっていった。

やがて・・世に言う首飾り事件が始まろうとしていることを今まだ、アントワネットは知る由もなかった。

《せりふ・ベメール》
「申し上げます。私は宝石商ベメールと申す者です。王后陛下はいつになったらお支払いをしてくださるのでしょうか。私からお買いあげになった首飾りの代金でごさいます。もう待てません。すぐにお支払いいただきたい。私はもう破産寸前でございます160万リーブルの首飾りの代金をお支払いくださいませ。王妃マリー・アントワネット様。」

近衛兵はトリアノン離宮のアントワネットの下へと馬を走らせる。

《せりふ・近衛兵》
「王后陛下、すぐベルサイユ宮へとの、国王陛下のお言葉です。」

カジノで賭博に興じるローアンにも、近衛兵がやってくる。

《せりふ・近衛兵》
「ローアン大司教殿、ベルサイユ宮への出頭命令でございます。」

1785年8月15日、これがフランス犯罪史上あまりにも名高い首飾り事件の幕開きだった。

ベルサイユ宮殿。国王夫妻の前でローアン大司教が申し開きをしている。部屋には大勢の貴族だちが事の成り行きを見守っている。オスカルもその場に控えていた。美しい眉を逆立てて、怒りに身を震わせながらアントワネットはローアンを糾弾する。

  マリー 「ローアン大司教、この私がジャンヌ・バロアとか申す婦人にたのみ、おまえを保証人に立て、あの首飾りを買ったと申すのですか?」
  ローアン 「恐れながらその通りでございます。」
  マリー 「おだまり、おだまりなさい、ローアン」
  ローアンはアントワネットの勢いに平伏したままずりずりと後ろへ下がった。
  マリー  「その上あろうことかおまえと私が深夜ビーナスの茂みで逢い引きをしたというのですか。」
  ローアン 「うぐぐ・・」
  マリー 「何を証拠にそのようなでまかせを申すのです。」
  ローアンは便せんと封筒を床においた。
080 マリー 「何ですか、それは?」
  ローアン 「お、恐れながら王妃様よりいただいたラブレターとサインいりの売買契約書でございます。」
 

思いもやらない証拠の出現に、見守る貴族たちの間にさざ波が拡がった。侍従が書類を拾い上げて国王に手渡す。ローアンがさしだした書類を国王夫妻が読んだ。

《せりふ・ルイ16世》
「大司教、このサインは王妃の筆跡とはちがう。それに、王妃がマリー・アントワネット・ド・フランスなどというサインをしないことは、誰もが知っているはずだよ。」

  ローアン 「げ?では、偽物だと?」
  《せりふ・ルイ16世》
「そうですね、偽物です。」

ローアン大司教は息もとまるほど驚いた。

ローアン 「国王陛下、王后陛下、おねがいでございます。首飾りの代金160万リーブルはこのローアンが何としてでも払います。ですから、ど、どうかお許しを。私はジャンヌ・バロア、ニコラス夫婦にだまされていたのでございます。お許し下さい。」
  N  ローアンの必死な様子に同情した国王は、アントワネットをとりなすが、彼女は聞く耳をもたなかった。

《せりふ・ルイ16世》
「どうだね、王妃、大司教もだまされていただけのようだし、許してあげたら。」

  マリー 「いいえ、きっとこの男がそのニコラスやジャンヌとしくんだ私への罠にちがいありません。」
  《せりふ・ルイ16世》
「しかし、こうして謝っているのだから。」
  マリー 「いいえ、母マリア・テレジアとこの私に声もかけてもらえぬほど嫌われたその恨みをはらそうと・・」

「いいえ、いいえ、許せません、私への侮辱罪です裁判にかけて何もかもはっきりさせます。」

090

ローアン大司教は逮捕された。

パリ。ジャンヌは偽王妃として利用した盲目の娼婦の宿を訪ねた。扉を開けると椅子に腰掛けたニコルがいつもの決まり文句を繰り返す。

マントの陰からジャンヌは短剣をとりだすと、ニコルの頭上に振り上げる。目の見えない彼女はジャンヌに両手を差し出す。ジャンヌの額に汗がにじむ。ニコルの光を感じることのできない青い大きな瞳・・あまりにも哀れで、ジャンヌは振り上げた短剣を下ろした。
  ジャンヌ 「あたしだよ、ニコル・・お客じゃないよ。」
  ニコルはジャンヌの頭巾を下ろすと確かめるように彼女の体に触れた。
  ジャンヌ 「そのことでね、あたしのまわりが少し危なくなってきたんだよ。つまりあんたも偽王妃をやったことがばれたらただではすまないってことさ。」
  ジャンヌがニコルの手に金袋を乗せて言った。
  ジャンヌ 「これを持ってしばらくパリを出ておくれ。ざっと100リーブルはあるから。いいね、できるだけ早くだよ。」
  N  建物の入り口を潜ると、近衛兵が銃を構えて待っていた。彼女はつけられていたのである。

《せりふ・近衛兵》
「ジャンヌ・バロア・ド・ラモット、文書偽造、窃盗および詐欺の容疑で逮捕する。」

公文書偽造、窃盗、詐欺そして王室侮辱罪の容疑により、ニコラスを除く首飾り事件の関係者全員が捕らえられ裁判を受けることになった。

ジャルジェ邸。オスカルの部屋でロザリーがピアノの前に座って、鍵盤を指で叩いている。そこへオスカルが帰ってきた。

  オスカル 「どうした、ロザリー、わたしの部屋で。」
  ロザリー 「あの・・お聞きしたいことがあって、お帰りをお待ちしておりました。」
  オスカル 「ん?何のようだ?」
100 ロザリー 「王室侮辱罪というのはうんと思い罪なんでしょうか、終身刑とか、死刑とか。ジャンヌ・・ジャンヌ・バロアというのは私とパリの下町で一緒に育った姉さんなんです。」
オスカルは瞳を見開いてロザリーをふりかえる。ロザリーは恥じて目を伏せた。
  ロザリー 「隠しているつもりはありませんでしたが・・今まで、何となく言いそびれていました・・あんな姉ですから・・」
  オスカル 「そうだったのか・・だが裁判はこれからだ。まだロザリーの姉さんが犯人だと決まったわけではないんだよ。」
  ロザリー 「いいえ、違うんです。オスカル様に助けていただきたいなんて思っているんじゃないんです。姉ならやったのかもしれませんから。ですけど、あの・・あの・・もし、オスカル様が姉さんに会える機会があるのでしたら、この指輪を渡して欲しいんです。」
  ロザリーは指にはめていた指輪を抜くと両手で握りしめた。
  ロザリー  「母さんの・・あたしたちの母さんの形見です。あたしは今十分幸せです。ですからこれはジャンヌ姉さんに持っていてほしい。」
  オスカル 「引き受けた、必ず渡そう。」
  ロザリー 「ありがとうございます・・」
 

牢獄。守衛に案内されて、オスカルはジャンヌが収容されている房へとやってきた。それまで打ちのめされた様子だったジャンヌはオスカルの顔を見ると、いつもの虚勢をはった。オスカルは指輪をしめした。
110 オスカル 「ロザリーからだ、母上の形見の指輪だそうだ。」
  ジャンヌ 「知らないねえロザリーなんて。それにあたしは安物は身につけない主義なの、悪いけど・・」
  オスカル 「どうして安物だとわかる、見もしないで。」
  ジャンヌ 「ふん・・」
  オスカルは鉄格子の間から手を差し入れて、指輪を牢獄の床に置いた。
  オスカル 「必ず渡すとロザリーと約束したんだ。」
 

N 

オスカルが去ると、ジャンヌは残された指輪をじっと見つめた。

パリ高等法院。それは王室といえどもその内部に干渉できぬ存在であった。

傍聴席には傍聴人がつめかけている。その中にはオスカル、ロザリー、アンドレの姿がある。ざわめく廷内。裁判官が振り下ろす槌が高い音をたてた。

《せりふ・裁判官》
「静粛に、静粛に。もう一度聞こう、ジャンヌ・バロア・ド・ラモット。」

  ジャンヌ

 

「何度お答えしても同じですわ。首飾りを盗んだのはローアン様です。私ではありません。私はただ、命令されただけ。」
《せりふ・裁判官》
「どうあっても首飾りが今どこにあるのか知らないというのか?」
  ジャンヌ 「ローアン様がどこかへご処分なさったのではないのですか。」
120 ジャンヌに掴みかかろうとしたローアンは押さえつけられてしまった。
  ローアン 「ううう・・・ジャンヌ!悪党め!」
  《せりふ・裁判官》
「お静かにローアン様。ここをどこだと思っているのです。法廷ですよ。」

ローアンは恐ろしい形相で獣のような声をあげた。

《せりふ・裁判官》
「では何もかもがローアン大司教の命令であったとするならば、王妃の偽サインのはいった手紙はどうだ。君がパリの偽司法書士、レトー・ド・ビレットに書かせたものではないのか。レトーはそう、白状しておるぞ。」

ジャンヌはレトーを一瞥すると吐き捨てた。

  ジャンヌ 「まあ、こんな野暮ったい男、見たこともありませんわ。
  《せりふ・裁判官》
「どうでもしらをきりとおすか・・」

被告席のてすりに置かれたジャンヌの手をオスカルは傍らのロザリーに示した。

  オスカル 「ロザリー、見ろ、指輪だ・・姉さんはおまえが渡した指輪をちゃんとつけているぞ。」
  ロザリー  「姉さん・・」
  ジャンヌ 「少しでもいいから力を貸して、母さん。あたしこんな事くらいで負けたくないの。切り抜けてみたいのなんとか。だって、たとえ神だろうと、あたしを裁くなんて、許せない。」
  ジャンヌは形見の指輪に唇を押し当てた。

《せりふ・裁判官》
「では証人を呼びなさい。ニコル・ド・オリヴァ・・」

その名前を聞いたジャンヌは、思わず裁判長の顔を見上げた。ニコルが入廷すると、王妃とうり二つの彼女の容姿に、傍聴席がどよめいた。促されて、ジャンヌは被告席から降りる。ニコルを見つめるジャンヌの額に汗が浮き出てきた。ニコルはジャンヌの顔を両手で触った。

《せりふ・裁判官》
「ニコル・ド・オリヴァ、どうかね?そこにいる女が君をビーナスの茂みに連れていき、偽王妃を頼んだ女かね?」

ニコルは彼女がジャンヌである事を証言した。ジャンヌは反射的に指輪をはめた右手を振り上げる。あの時殺しておけば・・・けれど、ジャンヌはその手をおろし、自分の頬をなでるニコルの手を握った。ジャンヌは己の甘さをわらった。

ジャンヌ 「参ったな・・。」
130 《せりふ・裁判官》
「さて、ジャンヌ・バロア。君がなぜパリの娼婦を偽王妃にしたてあげ、ビーナスの茂みに連れていったのか。その訳を言ってもらおう。」
  ジャンヌ 「それは・・」
  《せりふ・裁判官》
「それは?」
  ジャンヌ 「それは・・」
  《せりふ・裁判官》
「速やかに述べなさい。これ以上嘘を重ねると罪が重くなるばかりですぞ。」
  ジャンヌ

「わかりました。何もかもお話いたします。本当にローアン大司教様にはたいへんなご迷惑をおかけいたしました。大司教様は全く私ども夫婦に騙されていただけなのでございます。それと申しますのも今度の事件は実はローアン様も足下にも及ばないほどの、さる高貴なお方に頼まれ、しかたなく私どもがしくんだことだったのでございます。そのお方というのは何が何でも首飾りを手に入れたいと言った方。160万リーブルの首飾りをなさっても、少しも見劣りのしない方。フランス王后陛下、マリー・アントワネット様です。」
  N 

 

《せりふ・裁判官》
「ジャンヌ・バロア・ド・ラモット夫人、王妃は君のことも首飾りのことも、全く知らないと申されている。知らないからこそ、この裁判を起こしたのだ。そう思わんか!口からでまかせもいい加減にしなさい。確たる証拠もなしにそのようなことを述べると、王室侮辱罪だけでなく、法廷侮辱罪をも適用しますぞ。」
  ジャンヌ 「王妃様はあまり宝石商が騒ぎ立てるのでそろそろご自分の身が危なくなるとお思いになったんじゃありませんの?それで私一人に罪をかぶせようとなさり、裁判を起こしたんですわ。」
  《せりふ・裁判官》
「まず証拠を見せなさい。」
  ジャンヌ 「聞けば、王妃様はベメールからの請求書を燃やしてしまわれたというではありませんか。それは王妃様が証拠を消してしまおうと思われたからに違いありません。そうお思いになりませんか?裁判長様。」
140 傍聴席は騒然となった。

《せりふ・裁判官》
「傍聴人は静かにしなさい。これ以上騒ぐと全員に退廷を命じますぞ。」

「ラモット夫人、当法廷の納得のいくようにあなたと王妃の関係を述べなさい。」

  ジャンヌ 「王妃様は、私を愛してくださっていたのです。つまり・・レスボス風に・・実は王妃様は同性愛の趣味がおありなのです。私は王妃様の恋人でございました。」
  ロザリー 「姉さん!」
  《せりふ・裁判官》
「うおっほん・・ほおお、そんな話ははじめて耳にしますな。何かはっきりした根拠でもおありかな、ラ・モット夫人。」
  ジャンヌ 「はい、裁判長もご存じだと思いますけれど、アントワネット様お気に入りの有名なポリニャック夫人。あの方もほんとうは王妃様の愛しい方。そして何よりの証拠が近衛連隊長オスカル・フランソワというお方。私の夫ニコラスの上官ですが、その方は男装はしていてもれっきとした女性です。つまり王妃様は愛する女性に男の姿をさせおそばにおきお相手をさせているのでございます。王妃マリー・アントワネット様はそれはそれは偉大な方。この世のあらゆる贅沢あらゆる楽しみをすべて独り占めなさっている方なのです。」
  オスカル 「許せん・・」
  アンドレ  「待て、オスカル・・落ち着け・・ここは法廷だぞ。」
  怒りのあまり剣を抜きかけたオスカルの手をアンドレが制止した。
  ジャンヌ 「裁判長、私はただ、操られていた人形にすぎません。私を裁く前に、王妃をマリー・アントワネットを裁くべきです。」
  ジャンヌの訴えに傍聴人たちは賛同する。廷内は騒然として、収集がつかなくなった。

《せりふ・裁判官》
「閉廷、閉廷、当法廷はしばらく閉廷します。」

馬車の座席でロザリーは泣きじゃくっていた。

150 ロザリー 「あんなひどいことを・・すみません、オスカル様・・姉さんは助かりたい一心であんなことを言ったんです・・」
  オスカル 「たくましい・・たくましい生命力だ。絶えず、断崖絶壁の上に立ちながら、ひるむどころか大胆で、しかも余裕すらある。私が今まで見たこともないような女性だ。」
 

1786年5月31日水曜日。パリ高等法院で首飾り事件の判決が言い渡された。

《せりふ・裁判官》
「ニコラス・ド・ラモット大尉。現在本人は逃亡中であるが終身送役刑に処する。見つけ次第逮捕のこと。レトー・ド・ビレット。むち打ち50回の後、35年間の国外追放。ニコル・ド・オリヴァ。無罪。ジャンヌ・バロア夫人。両肩にVの字の焼き鏝を押して、終身禁固の刑と処する。ルイ・ド・ローアン大司教。首飾り事件についても王室侮辱罪についても無罪。」

ジャンヌはなおも食い下がった。
  ジャンヌ 「裁判長、お尋ねいたします。真犯人はどうなるのです?私を操った真犯人は。私だけを罰してあとは知らん顔をするつもりなんですか!」
  《せりふ・裁判官》
「当法廷は憶測だけで人を裁くことはしない。もし万一、あなたの言うとおり真犯人がいたとしても、王室が当法廷に立ち入れないように、当法廷もまた王室に対しては手出しはできないことになっている。」

ベルサイユ宮殿。アントワネットが取り巻きたちに不満をぶつけていた。
  マリー 「それではまるで私が真犯人。レズビアンだと言われ、犯人だと言われ、しかもローアンは無罪。これでは何のために裁判を起こしたのかわかりません。」
  ポリニャック 「おかわいそうな王妃様。」
  マリー 「ポリニャック夫人、私がいったい何をしたというのです・・・く・・悔しい・・」
  N  ポリニャック夫人は泣きじゃくるアントワネットの肩を抱いた。
  ポリニャック 「王妃様・・でも不思議な事件ですわ。よりによって近衛連隊の隊員がこのような不始末をするなんて。しかもその隊員が逃亡を企てていたのを連隊長がお気づきにならないなんて。・・いいえ、何でもございません・・王妃様・・」
160 N 判決より一月後、パリ市民の見守る中でジャンヌの刑は執行された。Vの焼き鏝、それは泥棒を意味する言葉のイニシャルである。
  ジャンヌ 「ちっきしょー!放せ!あたしは無実だ!みんな王妃の陰謀だよ!あたし一人に罪を被せやがって、自分は涼しい顔・・地獄へ堕ちろ!マリー・アントワネット、あたしは無実だ!ぎゃああああ!」
  散々暴れたあげく焼き鏝をおされたジャンヌは目を見開いたまま悶絶した。ジャンヌはサルペドリエール牢獄へと運ばれた。

ジャンヌの巧みな嘘は国中の人気と同情を集め、投獄されたサルペトリエールには彼女を一目見ようという人々が毎日おしかけた。

ベルサイユ宮殿。王妃はオスカルに問いかけた。
  マリー 「なんということでしょう。平民ばかりか貴族までもがジャンヌに会いに行っているというではありませんか。」
オスカル 「はい。」
  マリー 「なんで身分のある貴族までもが?私にはわかりません。」
  オスカル 「恐れながら、その貴族たちは王后陛下の離宮への出入りを許されずに宮廷を去った者たちでございます。」
  マリー 「そんな・・そんなことくらいで・・・。」
  サルペトリエール牢獄。独房でジャンヌはひとり呟いている。
  ジャンヌ  「ふふ・・おもしろかったなあ・・久しぶりにぞくぞくするくらい・・あたし・・子供の頃にこんないたずらごっこ・・したかったなあ・・みんなと・・」
170 サルペトリエール牢獄。夜警の看守がジャンヌの独房を覗くと、窓枠にはめ込まれた鉄格子が切り取られていた。収監されてるはずのジャンヌの姿がそこにはなかった。

《せりふ・看守》
「だ、誰か!ジャンヌが脱走したぞ!ジャンヌが脱走したぞ!」

牢獄を後にして疾走する一台の馬車。ジャンヌともう一人、覆面をした謎の紳士が乗っている。

《せりふ・謎の紳士》
「もう、大丈夫だ。」

  ジャンヌ 「北へ向かっているけど、どこへ連れて行く気?」
  《せりふ・謎の紳士》
「サベルヌの修道院だ。」
  ジャンヌ 「誰?あんた?なんであたしを助けたの?」
  《せりふ・謎の紳士》
「ふふふ・・・君は英雄だ。死ぬまで牢獄にいれておくのは惜しい。それどころか君にはぜひともしてほしい仕事があるのだ。」
  ジャンヌ 「誰なのよ、あんたは?」
  《せりふ・謎の紳士》
「わしの名は知らん方がよい。わしはおまえを助けた。おまえはわしの頼む仕事をする。それではいかんか?」
  ジャンヌ 「ふ・・ウィ、ムッシュー・・わかったよ・・」
  N ジャルジェ邸、ロザリーがピアノを弾いている。門の前に馬車が停まった。馬車には一人の貴婦人が乗っている。

ロザリーは馬に乗って小川まで散策にやってきた。小川には小さな石作りの橋がかかっていた。天気がいいので水面は光を反射して輝いている。
  ロザリー 「姉さん・・ジャンヌ姉さんどこにいるの?ううん、どこにいてもいいの。姉さんが姉さんらしく、自由に飛ぶことができているなら。」
180 N 人の気配に振り返ると、馬車が停まっていた。
  ロザリー 「ポリニャック夫人。」
  ポリニャック 「しばらくね、ロザリーさん。シャルロットがあんなことになって以来ですわね。」

「お元気そうね・・よかった。」

  ロザリー 「どうぞお引き取り下さい。」
  ポリニャック 「今日はあなたに母として会いに参りました。」
  ロザリー 「やめてください。私はあなたを母などとは思ってはおりません。」
  ポリニャック 「憎まれているのね・・まだ私は・・当然ですね。あなたを育ててくれたニコール・ラ・モリエールを事故とはいえ、誤って死なせてしまったのは私ですから。でも、私はあなたの産みの親・・それは変わりはしない。」
  N ロザリーは顔を背けると、鐙(あぶみ)に足を乗せて騎乗した。
  ロザリー 「私は今あなたへの憎しみを忘れかけています。それはあなたが私を産んだということを忘れようとしていることだと思ってください。ですから、もう二度と私の前に現れないで。」
  ポリニャック 「そんな悲しいことを・・ロザリー・・お願い、ポリニャック家へ来て・・シャルロットが死んでから・・私はひとり・・一緒に暮らしてほしいのです。」
190 ロザリー 「お断りします。」
  ポリニャック夫人の涙を見たロザリーは心を動かされるが、夫人の懇願をきっぱりと拒絶した。ロザリーを乗せた馬が浅瀬の水を散らしながら遠ざかる。その後ろ姿を見送るポリニャック夫人の顔が何かを企んでいるように、にやりと笑っていた。

パリの裏通り、路上でジャンヌの本が売られている。

《せりふ・売り子》
「まあよんでみなって。ジャンヌ・バロア回想録第1巻は首飾り事件の真相が事細かに書いてあるぜ。おっと、これだけじゃない。まもなく第2巻第3巻と続々出版予定。それにはまず第1巻からきっちり読まにゃあ。へい、毎度どうも。」

本は次から次へと売れていった。

ジャルジェ邸、サンルームでアンドレがジャンヌの本を読み上げている。オスカルはそれを黙って聞いていた。

  アンドレ  「ジャンヌ・バロア回想録第1巻マリー・アントワネットスキャンダル伝その1。王妃の恋人たちの目録。出てる出てる。男装の麗人オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ大佐。ポリニャック夫人の次に出てるぜ。ジャンヌ・バロア、ほんとにやるもんだな。」
  階段を降りてきたロザリーは言葉を失って立ちすくんだ。大きな目は見開かれ、顔は蒼白だった。
オスカル 「ロザリー」
  ロザリー 「すみません、オスカル様」
  ロザリーはアンドレの手から本を引ったくるとその場から走り去った。
  オスカル 「私のことなどどうでもよい。問題はその内容を信じ込む民衆の気持ちだ。王室に、そしてマリー・アントワネット様に対する。」
  サベルヌ修道院、ニコラスが上機嫌で金貨の数を数えている。傍らにはジャンヌ・バロア回想録が積んであった。
  ニコラス 「へへへへ、売れて売れてどうしようもねえぜ。全くプロの作家もまっつあおだ。おめえにこんな才能があるとは思わなかったぜ。ええ、ジャンヌよう。」
200 ジャンヌは金貨には見向きもせずに暖炉の前で酒びんを抱えている。
  ジャンヌ 「ふん、ニコラス、おやめよ。くだらないことで大喜びするんじゃないよ。いくら本が売れてお金が入ったってあたし達はこの修道院から一歩も外へ出られないんだよ。」
  ニコラス  「そらまあ・・でもよ、しばらくの辛抱だぜ。あの方が言ってたじゃないか。ほとぼりがさめたらちゃんと夫婦そろって外国で暮らせるようにしてくれるって。」
  ジャンヌ 「甘いことを言うんじゃないよ。あの方っていってもあたしらにはどこの誰かもわからないんだ。どこまで信用できるかわかったもんじゃないよ。」
  ジャンヌはウオッカをラッパ飲みするとため息をついた。
  ジャンヌ 「なんだか・・疲れちゃったな・・あたし・・」
  ジャンヌは監獄に指輪を届けるために訪れたオスカルの言葉を思い出した。
  オスカル 「この指輪はロザリーからだ。母上の形見だそうだ。ロザリーはこう言っていた。私は十分すぎるぐらい幸せです。ですからこれをジャンヌ姉さんにと。」
  ジャンヌは暖炉の炎に指にはめた指輪を透かした。

ジャンヌから手紙がロザリーに届いた。封筒の中には母の形見の指輪も一緒に入っていた。

  ジャンヌ 「ロザリー指輪はおまえが持っていなさい。だってあたしは今とても幸せだから・・サベルヌにて。」
210 ロザリーは小川のほとりでジャンヌの手紙を思い出していた。
  ロザリー 「うそ、姉さんが幸せなはずがない。あたし物心がついた時から姉さんが心から楽しそうに笑った顔を見たことがないもの。いつか一度でいいから、そんな姉さんの顔が見たい。」
  N 馬車が停車する音にロザリーは振り返った。ポリニャック夫人が立っていた。
  ポリニャック 「ロザリーさんいかが?まだ母の元へ、ポリニャック家へ来てくれる気にはなりません?」
  ロザリー 「どうしても、そんな気にはなれません。失礼します。」
  ポリニャック 「お待ちなさい、ロザリー。」
  N 優しげな口調がいつしか高圧的なものへ変化していた。
  ポリニャック 「どうしてもあなたは、私の言うとおりにしなくてはならなくってよ。もし言うことをきかなければ、オスカル・フランソワは今度の事件で逮捕されることになります。」
  N ロザリーは驚いてポリニャック夫人を振り返ってみつめた。
  ポリニャック 「まず第一にジャンヌの夫ニコラスが、オスカル大佐が率いる近衛連隊の隊員であったこと。そしてもうひとつ、まだ王室のどなたも気づいていないようだけど、オスカル大佐はジャンヌの妹つまりあなたを屋敷に引き取っている。重大犯人の夫が隊員、そして妹が自分の屋敷に・・これだけ材料がそろえば誰が考えてもオスカル大佐はジャンヌの一味ということになる。」

「もしあなたが私を母と呼ばずポリニャック家へも来なければ、私はこのことをその筋に知らせ世間に公にいたします。さあ、ロザリー私を母と呼ぶのです。・・おほほほ・・・おっほほほほ・・・」

220 N 同じ頃・・まるで西部劇さながらに、オスカルの率いる近衛隊が騎馬を突撃させている。撃ち込まれる弾丸をものともせず、馬を疾走させる先頭のオスカルは剣を高く掲げて号令をかける。逃げまどう長い黒髪の女を近衛兵が捕らえた。

《せりふ・近衛兵》
「ジャンヌではありません。ただの盗賊団の女頭目です。」

  オスカル 「また偽情報に引っかかったか・・」
  N オスカルは忌々しそうに吐き捨てた。

夕刻、ベルサイユへ引き上げる途上、アンドレがオスカルを気遣いながら言った。
  アンドレ 「オスカル、偽情報でよかったんじゃないのか。しかし、こう遠出が連日ではちょっと疲れがひどい。隊員たちも、俺もおまえも。」
 

N 

ジャルジェ邸、暖炉の前の椅子に体を投げ出すようにして、オスカルは軍装を解かないまま眠り込んでいる。手には飲みかけのワイングラスを持ったままだった。ロザリーが近寄るとグラスを静かに取り上げる。オスカルは軽く身じろぎをするが目を覚まさなかった。炎が憔悴したその顔に影を落とす。彼女の寝顔を見つめていたロザリーはそっと目を伏せた。

ロザリーの脳裏に小川のほとりでのポリニャック夫人の言葉がよみがえる。水面は陽光をきらきらと跳ね返している。小川にかかる石造りの橋の上で、ロザリーとポリニャック夫人の優位は完全に逆転していた。

  ポリニャック

「オスカル大佐もジャンヌ・バロア捕縛の命を受けたんですってね。何年かかってもジャンヌ達を捕まえられっこない。逆に逃がす手助けをするんじゃはなくて。そろそろ治安大臣にお知らせしなくては。近衛連隊長はジャンヌ・バロアの妹をかくまっていますと・・・」
  ロザリー

「困ります!それだけは・・・」
  ポリニャック 「ジャンヌを捕まえるのに手間取れば手間取るほどオスカル大佐の疑いは濃くなるわね。」
  ロザリー 「オスカル様にもうこれ以上迷惑はかけたくない。」
  ポリニャック 「で?」
230 N

扇で口元を隠して、ポリニャク夫人はロザリーの気持ちを探るように目を眇(すが)めた。
  ロザリー 「あたし、あなたのおっしゃるとおりにいたします・・・お母様・・・」
  N ロザリーは言葉をふりしぼる。ポリニャック夫人は優しげに笑った。
  ポリニャック 「そう、いい子ね、ロザリー。おほほほ・・・」
  N

眠るオスカルの傍らに立ちつくして、ロザリーはすすり泣く。オスカルを助けるためにロザリーがした選択、それはオスカルとの別れを意味していた。

ロザリーは涙をこぼしながら荷造りをしている。出仕の支度をしていたオスカルの部屋へやってきたアンドレが、ロザリーがジャルジェ家を去ろうとしていることを告げた。

  アンドレ 「オスカル、驚くなよ、ロザリーが・・」
  玄関の前に停められた馬車に小間使いが荷物を運ぶ。その後からロザリーが現れた。馬車にはポリニャック夫人が乗っている。
  ロザリー 「あの・・私、オスカル様にお別れを・・」
  ポリニャック 「どうぞ、でも手短にね。」
  吹き抜けの玄関ホールへ来たオスカルは階段を駆け下りようとして、下の階のロザリーに気づいて足を止めた。ロザリーの頬を涙が流れて落ちる。ロザリーは努力して明るい口調で別れのあいさつをした。
240 ロザリー 「オスカル様、長いことお世話になりました、私ポリニャック家へ参ります。」
  オスカル 「何も聞いてない、何も聞いてないぞ、私は。どうしたんだ・・こんなに急に・・」
  ロザリー 「ロザリーは前から考えておりました。いつかは母の元へ帰らねばと。」
  オスカル 「何かあったなロザリー。私が知らぬところで何があった。」
  オスカルの狼狽した様子がロザリーには嬉しくて・・そして哀しかった。
  ロザリー  「お別れでございます。」
  深々とお辞儀をするとロザリーは立ち去ろうとした。
  オスカル 「ロザリー、待て!」
  階段を駆け下りてきたオスカルはロザリーの肩に手をおいて優しく言った。
  オスカル 「わかった、もう何も聞くまい。ポリニャック夫人はおまえの産みの母上だ。幸せにおなり、必ずだ。」
250 ロザリー 「はい。」
  ロザリーはオスカルの胸にすがって泣いた。オスカルは首にかけていたペンダントを外すとロザリーの手に握らせた。ロザリーはオスカルの手に唇を押し当てると、馬車に乗りジャルジェ家を後にした。見送るオスカルはつぶやいた。
  オスカル 「いい子だった・・・まるで春風のような・・・」
  ロザリー 「さようならあたしの青春、さようならあたしの幸せ、さようならあたしのオスカル様・・・」
  乳母がJの署名のある手紙をオスカルに手渡した。
  オスカル 

「これは・・ジャンヌの手紙だ。」

「ジャンヌの居場所は・・サベルヌか・・ロザリー、どんな気持ちで・・こんな・・こんなことをしなくてもよいのに・・アンドレ、このことは誰にも言うな、しばらく考えさせてくれ・・」

  アンドレ 「わかっている。」
  近衛兵の急使がジャルジェ邸を訪れた。

《せりふ・近衛兵》
「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ大佐、治安大臣がお呼びです。すぐにベルサイユ宮へ。」

ベルサイユ宮殿、閣議の間で、オスカルは治安大臣から指令を言い渡された。

《せりふ・治安大臣》
「実はたった今、さる有力な方をとおして密告があり、ジャンヌ・バロアの居場所はサベルヌの修道院であると判明した。大佐、君はすぐに小隊を率いてサベルヌへ向かってくれたまえ。」

閣議の間を退出したオスカルにアンドレが問うた。

  アンドレ 「で、引き受けたのか?」
  オスカル 「ああ、受けた。ジャンヌの居所がばれた以上私が行かなくても必ず誰かが行く。どうせ捕らえられるのならばせめてこの私が。そう思ったからだ。」
260 オスカルの声は苦渋に満ちていた。

サベルヌ修道院、酒の瓶を片手に飲んだくれながらジャンヌは院内をさまよう。マリア像の前でふと立ち止まると鼻歌を歌いながらジャンヌは尚も酒をあおり続ける。ニコラスがあわてた様子で現れた。

  ジャンヌ 「マリア様、あたし今夜いい気持ち、うふふ・・・」
  ニコラス 「ジャ・・ジャンヌ、ちょっと来てくれ。」
  ジャンヌ 「なあんだよ、どうしたのさ。」
  ニコラス 「なんか表の様子がおかしいんだ。」
  N  オスカルたちは修道院へ到着した。陽は落ちてすっかり夜になっていた。ニコラスとジャンヌは煌々と輝く満月を背にした近衛隊を確認した。
  ニコラス 「こ、近衛隊だ・・いけねえや・・もうすっかり囲まれちまってる。」
  挿入曲 死の予感
  オスカル 「ジャンヌ・バロア、ニコラス・ド・ラモット。私はオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェだ。おまえたちがおとなしく出てくるなら、我々は手荒な真似はしない。出てきなさいジャンヌ!自首しなさい、ラモット大尉!」
  ニコラス 「ど、どうするよ、ジャンヌ・・やべえぜこりゃ・・」
270 ジャンヌ 「がたがたするんじゃないよ、男のくせに。もうこうなったら、なるようにしかならないさ。」
  暖炉の前に腰を下ろして、ジャンヌは酒瓶をラッパ飲みした。

修道院からは何の反応もない。しびれをきらした隊員が突撃を提案した。
  オスカル 「待て、まだいい。」
  オスカルは馬を降りると腰のピストルを抜いた。アンドレが堪らずに声をかけた。
  アンドレ 「オスカル。」
  オスカル 「まず私が一人で行ってみる。」

「もし銃声がしたらその時は遠慮はいらん。思い切って総攻撃をかけろ。それまでは私にまかせろ。誰も手出しはするな。命令だ。」
  N  ピストルを片手にオスカルは身軽に岩山を飛び降りると修道院の入り口へとたどりついた。見守るアンドレが思わず呟いた。
  アンドレ 「オスカル・・・」
  修道院内に足を踏み入れたオスカルはピストルを腰帯にはさむと、ジャンヌとニコラスが待ち受ける部屋の扉を開けた。ニコラスが銃をオスカルに向けた。
  オスカル 「待て、大尉。銃声が総攻撃の合図だ。私を撃てばみんながふみこむぞ。」
280 ニコラス 「ええい・・・」
  ニコラスは歯ぎしりしてかまえた銃を下ろした。オスカルはジャンヌに歩み寄る。ジャンヌは彼女に背を向けたまま手にした酒びんをもてあそんでいる。
  オスカル 「さあ私と一緒に行こう。着替えるならばその間待ってもよい。」
  すさんだ目を暖炉の炎に向けながらジャンヌは訊いた。
  ジャンヌ 「ここ・・この場所を教えたのは・・ロザリーかい?」
  オスカル 「ロザリーではない、断じて。」
  ジャンヌ

 

「そうかい、よかった。まだいたんだねえ・・こんなあたしにだって一人くらい味方が・・信じられる人間が。よかった本当に・・・」
  ジャンヌの表情がみるみる穏やかに変化して、彼女は涙を流した。ニコラスが銃を振り上げると、銃床でオスカルを殴打した。気配に振り返ったが一瞬遅く、オスカルは床に倒れた。仰向けに横たわるオスカルに覆い被さるようにしてニコラスは言った。
  ニコラス 「へへへえ、ジャンヌ、俺はたった今名案を考えたんだ。こいつをよ、人質にすりゃあ逃げられるぜ俺達。」
  ジャンヌ

「逃げたきゃ一人で行きなよ。あたしゃもう・・いいよ・・なんかもう・・飽きちまったんだ・・」
290 ニコラス 「な、なんだよ・・そんな・・ちぇっ、わかったよ!よーし」
  ニコラスはオスカルの上に馬乗りになると、彼女の細い首に手をかけて締め上げた。
  ニコラス 「一人で逃げるンならこんな人質いらねえ、生かしといてもしょうがねえやい!」
  抵抗もむなしく、苦しい息の下でオスカルはアンドレの名を呼んだ。
  オスカル 「アンドレ・・」
  待機中のアンドレが弾かれたように目を見開いた。
  アンドレ  「呼んだ、今たしかに・・オスカルが俺を呼んだ。」
  アンドレは一人、修道院へと走り出した。

オスカルの首にあてた両手にぐいぐいと力を込めるニコラス。ふいにその手から力が抜け、オスカルは解放された。ジャンヌがニコラスの背中に短剣を突き立てたのだった。

  ジャンヌ 「およしよ。この女を殺したって、あたしらどうにもならないじゃないか。それよりさ・・あたしと一緒に死んでおくれ・・」
  ジャンヌは横たわるオスカルをあとに残してニコラスの体を引きずった。

修道院へ駆け込んできたアンドレは、壁に体を預けて床に座り込んでいるオスカルを発見する。首を絞められたダメージは大きく、オスカルは喉を片手で押さえたまま動くことができなかった。
300 アンドレ 「オスカル、大丈夫かオスカル。」
  オスカル 「地下へ・・二人は地下へ降りた・・ジャンヌは死ぬ気だ・・」
  地下室へ降りたアンドレは立ちこめる煙と匂いに入り口で足を止めた。
  アンドレ 「この匂い?」
  部屋にはニコラスを抱いたジャンヌがいた。床には導火線が走りすでに火が点けられている。
  アンドレ 「か・・火薬だ!」
  N  アンドレは部屋を飛び出した。アンドレはオスカルを連れて修道院を脱出する。
  ジャンヌ 「ごめんよ・・ニコラス・・」

「ごめんね・・あたしひとりじゃ寂して・・」
  ニコラス 「いいよ・・しかし、おめえ・・最後までいい女だったな・・・」
  ジャンヌ 「ほんとかい、嬉しい。」
310 ジャンヌは瀕死のニコラスに口付けした。オスカルとアンドレの後ろで修道院は大音響とともに爆発した。

こうして首飾り事件は一応落着した。しかし、ジャンヌの脱獄を助け、回想録の出版に手を貸したのは誰か。密かに王位を奪おうとした国王の従兄弟、オルレアン公であろうといわれているが、その真実もまた、ジャンヌの死とともに永遠に闇の中へと消えていった。
311 ED挿入歌 愛の光と影

ベルサイユのばら ジャンヌ編 

劇  終

inserted by FC2 system